YHWH-私は在って在るものである-

ヘブル文字で記されている神聖四文字(テトラグラマトン)

「YAH、万軍の主、生けるエロヒーム、宇宙の王、万能の君、慈悲深い寛大な神、至高主導の存在、永遠に宮居(みやい)する天にまします、崇高にして最も神聖な父は、三十二の神秘的な智恵の道の中にその名を刻み、宇宙を形作り、創造した。その時主は、3つのセファリム、すなわち“数”と“文字”と“音”を用いた。この三者は主の中にあってはひとつの、同じものである」(『イェツィラーの書』より)

【概要】
(1)エロヒーム אֱלוֹהִים , אלהים[Elohim]
 旧約聖書(=ユダヤ教の聖典)に表れる、世界万物の創造主にしてイスラエルの唯一絶対の全知全能なる至高神。ユダヤの唯一神を指し示す名称は多種多様に存在するが、まず旧約聖書『創世記』の中で最初に登場する名称が《エロヒーム(אֱלוֹהִים , אלהים[Elohim])》である(ただし口語訳ではこの言葉が用いられることは少ない)。《エロヒーム》とは、語源の詳細は不明であるが、ヘブル語で《力》あるいはさまざまな形で現れる普遍的な《神》を意味する普通名詞であり、《エール》(あるいは《エローアハ》)を語根とする複数形であると言われている。ヘブル語聖書においてこの《エール》という語が単独で表れることはごく稀であり、《エール・シャッダイ(=全能なる神)》、《エール・アブラハム(=アブラハムの神)》、《エール・オーラム(永劫なる神)》など、添え名をつけて記述されていることが多い。複数形の《エロヒーム》には、これらの名称を全てひっくるめた普遍的な神としての尊厳を強調する《無限の力を持つ唯一の神》という意味と、《神々》という意味がある。

 唯一神の神概念にあって《エロヒーム》の前者の意味はともかく、今ひとつなのは後者の意味であり、まず疑問に思われるのは前者の意味との咬合の問題であろう。後者の《神々》という意味は、ユダヤの神が多数存在しているということを指しているのではなく、唯一神がロゴス(言葉)によって創造した全ての被造物(天使、イスラエルの民、精霊、そのほか世界万物)が、その原質料である《無》から造られたものであり、神だけから出来上がっており、神が具体化したものであって、どの被造物(天使、聖霊、イスラエルの民、その他諸々全て)にも唯一神それ自身の一部が含まれているということを意味している点に留意する必要がある。

 このことが前者の《無限の力を持つ唯一の神》という意味とどのように咬合しているのか。それは唯一神の全能には限りがあるということを意味しているのではなく、あらゆる創造の可能性が唯一神のなかには無尽蔵に含まれており、全ての被造物が唯一神の創造の可能性の一部を表現していて、その具体化された可能性の全てが唯一神を指し示しているということに帰結している。これは、「全世界は神のものであり、神は最初から全ての被造物に実在している」ということの表現法であって、神それ自体は《一なるもの》として、実体の範疇の上にすら位している不可知なる存在であり、それ自身においてはすでに区分が存在しないということを知らしめているのだ。この二つの意味を併せ持った《エロヒーム》という語は、神が「一にして全、全にして一」であるということを示しえているのである。このような《エロヒーム》という普通名詞は、ユダヤ人たちによって、エジプトやメソポタミアの多神教が多数を占める地域にあって、イスラエルの唯一神をそれらの神々に対立するものとしても用いられているのである。

(2)YHWH יהוה《神聖四文字=テトラグラマトン ( Τετραγράμματον)》
 普通名詞の《エロヒーム》に対し、神を指し示す名称として最も多いものが固有名詞《YHWH(יהוה)》である。これは旧約聖書中6500回以上用いられており、その四つの子音は《神聖四文字》とされ、ギリシャ語では《四つの文字》を意味する《テトラグラマトン(Τετραγράμματον)》と呼ばれている。

 ヘブル文字は子音のみであり、母音にあたる文字がない(そのため子音字に母音符号をつけて読む)ため、この神聖四文字の正確な読み方は分からない。ただ、この固有名詞は人名の末尾において《ヤー(יָה[YaH])》あるいは《ヤフ(יָהוּ [YaHu])》という、母音符号のついた短縮形で付加されることがあり、更に新約聖書やグノーシス文書など、ギリシャ文字(あるいはコプト文字)に転写された《YHWH》に該当するものとして《ヤオー(Ιαο)》とか《ヤォウェ(Ιαουε)》などと表記されたものがあることから、推測の域を出ないが、一般に《YHWH》は《YaHWeH》、すなわち《ヤハウェ》あるいは《ヤーウェ》などと読まれていたのではないかと考えられている(あとは諸外国語に転写された文字の読み方によって違いがある(ヤーヴェなど)。以下、断りがない限り《ヤハウェ》で統一する)。

 この神聖四文字は、その名の意味についても様々な暗示が示されている。ここではその中でも最も重要と考えられている解釈について触れておこう。まず、この神聖四文字が最初に登場するのは『創世記』第2章4節であり、ヘブル語では《ヤハウェ・エロヒーム》となっていて、口語訳では《主なる神》となっているが、直訳では《ヤハウェという名の神》ということになる。このことを踏まえた上で、映画『十戒』としても有名で、ディズニー映画にもなった『出エジプト記』を見てみよう。唯一神はモーセにその名を尋ねられ、彼に向かって自らの名をこう称した。

「私は在る(私は成る)。私は在る(私は成る)というものだ(אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה['eHyeH 'aser 'eHyeH])」(エヘイェ・アセル・エヘイェ)

「イスラエルの人々にこう言うがよい。私は在る(私は成る)という方が、私(モーセ)をあなたたちに遣わされたのだと。」
(『出エジプト記』第3章14節)

 神が自らの名を語って聞かせる章句であるだけに、この記述の意味をめぐって膨大な量の論議が闘わされてきた。このモーセに対する神の答えは非常に謎めいている。というのは、見ての通り神は自らの存在の在り方を仄めかしはするが、自分が誰であるかを明らかにしようとしないからである。このような表現は、この『出エジプト記』の記述を始めとして、他の旧約聖書にも似たような記述があり、新約聖書『ヨハネによる福音書』におけるロゴス=キリスト論にまで及んでいる。現在では、この表現は神とその全ての被造物の関係全体、すなわち現代の表現を用いるならば、存在と存在者の関係(あらゆる存在者を存在者として具現化せしめている《存在》と、存在によって存在者として具現化されている《存在者》の関係)の全体を示唆していると見做す解釈が一般的であり、対立する多神教の空虚な神々とは違って、実際に《在るもの=存在》として、行動的に人々と共にいて、彼らに援助を与え、《永遠に現存する生き生きとしたもの》という意味を示唆しているのだと言う解釈が主流となっている。

 このような解釈は以下のような推測によってなされている。前述の《ヤハウェ・エロヒーム》、すなわち《ヤハウェという名の神》という直訳を考慮するならば、神が《私は在る》と称しているところの《エヘイェ(אֶהְיֶה[eHyeH])》は、意味合い的に《ヤハウェ》と同義であると見做せよう。ここでこのことを前提として、ちょっとした手品になるが、まず、神の側からモーセ(人間)に向かって一人称で称しているところのヘブル語《エヘイェ》を、人間の側から神を見て、三人称(男性形)にして《彼は在る》という意味のヘブル語にする。そうすると《イヒイェ(יִהְיֶה [YiHyeH])》となり、神聖四文字《יהוה[YHWH]》の綴りに近くなる。次に、神自身が自らを《在る》と指していることから、英語で言うところのBe(すなわち《在るもの》あるいは《存在》)という意味で解釈する。それにあたるヘブル語は《ハーヤー(היה[HyH])》であるが、これを使役態にして《イヒイェ》と同じく男性形の三人称にすると《ヤハイェ(יַהְיֶה [YaHyeH])》となり、《イヒイェ》と子音字が同じである上に、それにつけられている母音符号は《ヤハウェ[YaHWeH]》のそれとまったく同じになる。

 これもまた推測の域を出ないことに変わりはないが、これまで述べてきたことをまとめると、《ヤハウェ》には、ヘブル語《イヒイェ》の訛りだと見做すことができるところから、人間の側から神の名を《彼は在る》と読み替えた意味があり、さらに、《存在》を意味する《ハーヤー》の使役態である《ヤハイェ》の訛りであるとも見做せるので、その直訳として《在らしめるもの》、すなわち全ての被造物を具現せしめる《造物主》であるという意味も含まれている神秘と超越を明らかに示した固有名詞だという解釈になるのである。なお、余談ではあるが、この神聖四文字はユダヤ神秘主義カバラの数秘術ゲマトリアで、ピタゴラスの正三角形状に並べられ、数価に換算してすべて合計すると72となることから、72は偉大なる神名を表す数字とされている。

(3)アドーナイ אֲדֹנַי[Adonay]
 しかし、『出エジプト記』第20章7節(十戒に関する章節)に、「あなたの神、《ヤハウェ》の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を《ヤハウェ》は罰せずにはおかれない」とあるように、ユダヤ人たちは神に対する畏敬の念のゆえに、神聖四文字を《ヤハウェ》と読むことはしない。その代わりに神聖四文字は、ヘブル語で《主》を意味する普通名詞《アドーナイ(אֲדֹנַי[Adonay])》と置き換えられて読まれるようになり、この読み方が70人訳のギリシャ語聖書にも導入されて、ギリシャ語で《主》を意味する《キュリオス(Κύριος)》と訳されている。そもそも、これまで述べてきた神聖四文字の正確な読みと意味を推測によってしか解釈できないのは、このことが原因であるといえる。前述したとおり、ヘブル文字は子音だけで母音がなく、母音を付して読むのだが、現代においても実際の書には母音符号をつけるということはない。『出エジプト記』に記された十戒を絶対視するユダヤ人たちは、その名を避けて《アドーナイ》と置き換えて読んでいるうちに自分たちの神の名の正確な読み方と意味を忘れてしまったのである。これは唯一神の教えを忠実に守ったが故の結果だということになるだろう。

 なお、《イェホヴァ》という呼称が《主》という表現に代わって用いられることがあるが、これはこのユダヤ教の習慣を忘れた中世のキリスト教徒が、神聖四文字に《アドーナイ》の母音を組み合わせて《YeHoWaH》(アドーナイの最初の母音Aは弱母音であるが、文法上ヘブル文字ヨッドにこれを組み合わせることはできないため、Eに置き換えられている)とし、誤読したことによって生まれた読み方である。

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