交差点で君を見つけることすら出来ない(2)
私の愛した君たちはと言うと、私の住む街にはもう居ない。最初から居なかったひともいるし、居なくなってしまったひともいる。
だから街中ですれ違うことも、思い出の公園の前を通り過ぎるなんてことも、信号待ちが同じタイミングになることも 絶対に有り得ないのだ。山崎まさよしの「One more time,One more chance」を聴いても全く共感することが出来ない自分の境遇を呪いがちになる。
諸行無常なこの世を、少女だった頃の私は少し淋しく思っていた。変わりゆく君たちを、街並みを、あの味を少しでも留めておきたくて必死だった。けれど、そこにはたしかにあったんだ、とまるごと認めてしまってからは なんとつまらないやつになったんだろうと思う。いつまでも喫茶店では珈琲よりもアイスココアやクリームソーダを頼むような人間でありたいが、そう思う時点でもう私は純粋な少女では居られなくなっていることに気づく。あの頃の私は、君と居た私は、きっと迷わずアイスココアを頼んでいたのだろう。
私は呪いになりたかった。誰かの奥深くに沈められた呪いとなって、"忘れられないあの頃の君"になりたかった。交差点で君を見つけることすら出来ない私は、いつかきっと君の住む街へ行くだろう。そして変わった街並みをみて、ようやく君たちを忘れるのだろう。
私は君たちのことを愛していた。
きっと、愛していた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?