「お金」と金星に関する占星学的考察:1


占星学の12サインというのは、円筒形に配置された巨大な図書館のようなもので、あらゆる知識や現象を整理分類することができる。その意味で、占星学の勉強は大英図書館の書物を読破するように永遠に終わりがないし、囲碁の試合のように何千回やっても飽きることがない。

それがつまらなく感じるとしたら、占星術の問題ではなく、あなたの意識世界がせまいだけで、その場合、何をやってもつまらないと感じるだろう。

人間に興味をもち、社会に興味をもち、歴史をもち、そこから仕入れた知識を占星学という書棚と情報処理装置にインプットすると、思わぬ関連性が浮きぼりになり、他の学問も対しても有益な洞察が得られるといえるだろう。

そうした思索を、「お金に対する学問」にたいしてやってみたいと思う。あえて「経済学」といわないのは、経済学者からは僕の言説など、「こんなものは経済学ではない」いわれるだろうからだ。

日本語の経済学という言葉は、もともと「経世済民の学」という意味で、経とは経糸なので、世界を継続させ、民をすくうという意味であり、マクロ的施策とミクロ的配慮のバランスを取るという意味で、素晴らしいネーミングである。欧米のEconomicsの翻訳にはもったいない言葉であり、そこには政治学・歴史学・倫理学などの要素も含まれているのだ。

一方でEconomics の学者たちは、自分たちの学問を物理学や化学のような客観的な知識体系としたいがために、あまり意味がない数式を導入し、政府の経済運営に口をだし、ことごとく失敗しているのである。

2018年、アメリカの女性下院議員のオカシオ・コルテス氏が、経済政策のバックボーンとして、MMT=現代貨幣理論を主張し、ブレーンのステファニー・ケルトン女史とともに、政治と経済学の世界でジャンヌ・ダルク的 活躍をしたことで、注目を浴び、三橋貴明氏の招きで2019年に来日した流れで、日本でもMMTブームがやってきている。

この理論は、個人生活の経営と、国家の経済運営が全く性質が違うものであることを論証し、そももそ「貨幣とはなにか?」を根本的に問いかけ、立証するものとなっている。そのもっともセンセーショナルな主張は

「自国通貨を発行する政府は供給能力を上限に、貨幣供給をして需要を拡大することができる」

というもので、財務省の財政健全化(プライマリーバランスゼロ路線)や「国の借金は国民一人当たり800万円」といったロジックを完全に無意味なものだと論証している。

具体的には、福祉や教育、国土強靭化のための財政支出はいくらしても、それによって国が破産することはない。支出の方法は政府通貨や一般的な国債の発行でまかなえばよく、それらの総額は一方的に増え続ける必要がある。その金額は政府の借金ではなく、通貨供給量であり、増え続けるのが当然なのである。

つまり財政健全化や緊縮財政は、結果として国富をへらすことになるのである。

単純にたとえれば、悪代官がいくら小判を蔵に蓄えても、農民が農地をすてて逃散してしまえば、その国は貧しいのである。国の真の豊かさはものやサービスを供給する能力があること。それは人々が健全に生活を営む。労働と消費が活発であること。そのためには給料が豊かな生活を可能にするレベルに高い必要があるのである。

トリクルダウンなどといって、食べるに困らない経営者や投資家が豊かになっても、貯金する余裕があるので貯金してしまう。やや余裕がある庶民でもデフレだとお金の価値がそのまま上がっていくので貯金に回す。

健全な経済にはインフレが必須なのだが、これは少し前に地域通貨ブームの中で議論された「減価する貨幣」と同じこと。減価する貨幣は、1万円が一ヶ月以内につかわないと9000円の価値になり、ニヶ月以内に使わないと8000円になりといったことだ。毎月10%のインフレみたいなもので、そうしたら、もらったらすぐに使い切るだろう。インフレだと額面はさがらないが健全なインフレ率といわれる年二%なら、1年後に9800円になるのと同じことで、消費意欲が保たれるというわけである。

このあたりの議論は、三橋貴明氏や中野剛志氏、藤井聡氏が、著作やインターネットで展開しているので、そちらを参照されたい。

推薦図書


話を占星学を通じて「お金」について考えるにもどそう。

ヴィーナス誕生

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