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我が家へ

連日、2011年3月11日のことを書いてます。
と言っても当時のmixiから転記しているだけですが…​
これで終わりです


一時間後の指定席を放棄して自由席に飛び乗った私たち。東京から新横浜まではあっという間。立っていても苦痛ではない距離。この車内にいる人は多分ほぼ全員、昨夜は怖い思いをしたはず。みんながそう思っているせいか殺伐とした空気にはならない。

新横浜につくと「地元」に帰ってきたような気がしてほっとした。日産スタジアムも横浜アリーナもある。馴染みのある街だ。駅も街もとても静か。プリンスペペは営業中止だった。そして同僚のご主人の車をさがす。普段なら路駐できないようなところに悠々と停まってた。

同僚はやっと安心した表情を見せた。4歳の娘さんを抱きしめて泣いていた同僚のご主人は世話役の女性の弟でもあるので繕っても仕方ないので素で挨拶した。尊敬する世話役の弟さんだけあって頼りになる素敵な男性だ。久しぶりに小さい女の子とおしゃべりできて私もようやく少しリラックスできた。

田園都市線の藤が丘駅で下ろしてもらいホームへあがるとタイミングよく中央林間ゆきが来た。ようやくゴールが見えてきた気がする。地元につく概ねの時間を家族に電話し迎えにきてもらうように頼んだ。頼むからあとちょっとだけ電車停まらないで。祈りつづけた。

地元駅について迎えの車のドアをあけたら娘がいた。安心したらもう力が入らなくなってそのまま倒れこんでしまった。娘は私の頭をヨシヨシとなでると
「お母さんの顔みたから遊びに行ってくるわ!」
とでかけてしまった。

自宅に戻ったのが13時15分ころ。家が無事だったことを確認して一安心。上司や世話役さんに電話をし帰宅したことと関西組のことを報告。関西の同僚に帰宅したこととお礼、置いていってしまったことのお詫びをメール。営業部全員に帰宅できたことを一斉送信。

仕事がらみの処理が終わったのでそのままベッドになだれ込んだ。15時過ぎくらいに目が覚め昼食をとってないことに気付き実家に白ご飯とみそ汁を分けてもらうと友人からいかなごが届いていた。こんなに美味しくて心に染みた食事は今までになかった。涙して食べた。

そしてまたしばらく横になり風呂に入ろうと思いメイクを落とすために鏡を見たらそこには鬼のような形相の女がいて今日のアタシ必死だったんだなと改めて思った。一人で足を伸ばして入る広い風呂も一人で大の字になれる広いベッドも天国!やっぱり帰る場所はここだな。家が一番いいなと再確認した。

夜はなんとなく不安でPCでTVをつけっぱなしにして休むことにした。娘も一緒の部屋で休むという。一応、心細かったりするのね。緊急地震速報とはメル友状態だし一応親だし一緒に寝てやるか。
・・・寝相は相変わらずで殺意をおぼえたけど仕方ないよね~。


帰宅してから友人とメールや電話色々なものでやりとりした気がします。ごめんなさい。土曜日の夕方から月曜日の朝までの記憶はほとんどありません。もらったメールと通話履歴、手帳の殴り書きに形跡があるのだけど何一つ覚えていないのです。失礼なことがあったら申し訳ありません。

*これで終わりです。

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