【現役塾講師が語る】高学歴は本当に意味ない?
こんにちは。
現役で塾講師をしております。
以下の動画をご覧になったことはありますか?
社会に出て成功しているかどうかは、本当に学歴とは関係がないのか、というお話です。
これに対して、現役塾講師である私の個人的見解をつらつらと語ります。
最近みんな「高学歴」にこだわらなくなってきている
最近たくさんの保護者の方々と面談をしていても、
「上ばかり目指させてもしょうがないので」
「本人の力量で、ほどほどに」
「本人のやりたいように」
と仰る方が増えています。
これに対して、
「勉強させることに対する諦めだ」
「保護者までネガティブだ」
「子供に対して強くいけないだけ」
といった意見もあります。
私としては、子供の意見を第一に考える、とてもいい動きだと思っています。
とはいえ、困ったことが2点あります。
一つは、学歴だけを軽視するのならともかく、「勉強すること」そのものの恩恵まで無視されている風潮があること。
もう一つは、「子供に任せる」と言いながら、子供自身がさしてわがままに意見を言わず、「志望校とかよくわかんないッス」という状態であることです。
賢さには2種類ある
以前、こんな本を読んだことがあります。
「賢さ」というものに対する、非常に興味深い分析が記述されていました。
筆者の勝間和代氏によると、アメリカにおいて賢さは2つに分類されます。
「アカデミック・スマート」
勉強ができる、テストで点数が取れる、学術的な賢さ。
勉強の世界で高い評価を得る。
「ストリート・スマート」
対人コミュニケーションや実務スキルなど、実生活で生き抜くための賢さ。
実務の世界で高い評価を得る。
また、同書の中で、勝間氏は
「日本の中はアカデミック・スマートがリードしすぎている」
「学歴関係なく、ストリート・スマートな人たちが活躍できる社会が理想である」
と言い切っています。
仕事の世界でよくみられる「仕事と学歴なんて関係ないっしょ」と言う、「学歴不要説」を唱える人たちは、アカデミックとストリートの二つを天秤にかけた上で、「ストリートの方が重要度高いよね」と考えているのだと思います。
(現時点の日本での)高学歴の恩恵
ドラゴン桜の桜木先生にとって、東大とは「めっちゃ良い名刺」だそうです。
「あれだけ地獄みたいな受験生活の末に得られるものって結局『名刺』かよ」となるかもしれません。
ただ、「出身は東大です」「早稲田です」と言われたら、反射的に「おぉ」「頭良っ」となる人は多いと思います。
いわば、東大に受かった人を見て「頭良っ」と感じるのは、「アカデミック・スマートのテッペンを獲った証拠になる名刺」のおかげだと考えられます。
あとはまあ
「良い人間関係」
「ハイレベルな教育」
などなども恩恵としてはあるとは思いますが、そこは人それぞれ、環境によってそれぞれかなと思います。
そうすると、
「『頭良っ』と思われるための高学歴ってことですか?」
と思われるかもしれません。
残念ながら、多くの場面において、そうなってしまっているのは事実だと思います。
しかし、私(および私の周りの講師たち)の考え方は少し異なります。
アカデミックとストリートは「比べて甲乙つけるもの」ではない
正直なところ、アカデミックとストリートのことを「二つを天秤にかけて比べるもの」と考えている時点でセンスに欠けると考えます。
私は「アカデミックを土壌にしてストリートを育てる」と考えます。
とある保護者から「社会に出たら大変だし、いうて学歴高すぎてもアレだから勉強は落ちこぼれない程度にホドホドに」という話が出たことがあります。
そこで、ある講師が「賛同はしますし、どこに受かっても構いません。でも立体図形を使って物事を多面的に見る練習もさせたいですし、感染症への対応の仕方が紀元前と令和でどう違うかとかも知ってもらいたいので、限界まで勉強はさせたいんですよね」と言い、納得をさせていました。
生徒は勉強が大好きになり、なんと社会人になってからも大活躍しているそうです。
アカデミックをストリートに昇華する
上記の講師は、他の事例として
人間関係の改善策を「座標平面」の考え方で解決する
(書籍「ユダヤ人大富豪の教えⅢ」で実際に使われています!)
アベンジャーズ・エンドゲームの予告編の“Whatever it takes”というセリフから、「複合関係詞」「万能なit」「takeのイメージ」を同時に説明する
「いじめは連鎖する」ことを、実際に起こった歴史上の事実を使って説明する
といったことをしていました。
あまりに勉強した内容が実生活と結びつきすぎているので、生徒たちは良い顔をして授業を受けています。
点数さえ上がればいかなる受験にも勝てます。非常に簡単な話です。
アカデミックだのストリートだの考えず、自分の心の声をフルシカトして、ただただ暗記を続ければいいのです。
その代わり、塾は「ストリートに放り出されるといきなり何もできなくなる『アカデミックバカ』製造機」成り果てるでしょう。
しかし、アカデミックを鍛える現場で、「ストリートにおけるいかなる局面で知識を運用できるのか」をしっかり知り、実際にストリートに出たら思う存分暴れ回れる。
そんな人間を育成したい。
上記の講師はそんな意図でこういった授業をしているのでしょう。
とはいっても、どの知識も実生活で使うわけじゃないじゃん
ここが私にとって悔しいポイントです。
流石に全てのアカデミックな知識をストリートな実生活で絶対に使えるわけではありません。
「ここは受験のためにしっかり覚えましょう」と割り切る必要が出てくる瞬間はあります。
それは、教育制度に改革が必要なのか、私の「ストリート昇華」な教え方がまだ下手くそなせいなのかは分かりません。国のせいにしてもしゃーないので、とりあえず後者のせいにしておいて、教える技術を磨くことにしています。
結論、「高学歴がいい」「低学歴でもいい」どっち?
私はこの二つを天秤にかけて考えていません。
私自身の理想はこんな形です。
生徒の志望校はなんでも良い。「ストリート昇華」な授業をしていった結果勉強そのものが楽しくなって、結果成績がメキメキ伸び、結果的に生徒が行きたいところに行けるようになった。
以上です。これだけです。
生徒や保護者によっては「アカデミック・スマートを極めた名刺がほしい」と考える人もいます。そういった人たちは、こちらから何かをけしかけなくても勝手に勉強をしてくれるので、私がやることは授業と軽い質問対応だけです。
ただ、成績、志望校、理想の形がなんであれ、最終的に自分の得た知識をストリートにしっかり昇華し、勉強を楽しんでやってくれるのがいいなと思います。
皆さんの勉強生活が、より豊かになることを切に願っております。
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