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理容師の告白。


随分と昔の話になります。
僕がいつも頭を刈ってもらっていた年配の理容師(僕は彼女を”おばちゃん”と呼んでた)から聞いた話。


おばちゃんが9歳の時、作文の宿題に悩んでいると、見兼ねた中学生の姉がアドバイスを始めた。
色々言われてもうまく書けないおばちゃん。
そのうち、おばちゃんの姉がイライラし始めた。
業を煮やしたおばちゃんの姉はしまいには書き始めた。その作文はおばちゃんから見ても上手く書けていたのがわかった。
翌日、おばちゃんは面倒になって姉が書いた作文をまるまる一時も変えずに写して学校に提出してしまった。
おばちゃんの人生が変わった瞬間だった。

”まるで歯車がカチッっと音を立ててどこかで止まった気がしたわ”

とおばちゃんは僕に言った。
その作文は県のコンクールに応募され、最優秀賞に選出、新聞に大きく取り上げられ、おばちゃんは『作文の天才』と呼ばれ、一躍脚光を浴びた。
学校というところは大きなイベントがあると、生徒に作文を書かせる。
おばちゃんは作文が出ると家に持ち帰り、姉に遠足や運動会の細かい話を聞かせ、姉はそれを元に文章を作った。その度に、おばちゃんは姉の書いたものを丁寧に書き写し、学校へと提出した。
小学校卒業とともに、おばちゃんたち家族が県外に引っ越すまで”姉妹の二人三脚”は続いたそうだ。
おばちゃんは40年前、入賞した作文の冒頭を今でも憶えていた。
「朝、ガチャガチャという音で目を覚ました。牛乳屋さんだ。私達のために牛乳を持ってきてくれたのだ。私は階下に降りて⋯」
川端康成の小説の出だしみたいだと僕は思った。