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「学習する組織」とは「自己研鑽が活発な組織」じゃなかった - 学習する組織#0

研修の本だと思って読み始めたらカスリもしなかった

「弊社は『学習する組織』を標榜しており…」
「私達は『学習する組織』のコンセプトに則り…」

これってよく見かける。で、このあとに続くのは
「人材育成投資を惜しみません」
「数多くの手厚い研修機会が提供されています」
「勉強会など自主的な学びの機会に溢れています」
だいたいこんな感じだ。

私もこの言葉をそのとおりに受け止めていたし、それをカッコいい!と思っていた。つまり、「学習する組織」とは「主体的に自己研鑽をすることが奨励され、社員たちも常にそうしている組織」のことで、だから「学習する組織」に身を置けば自分もどんどん成長できるに違いない!そう理解していた。

ある時、自分が所属する組織のラーニングを推進するマネージャーになった。でも何をすればいいのか良く分かっていなかった。正確に言えば、やるべきと思うことは沢山あったのだけど、できれば思いつきではなくて、ちゃんとした理屈を持った上で施策に取り組みたいと思った。そこでひとまず単純に「よく耳にする『学習する組織』とやらを学んでみよう」と。それがピーター・センゲ氏の「学習する組織」を手に取ったきっかけだった。つまり、私がその本に期待していたのは、どちらかと言えばインストラクショナル・デザインのような内容だったのだ。

そんな期待で読み始めたところ、何を言っているのか全然わからない。

  • システム思考?それは一体研修となんの関係があるの?

  • メンタルモデル?それってマインドセットのこと?

  • 共有ビジョン?なんで研修にビジョンが必要なの?

  • チーム学習?チームの前に個人の学習があるんじゃないのかね?

  • セルフマスタリーって、、、宗教?根性論?

何より気持ち悪かったのがトップバッターの「システム思考」だ。コンサルタントとしてキャリアを始めた自分の頭の中には、ロジックと言えばツリー構造であり、そしてMECEの世界しかなかった。円や曲線で描かれるそのループ図は、私が求める「研修のやり方」とはかけ離れたものだった。

いや、実は少し嫌な予感はあったのだ。だって、副題や帯に「最強組織の法則」とか「組織を統合し未来を作る」とか書いてあるし、原題は"The Fifth Dicipline"だし。なんとなく、「実は研修の話じゃないかも知れない」とは、薄々感じていたのだ。それにしても。あまりに違いすぎる。

期待とは大外れだった。いい意味で。

期待していた内容ではなかった。だけど、なぜか「読むのをやめよう」とは思わなかった。ここにはなにか重要なことが書かれている。これを自分は理解しなければならない。そう思うなにかがあった。そこで、一旦研修のことは忘れることにして、一冊のビジネス書として読むことにした。これが幸運だったと思う。結果的に私はこの本を通して、視野を「良い研修の作り方」ではなくて「組織開発」に広げる事ができたし、その視点から「研修」を眺め直せるようになったことで、本当に必要だったことを期せずして得ることができた。私が得た視点を簡単にまとめるとこういうことだ。

  • 世の中の問題には「分解すれば解ける問題」と「分解すると解けなくなる問題」がある。分解すれば解ける問題は簡単だからもう殆ど解決されている。今残っている深刻な問題は「分解すると解けなくなる問題」だ

  • なぜ「分解すると解けなくなる」のかというと、個々の事象は個別に起こっているのではなく相互に影響を及ぼし合っているからであり、その結果、一つの事象に対処した結果他の事象がより大きな副作用を産んでしまったり、対処したはずの問題がなぜかもとに戻ってしまったりするから

  • よってこのような複雑な問題に対処するためには、問題を「分解する」のではなく「綜合」し、相互の相関を考慮しなければならない。このような考え方が「システム思考」である

  • システム思考で問題構造を明らかにすると言っても、人によってその人が見えているシステムは異なる。人は自分の視点、考え方から逃れられない。この自分や他人それぞれに異なる「メンタルモデル」が存在することを認める必要がある

  • 異なるメンタルモデルを持つ人が同じ事象に対してシステム図を描き出そうとすると異なるシステム図ができる。複数の異なる立場が共同で1つのシステム図を描き出すことができれば、相互に個々の立場を超えて、問題の全体像を理解することができる。このプロセスが「チーム学習」である

  • チーム学習の結果一つのシステム図を描き、そしてそのシステムにどの様に介入するとどのような新しいシステムへと移行できるのか、を考えることができれば、それが組織が目指すべき「共有ビジョン」となる

  • ちなみにここまでのプロセスは理屈では簡単だが実行するのは簡単ではない。なぜなら、チーム学習し共有ビジョンに至るまでには自分と異なる利害を持つステークホルダーと真摯に対話を重ねていかなければならないし、そのプロセスの過程においては「相手」ではなく「自分」のメンタルモデルを変えていくことも含まれるため。その困難を引き受け、自己変革を含めた組織変革へ取り組む覚悟「セルフマスタリー」がなければならない

このようにまとめると、冒頭のような説明(「弊社は学習する組織だから人材育成を重視しています!」)が「学習する組織」が本当に意味しているものへの誤解を助長するものになってしまうことがわかる。「学習する組織」とは、「教えること」の話は全くしてない。「(自ら)学ぶこと、そして変わること」の話だ。そして、組織に潜むシステムをあぶり出し、そのシステムに介入することで新たなシステムを作り出すこと、このようにして組織の問題/個々人の問題を綜合的に根本的に解決していくことの話だ。

でもこれを知ることは、私が"Learn as Breathe"に辿り着く道のりに欠かせないものだった。この思想体系を学んだからこそ、「どうすれば良い研修ができるか」という視点から「そもそもこの研修が解こうとしている課題は何か?」「その課題は果たして研修で解くべきものなのか?もっと適切な別の方法があるのではないか?」「コストをかけなくても、ちょっとシステムに介入するだけでゲームチェンジをすることができるのではないか?」「本質的な変化を起こしたいなら、まず問われるのは自分の覚悟だ」という視点に広げることができた。

私が自分を"Learning Specialist"と思っていないのもここから来ている。"Learning Specialist"と言われる場合の"Learning"とは狭義の意味で、「≒研修」だ。でも私は「研修屋さん」ではなくて「組織変革屋さん」でありたい。その道具の一つに研修があるだけだ。

「学習する組織」に対する誤解について自分の体験を踏まえて書いてみたけれど、この文章はどちらかというと「『学習する組織』とは教育に投資を惜しまない組織だ」という誤解をしていた嘗ての自分に、「それ、ぜんぜん違うよ。だけど、絶対役に立つからまずはじっくり読んでみたら良いことあるよ」と言いたいだけのものだ。だから多分「『学習する組織』を理解したいけど理解できない」という思いをお持ちの方にはあまり役に立たないものだと思う。今回は当時の自分に対してアンラーニングをおすすめした回だったが、次回以降は「学習する組織」そのものへの理解を深めていくため、5つのディシプリンについて一つずつ書いていきたい。

シンクロニシティの訪れ

なお。私は「学習する組織」を一人で学んだわけではない。ちょうどその時、SoL Japan (The Society for Organizational Learning) が学習する組織を基礎から学べる学習コミュニティを運営していて、私はそこに飛び込んでみることにした。それまで社外のコミュニティに自分から申し込もうと思ったことなど一度もなかったけれど、このときばかりは自然に手が動いた。そこでは沢山の出会いに恵まれ、多くの先達そして同志から学びを得た。毎月のように読書会にも参加して討議を重ね、いつの間にかファシリテーターをする側にもなっていた。一つのきっかけが次のきっかけを産み、予期せぬ偶然の連鎖が立て続けに起きて、自分の視野が大きく変わっていくのを感じた。この体験は更に私をシンクロニシティ、U理論に誘った。意図せず自分のセンスに従って求めるものを求めて行った結果、そのアクション一つ一つが不思議とその後の自分を形作る重要なピースになっていった。

このとき出会ったみなさんとは、その後特に密に連絡を取り合っているような関係ではないけれど、一方的ながら「同志」の思いを持っている。何かあったときはいつでも自分にできることをしたいと思うし、もう恩を直接お返しできなくなってしまった方の分も、恩送りをしていきたいと思う。それは、ささやかながらこんなことを始めてみた動機の一つだ。

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