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モーフィアスといっしょ:「メンタルモデル」の外側へようこそ - 学習する組織#2

Take the Red Pill

前回のオニ太郎の話だけでも5つのディシプリンは語れてしまうのだけど、ちょっとそれだけだと詰まらないので今度はマトリックスの力を借りたい。映画の解説に立ち入ることはしないので、もしマトリックスを見たことない場合ぜひご鑑賞あれ。(ひとまず第1作目だけでOK)

モーフィアス「これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青い薬を飲めば、そこでこの話は終わる。君はベッドで目を覚ます。そして、何もかも忘れて、自分が信じたいものを信じ続けて生きる。赤い薬を飲むと、君は不思議の国にとどまる。そして、ウサギの穴の奥底がどれくらい深いものかを知ることになる」

ネオがこれまで暮らしてきた現実の外側に足を踏み入れることになる重要な選択をする瞬間。これまで現実そのものと思って暮らしていたその世界の外側に、実は別のメタ世界が存在している。ネオは赤い薬を飲み、メタ世界で目を覚まし、これまで自分がマトリックスによって創られた世界で生きていたことを理解する。そして、これまで自分が生きていた(と思っていた)「現実」の外から、そこへ働きかけ、変えて行く力を手に入れる。

ここまで大げさでドラマチックな話じゃないけれど、「メンタルモデル」が言っていることはまさにこれだ。自分が捉えている「現実」は、あくまで自分が「現実だと思っている」だけのものだ。その外側には違う現実がある。また、自分が考えている現実と、他者が考えている現実も、実は結構違う。でも自分が現実を現実と思っている限り、まさかその現実を変えられるなんてことは考えられない。でも、もしその現実を外から眺め直せるなら、その世界を「書き換える」ことができるようになる。ネオが嘗ての彼にとっての現実を自ら書き換えていく様に。

逆を考えたほうがわかりやすいかも知れない。ドラクエでもファイナルファンタジーでもいいけれど、その世界観の中で、主人公はその世界においてその世界の法則で生きている。例えばその世界では魔法が使えたりするし、一度致命傷を負っても復活できる。それを当然のルールだと思って振る舞っている。でも、もちろん私達はそれが「現実」そのものではないことを知っている。場合によってはそのゲームのプログラムを書き換えて、魔法なんて使えなくしたり、一度命を落としたらGame Overにすることもできる。モーフィアスはゲームの中で主人公に赤い薬と青い薬を提示して、赤い薬を選択したらゲームの中からシャットダウンプログラムを起動する。そして私達は現実に戻る。これと同じこと。

世界は舞台、人は役者。

マトリックスは映画だ。だけど、今私達が生きているこの世界も私達が現実だと思っているだけかも知れない。シェイクスピアも言っている。「世界は舞台、人は役者」。私達は今、人生の舞台の中で自分という役にのめり込んでいるだけかも知れない。たまには役を降りて、他の役者とともに「このプロットどう思う?」なんて相談しあってみてもいいかも知れない。もしかしたら、より良いプロットに書き換える機会になるかも知れない。

自分も他者も、それぞれのメンタルモデルの中で生きている。桃太郎は桃太郎のメンタルモデルを持っているし、オニ太郎はオニ太郎のメンタルモデルを持っている。お互いがお互いのメンタルモデルを抱えたままでは、その外側に潜む大きなシステムを理解することも、ましてや変えることはできない。

ということで、「誰しもメンタルモデルを持ってるし、それはそれぞれ違うものだから、そこを前提として出発しなければシステムの問題は解けないよ」というのが、学習する組織においてメンタルモデルが扱われている理由だ。

たとえモーフィアスが来なくとも

一つ問題が残る。普通、モーフィアスは来ない。少なくとも私はあったことがないし、誰かのところに来た、という話も寡聞にして聞いたことがない。桃太郎のところにも、オニ太郎のところにも、モーフィアスはやって来なかった。では、もし私達がRed Pillを飲みたかったらどうすればいいのか?

答えは唯一つ。「自分でRed Pillを作って飲む」しかない。そしてそのための道具(=自分のメンタルモデルを客観的に理解する道具)こそがシステム図だ。まずは自分が考えているシステムを描いてみる。あくまで自分の考えでいい。どこまでも「自分はいま現実に起きている事象をこの様に捉えている」という理解を自分の視点で描き出す。それがそれなりの納得感で出来上がったとき、結果的に私達はRed Pillを飲んだ状態(自分の現実を外から眺める)になる。場合によってはそれだけでも、今の自分が絡め取られているややこしい現実を外から解きほぐすきっかけが得られるかも知れない。

「学習する組織」を構成する5つのディシプリンは、それぞれが独立したものではなく、相互に繋がり合っている。5つのディシプリン自体が「学習する組織」を構成する「システム」なのだ。よってあと3つのディシプリンも、「システム思考」「メンタルモデル」と密接に関係し合う。独立して理解しようとするとわかりにくいので、繋がった大きなストーリーの要素として理解するのがいい。

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