壱村健太と太田龍一の共通点。
山上徹也批評家の壱村健太と会計事務士の太田龍一は同質の存在だ。
なぜならば、どちらも自分が所属する界隈で虐められているからだ。
彼らには居場所がない。
権威主義なミズサーやだめライフ愛好会では新興宗教二世や年上、本物志向の壱村健太はイジられるぐらいしか消費の仕方がない。
反権威なChaosForestやあの界隈では、男性、年上、普通の太田龍一の大衆志向は煙たがられるのが関の山だ。
しかし、この二名のお兄さんたちには、排除されているがゆえに現実が見えている1つの冷笑を徹底した先にある冷笑できない答えがある。
つまり、ミズサーやだめライフ愛好会界隈へ行くべきは太田龍一であり、ChaosForestやあの界隈へ行くべきは壱村健太なのだ。
冷笑的な真実はむしろトレードオフだ。
もっとも2人は虐められている冷笑的な日常にどこか居心地を抱えている。
しかし、冷笑の先にはシしか待っていない。
だとしたら、2人はもう半分は旅立つ他はない。
山上徹也批評をする壱村健太はYouTuberになり、太田龍一はXやリアルオフ会でだめライフ愛好会などを批評しボコボコに殴りながら居場所を確立するべきなのだ。
もっとも本人たちは冷笑される構造的弱者に安住するだろう。
しかし、冷笑の良いところは、確実に勝てることだ。
FPもとこのように垢全停止して消えたくないのならば、壱村健太、陽キャ哲学のように発狂して統合失調症になって阪本明日香に玉砕したくなければ、
そして、井高社長に2人が刃向かえるならば。
壱村健太さんはFPもとこそのものだし、太田龍一は陽キャ哲学そのものだ。
逆に言えば、冷笑的悲劇の2人こそが現実的な「仕事」ができるはずだ。
FPもとこの、そして、陽キャ哲学のバトンを継いでくれ。
壱村健太さん、太田龍一さん。
それが文学者とは違う批評家=冷笑家の仕事なのだから。
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