こだわりが強いことは、いろんなことを考え、人生を深くする。

ぼくはよく「こだわりの強い人間だ」と言われることが多い。ぼく自身もぼくのことをこだわりの強い人間になるのだろうと思っている。例えば、ぼくの好きな色は端的に言えば緑なのだが、緑色すべてが好きと言うわけではない。ぼくの中では、気持ちの良い緑色とそうではない緑色が明確に分かれていて、それを他人に説明するとよく不思議な顔をされる。友人と買い物に行くと、視界に入ってくる緑色に対して「あれは好きな緑」「あれ好きじゃない緑」と、逐一報告していた。それを繰り返してると友人も、ぼくの感覚が理解できて来たらしく、3年後にはぼくが好きな緑かどうか判別できるようになっていた。

どういう経緯で、こうこだわりが強くなったのかと言えば、小学生の頃のクラスの中での物知り博士としての立場があったと思う。より詳しくより正確により早くいろんなことを知っている、その状態を常に維持することが、物知り博士としての使命として、ぼくはいろんなことを調べた。その後、中学生になると本格的に本を読むようになり、知らない言葉が出てくると、よく辞書を引いていた。

そこで面白いと思ったのは、似たような意味の言葉が世の中にたくさんあることだった。例えば、「寂しい」と「淋しい」はおなじ「さびしい」という言葉だけども、その成り立ちが違うし、意味合いが違う。だから「ひとり旅は淋しい」とか「寂しい景色だ」のような文章を見ると違和感を覚える。似たような言葉の中から、その言葉を選んだことには意味がある。そう考えて本を読むようになると、より深く本の世界に潜り込んでいけるような気がしていた。

言葉だけでなく、料理やファッション、様々な道具にはそれぞれそうなっている理由がある。理由を探し理解することで、知らないときより面白味が増すし、自分が選ぶときに、より楽しめるし、より効果的にできる。

理由を考えてよく理解する、そして適切に使える
ぼくはそれが楽しいから、こだわりを続けている…たぶん。

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