6月7日

ラフ完成しそうだったけどやめた、描きたいやつじゃない…

一生これ

絵を描きたいという衝動になるタイミングはよくあるけど、何を描いても描きたいやつじゃないと思ってラフでやめてしまう、ぜんぜんだめだ〜

自分の感じていること、世界の好きなところ、見方、空気感とか匂いとか見た目以外のこと、
そういう要素が、のってる絵が好きだしやりたいけどまったくやれたことない。高校で一応絵の勉強してたときも、納得のいく絵を描けた記憶がまったくない、自分は絵が好きじゃないのかと思うことはあるけど、そういうわけはないと思う。

顔とかを褒められるより絵を褒められた方がぜんぜん嬉しいし、見た目や振る舞いなんかより世界に残るものの方がよほど意味があると思う。
けど実際僕はただの消費者をずっとやっている。
ちゃんと学んだり、手っ取り早い情報以外のことちゃんと探さないとだめだ。
たいした練習も、なんもしてないからまずやれよってことだけど。でもやるんだよ のおっさんを見習わないと。

劣等感はつよいと思うけど、他人ごとのふりするのは昔からうまいので、ぜんぜん好きじゃない自分のことを直視しないようにしていると思う。
このままじゃだめだ〜〜。何回も思ってきてるけど、だめ。

あの顔になりたいとか、あの職業になりたいとか、こうなりたいとか、そういうあこがれはなくなったけど、それはそれで 目を背けてきた自分の人生というのは、ほんとうになんなんだとなっている。
なんもねえ〜〜〜〜〜〜〜。
病気っぽい創作物に浸っているときが一番落ち着いている、けど、光のような作品に打ちのめされて涙がでることも最近多い
なんもねえのがくやしいな、鬱病になってからごっそりすべてがなくなった感覚、年数を重ねたりいろんな人や世界と関わって少しずつ取り戻ってるとは思うけど、なんだかこう、どうしても周りと比べてはしまう。そんなこと無駄かもだけど〜。

ちょっと料理できるようになったり、散歩できたり、いっぱい人と話せるようになったり、運転できるようになったり、死にたくなくなったり、そりゃまあ回復はしてるんだけど、
苦しまないようにしようとすることだけ上手くなって、自分がときめくこととか したいこととか 気持ちとか そういう大切なことへどうやったら目を向けられるかがわからなくなっちゃった。

ずっと10代のひりつきやエネルギーとか残酷さが描かれてる作品のことや、子供のころにみた映像や世界だけがずっと頭のなかで繰り返される感じ、そこで時が止まっている気さえする。

まあこのままじゃだめだという気持ちというのに襲われている時は大体人生マシになる傾向にあるので、楽観的には捉えている。

自分の人生が自分ごとになってきたのだと思う、やっと、、、、、、、


知らない誰かに自分の体とか、時間とか、お金とか、握られている感覚?とらわれている感覚?そういうのは高校すぎてからだいぶなくなったけど、ここ数ヶ月でなんか開放的な気がしてきた。
そうなったらそうなったで生き方わかんねえよ〜世界グロいよ〜と思ってるけど、もう一度子どもをやれるような感覚もある。そうポジティブにいくしかないな。

ファンアートを描きたいどうしても、という気持ちだけは逃さずに、なんとか掴んで、やっていくしか自分が存在している理由がまたひとつ消えてしまう
言葉や文として記すのはラクなんだけどなあ、それだけでは収まりきらない感情がある。
何かモノを見ている時間のなかでとても感動する瞬間、あたまの中でいろんな図形とか、色とか、質感がオノマトペ的に浮かび上がったりする。
それが僕の言語なのだと思うから、出力する方法を探るべきなのだと思う。
いろんな場所に行ったり、カメラで何かを写したり記録したり、そういったことの方が得意だとは思うけど、絵を描くことへの憧れやときめきはやはりあるなあ。

別にプロになるつもりなどないし、評価を受けるために頑張らないといけないわけでもないのだから、僕はもっとのびのびとするべきだと思う。なんかずっと、常になんかの勢力とか圧力に脅かされるような気持ちがうっすらと消えないけど、それは自分自身なのかもなあ、幻想。嘘の恐怖…。

とりあえず今日はいろんな人のイラストを見たり、添削動画を見ていた。
自分の絵、好きじゃないな〜と一生思っていてくるしいから好きな表現を真面目に考えるべき。寝て起きたらがんばる。

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