6月18〜19日 踊り子日記読んだ日記

この前日記に書き忘れた。
髪の毛を紫→ピンクのグラデーションにセルフで染めたのに、写真撮り忘れた。
染めた次の日に銭湯行ったら(色落ちちゃうよー)知らないおばさまに、それって2回に分けて染めるの?えー自分で染めたの!?一回で!?へー!私はやる勇気ないけどすごく綺麗ねえ 知らない人に話しかけちゃってやだわあごめんね
てな具合で褒められて、嬉しかった。
本屋とか、喫茶店とか、そういうとこのレジのお姉さん、商店街にいるおばさまとかも、褒めてくれがち。


やっぱね、この時期はみんな落ち込みがち。自律神経やられがち。
謎の希死念慮がうっすらとつねに頭の中をもやもやしていて、5〜6月はストリップにかなり元気付けられた。
そろそろ今年半分終わるし、もうすぐではじめてストリップ行ってから2年ほど経つし、そろそろ観劇の記録をまとめたいところ。

気は落ちてるけど、運はいいんだよな。人に恵まれてるし、機会に恵まれているというか、軽い奇跡の重なり。嬉しさ。
ここまで大切なもの、たくさん見えていて、今日はひさしぶりにBeatlesが心に沁み渡る、音楽ってこんな綺麗に聞こえてたかそういえば。よかった。

ひさしぶりに自分の部屋、なんか、古いにおいがする、なんだろう 劇場で撮ったポラロイドのにおい?ふとんのにおい? 知らないことは落ち着かない。

んで、まあ、職は安定してないし、三大欲求とかあんまりないなーって感じだけど、未来のこと考えてみればそりゃ不安はたくさんあるけど明るいたのしみはたくさんあって。
それでもこんなに重たくてずーんってしてるの、もはやフィジカル面の問題な気がしてきた。
栄養不足、自律神経、血の巡り、など?わからんけど。
ケミカルな薬など飲んで心を安定させたいわけでもない、、、"自分の体に課金する"て感覚があるから課金って勿体無くてしたくねえって思うんだけど 流石にずっと上半身とか頭が重だるいので、これ整体とかなんかしら課金してメンテナンスすれば治る気がしてきた。

日本とかでていきたいけど、どうしようもねーなーって思うことよりも、生きるのたのしーなーとかうつくしーなって思うものもたくさんあるわけで、まわりの友人にも恵まれているわけで
僕が僕自身から、目を背けたり、人生から逃げようとせず、ただ受け入れていくこと、それさえやってけば大丈夫になる気がしてきた。

と、踊り子日記を読んでそんなことを考えたり。
(ab-というストリップの雑誌を購入したら読めるものです。)

ストリップ劇場から、踊り子たちから、あまりにもたくさんのことを受け取っている。
ラブ&ピースがテーマの曲、手紙を書く内容の曲、そういう曲によく出会うここ最近であった。歌詞だけひたすらメモってあって、まだ調べる作業してない。
プレイリストを組んでいる。お客さんが少ない時にはポラでセトリを教えてもらうこともある。
普段の僕は病気みたいな音楽に共感するばかりなんだけど、劇場にいるときだけは、別の聴き方ができるの。感性が拡張されるし、なんていうか なんだろう 自分の固定観念とか 苦手意識とか、無意識の部分の刷り込みだったりとか そういうものが取っ払われている感覚。裸ってこういうこと?

踊り子日記を、Beatles聴きながら読んでる。
日記、というのはやっぱり好き。日記を公開しているという状態が好き。自分にしかみれない日記、僕はいつも続けられなかった。さみしくなるからかな。
自分を開示したり、嘘のない自分を出す、ということがいつまで経っても苦手で 日記なら、ただ、書くだけ 自分で自分のことわかって、大丈夫になるためのツール。読まれていても、読まれていなくても、いいんだけど。けど読まれていたら少し嬉しい。
読まれるかもなあ、まあ、こんなの誰も読まないかなあって思いながら、つらつらと言葉を並べてたら1000文字ぐらいは最近超える、友だちに、たまに 日記読んでるって言われると、あっ、生きてるなーって思う。
孤独がいつまで経ってもこわい。


踊り子日記をぜんぶ読んだ。
いやー、これ定期的に新しい読み物として読みたい。これ。すごくよかった。みんなに読んでほしい。
ああ、思ったよりもみんなヒリつきがあって 自由な感想があって 景色があって 少しのイヤなことが連続してくたばれって気持ちになったり、知らない人たちの楽しげな会話やすてきな言葉を少し聞いただけで急に心が明るくなったり、ああ心って人生ってやっぱりそうかって ちょっと安心した。

みんながどうやって存在しているのか、ずっと不安な気持ちでいた。呼吸の仕方さえよくわからなくなる日がある。異様に胸のあたりが苦しくて
それで
ここまでぽんこつで、間違い(だと思ってしまうこと)だらけで、劣等感とか色んな葛藤にまみれた中で それでも自分の人生をやりてーってそう思うの、貪欲かなあ 煩悩かなー ダメな子かな。ってたくさん思うけど。日記、読んでて あー人間ってこうか…そうか って思ったら、安堵のきもちになった。
人間くささ。好きだな。

みんな、Twitterじゃなくて日記してくれないかな。
なんでこんなに日記が好きなんだろ?
お手紙も好き。
なんでだろ。
りりちゃんの1日前にあがってたやつよかったな。人生のはなししてるやつ。
なんですきかな。
リアルタイムのやり取りじゃなくって、より自由で、しばられずに自分の気持ちをのせれるっていうか。
ねむい。言語化できない。

好きな踊り、いつか見れなくなっても、心の中で生き続けるんだと思う。
踊り子になる妄想をする。
別の人生があればやりたいな、って思うんだけど、もしかしなくてもいまの人生でやりたいのかな。とか、軽々しく言うけど。
考えれば考えるほど、(できるかやれるかはさておき、)自分の人生でやりたいこととか 好きな生活とか 世の中に存在しているあらゆる職業とか いろんなことを考えて、踊り子っていう生き方に かなり憧れがあると思う。憧れはある。あるなあ。
踊り子になる妄想、は、ステージ上のキラキラしている 客から見える部分のことしか妄想できないし、まあ、これも、ただの夢。
考えたら、すごくときめく。いつまで続くんだろうこの気持ち。どんな決意もルールもすぐに破ってしまう脆い心。僕の中で本当にしたいことはなんなんだろう。どうしていきたいんだろ。
女だし、若いし、決まった仕事についているわけじゃないし、条件だけはあんの。だからより、宙ぶらりんだからこそ、彼女たちに憧れるのかな。ステージを踏み締める筋肉、伸びやかな四肢、僕が人生で一回もしたことないようなキラキラの笑顔、憧れるだけ。きっとあんな生き方は選べないから… 客としていられなくなるわけだし。
数年スト客をやってから踊り子になったひとたちの記録を、もっと読みたい。どこかにあるかな。
Twitterに直接はこういう気持ちかけないけど。こっそりと。ふしぎなかんじだ。子どもの時期を抜けてもこんなに好きになれる世界があるなんてね。

ねむる。


起きたら思ったよりも読まれていて、少し恥ずかしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?