母の笑顔がそこにはあった

皆さんにとって忘れられない食事はあるだろうか。私には忘れられない風景があって、今でも容易に思い出す。それも一つではなく二つ。どちらも母が特別に用意してくれた食事を食べることになった時の記憶だ。

高校三年生のあの日、朝からツイてなかった。何かテンションが下がることがあって、さらに生物の授業の教科書を忘れていることに気付き、一気に気分が落ちてしまった。もう学校にいられない気持ちになって、学校の公衆電話に行き、母に電話した。早退してもよいか尋ねたのだ。母はいいよと言ってくれた。安心した面持ちでそのまま職員室に行き、担任の先生からも早退の許可をもらった。教室に帰る途中の渡り廊下で、クラスメイトの男の子と目が合った。なぜか声をかけられ、今から帰ることを伝えると、いいなぁ、俺は信じてもらえなくて帰らせてくれないと羨ましそうに言われた。受験も近かったからだろうか、どことなしか受験生であることに疲れているように見えた。

家に帰ると、母がお好み焼きを作って待ってくれていた。母と向かい合って座ったあの時の母の笑顔を忘れることがない。明るく優しい声で話をしてくれる母の顔を見ながら、温かい出来たてのお好み焼きを口にして、気持ちがどんどん丸くなって行った。

私が早退したのは、後にも先にもその一度きりだ。人には、ふとどうしようもなく、気持ちが滅入ることがあるのかもしれない。明るくよく笑うと言われた私にも、そのような一日があったことは、人間の弱さが殊更に表れているのかとも考えてしまう。だが、それは、私の人生を象徴していたのだろうか。社会人になって、東京に出て辛いことがあった時、また母と向かい合って座った日があった。実家に帰って、母は私が元気のないことを感じたのだろう。庭先に出していたパラソルの下でトマトスパゲティを食べることを誘ってくれた。穏やかな風が流れる日だった。母はまた優しく話しかけてくれた。母の姿を見ながら、ぽつりぽつりと言葉を発し、気持ちが解けて行った。

お好み焼きにしろ、トマトスパゲティにしろ、母の料理は大好きなのに、その二つだけは際立って覚えている。私も歳を取り、何十年と経っているのに、その時の風景は目に焼き付いている。

#元気をもらったあの食事

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