2. レストランで働き始めて

昨日の夕方、シェフと最後の挨拶をして別れました。

コロナの影響で少し前からフランス内で雲行きがとても怪しくなり、帰りの便を早めたため、昨日がラストの出勤でした。

急でしたが、2日前の20時のマクロン大統領による発表で、翌日よりフランス全土のレストラン、カフェ、シネマなどの商業施設を1ヶ月間営業停止する旨を伝えられました。隣のイタリアンの店の店長が来て緊急井戸端会議が始まった時、渦中にいる感覚がとても強かったです。最後はみんな酔っ払って笑い声がありましたが笑。それでも最後に別れた時のシェフの顔が忘れらない…

今現在は勤務を終えた身ですが、このnoteでは働き始めた頃の様子を書きたいと思います。

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フランスに着いて3日目が初出勤日でした。前日に6時間以上パリ市内を歩き続けたせいで足が疲労していました。Zさんと共に朝8時15分に家を出て、レストランへ向かいました。坂道がキツかった…

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初日の朝一なので、記念に"Day1"みたいな写真をレストランの前で撮ろうと試みるも裏口から早く入るように急かされてかっこいい写真撮れず。

キッチンに入って最初に対面したのはいかついシェフ、ではなくとても大きいオマール海老でした。

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(テンション上がり過ぎてパッと見何かわからないくらいぶれてる)

オマールの処理は朝の仕込みの一つなので毎日やってました。オマールを手で割ってから蒸して殻を剥きます。良い意味で生々しい匂いが溢れるため、食べる時とはまた違った、香りで楽しむ作業でもありました。

その後、パンを焼き、小鉢を作り、その他の食材の処理などをしました。「こう切って、こうやるんだよ」とZさんが教えてくれるも、意外と自分でやってみると一つ一つの作業が難しい。後にわかりましたが、Zさんに教えてもらって作業をやるのと、シェフに教えてもらって他の作業をやるのでは何故か理解度が違いました。これはZさんの場合は作業を見せてニュアンスを伝えようとしていましたが、シェフは一つ一つの動作のポイントとその理屈を話しながらやっているからでした。

そうこうするうちにまかない*の時間です。記念すべき最初のまかないも写真を撮り忘れましたが、クスクスと目玉焼き?だったような気がします。前日まで機内食、クロワッサン、サンドイッチしか食べてなかったので、タンパク質感のある食べ物に飢えており、かなりたくさん食べました。

*昼ご飯と夜ご飯はレストランでまかないを頂いていました。まかないはシェフが作ってくれて、シェフが不在の際はマダムが作ってくれました。
**ここで言うマダムとは住んでいるハウスのマダム(フランスのおばあちゃん)ではなく、シェフの奥さんです。フランスでは女性はマダム、男性はムッシュと呼ばれることが多いです。最初にパン屋で"ボンジュールムッシュ~"と話しかけられた時はテンション上がりました。

食事が終わった頃にシェフと初の対面。カッと目を開いて目で語ってくる感じの人でした(第一印象)。色々念を押されました。つい気張って念を押し返そうかと思いましたが、グッとこらえました。後でわかりましたが、こらえていて良かったです。

ここで軽くレストランの人物紹介をします。

シェフ、マダム(シェフの奥さんでフランス人、ホールもたまにやってる。この方について色々書きたい。)、ミゲル(名前はミゲルではありません。途中までずっとミゲルだと思って間違って呼んでました。デザートを担当。)、Zさん(同じところに住んでる日本人でキッチン担当)、Gさん(洗い場の担当)、Mさん(ホール担当)。

一人一人かなり思い出深いのですが、少しだけ特に思い出深かったことを書きます。ミゲルに関して、最初のまかないの時からずっと食事中に彼の視線を感じていました。目線だけをこっちに向けるとかではなく、首ごと僕の方に向いているため、もはや豚肉をナイフで切りながらでも余裕でわかりました。しかも大体笑ってます。2日目ごろの日記には、”ミゲルはやばいやつ、もしくはとてもやばいやつのどっちか”と書いてありました。2日目が終わった時に、「ビズチャオ!(意味:不明)」と言われて投げキッスをされました。何かを察しましたが、「フランス流の別れの挨拶なのかな」と自分なりに消化させていました。

ある時、彼に「パリで1番面白いとこってどこ?」と彼に聞くと、「ゲイクラブ、まあコロナで閉まってるけどね;)」と返ってきてようやく色々合点がいきました。彼は時々、「kiss?」とか言って気軽に、とても重い提案をしてくることがありました。その時は「コロナがあるから濃厚接触できないんだ」とコロナを身代わりにしてました。

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(日本ではまず見かけなそうな広告が駅に)

ホールをしているMさんはフランス以外のどこかの国から来ていて、どう見ても英語を話せそうな感じでした。そのため、彼女とはずっと英語でやりとりしていました。しかし、何日が経った時、途中で「あれ、おかしいな」と思って「英語話せるよね?」と聞いたら「Non, Non!(意味:いや、わからん)」と言われました。よく聞くと彼女はずっとフランス語を話していました。英語とフランス語で謎の意思疎通が取れていました。

さらに脱線しますが、言葉について。僕がシェフやZさんと話す際は日本語で、ミゲルとは英語で話していました。ただ、シェフやZさんが他の人と話す時は基本フランス語でした。僕はフランス語はほとんどわからない状態で来てしまったので、フランス語の会話は何もわかりませんでした。頻繁に使われる単語「セボン!(意味:不明)」、「ワラ(意味:不明)」、「サバ(意味:不明)」に関しては使われているタイミングだけは掴めたので後に僕もよく使うようになりました。

フランスの人はよく"Pardon"と言います。記憶が正しければ働いた初日、鍋の蓋を触った際に、思わず「あつっ!!」と叫びました。そうすると横を通っていたGさんが”Pardon”と言いました。英語だとPardonは"もう一度言ってくれ"というニュアンスなので、「日本語が珍しいからもう一回聞きたいのかな」と解釈し、自分の中の微小な芸人魂を総動員して「あつっ!!!」ともう一回やりました。無反応でした。滑った悲しさを感じるよりも先に、日本人のZさんが近くにいないか見渡しました。彼は外にいました。被害を最小限に食い止められてよかったです。帰って調べたところフランス語のPardonは用法が異なるみたいです。https://allabout.co.jp/gm/gc/446724/2/


ようやく仕事の話に戻ります。僕の仕事は①シェフのサポートと②前菜(小鉢など)作りです。ただ、キッチンをシェフとZさんと僕の3人で回しているため、あらゆる仕事が降ってきます。初日はZさんの仕事ぶりを横で見ながらメモを取り、盛り付けの手伝いをしました。

ゴイクン、シュー、パタドゥース、ルピンヌ、、、など言葉からはビジュアルを想像しにくい(ググっても出てこないものもある)用語が飛び交う中、必死にメモを取っては作業をし、盛り付けをしてシェフのところに持って行き、怒られを繰り返しました。”怒られ”に関してはそれだけでエッセイが書けるくらい長くなるのでここでは割愛、もしくは次回以降に書きます。

このレストランではある料理にキャビアが使われます。チョウザメの卵です。Zさんがキャビアをその料理に載せる作業をしている途中、僕はそれを物珍しそうに見ていました。すると、「お前キャビア食ったことある?」と聞かれ、「(記憶にある限り食べたことなかったため、)いや、食べたことないです」と答えると、「手ェだせ」と言ってキャビアを数粒食べさせてくれました。味はいくらに近かったです。「そりゃあ魚の卵なんだからジャンル的にはいくらかぁ」と思いながらも、「味はいくらですね!!」なんて返すわけにはいかないので、もう少し丁寧に美味しさを表現しました。

1日目が終わった時、「戦場に来てしまった…」と思いました。戦場といえばそこには軍隊がいます。今まで経験したことのない"激烈な"上下関係も軍隊の様相を増す要因になっていたかもしれません。次の投稿で書きます。

余談ですが帰国したらこの本を読みたい。https://www.amazon.co.jp/調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論-幻冬舎文庫-斉須-政雄/dp/4344407717

続く

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