脱・筋トレ思考を読んで(第1章)
「これからの市民活動同士のつながりを考えてみよう」というNPO,市民活動のための講座に参加してきました.色々と面白いお話は聞けたのですが,登壇者である西川正さんからこちらの本をご紹介いただきました.
脱・筋トレ思考
フィールドでの練習ができない中,それなりに筋トレを中心に行っている現在の自分にとって衝撃的なタイトルですが,「そういうことではない」ということは読めばすぐにわかるようになっています.
まだ第1章しか読んでいないですが,自分も読みながら色々と思うところがあるので,書き出しながら読んでいければと思います.
まずタイトルにある「脱・筋トレ思考」というのは,「筋トレしちゃダメだよ」って言っているわけではありません.「筋トレ思考」とは,
勝利至上主義や商業主義,過度な競争主義
などのことを指しています.
目に見えてわかりやすい目的を掲げ,それに向けてシンプルな方法で解決を図る考え
とも書いてあります.
筋トレは確かに,多くのものを定量化しやすいです.重量や回数,それに伴う体の変化は,体重や体脂肪率,あるいは腕や脚の太さと言ったところまで,多くの要素が定量化できるものです.本文でも語られていますが,数値のように目に見える目標があると人間は努力できるものだったりします.
それに対して,スポーツというのはそんなに単純なものではありません.ここで自分がゴルフを始めた話と大きくリンクしてくるのです.
小学生の頃からスポーツに取り組んできた中で,「運動神経の良い人」と「運動神経の悪い人」という大きく2種類の人種に出会ってきました(わかりやすくするためにあえてこういう書き方をしています).特に中学生女子にソフトボールを教える際には,スポーツ経験がほぼない選手である確率も高いので,この2種類の人種によって大きく教え方が異なります.
スポーツをする上で「コツ」をつかむことが重要であるのは,多くの方がご存知だと思いますが,本文中に
感覚世界
という表現があります.
「コツ」をつかめるかどうかは,この感覚世界でいかにジタバタできるかにかかっている
を本文では書かれています.
これに関して自分はとても共感できます.「運動神経が悪い人」にありがちなこと,側から見てありがちに思えることは,ある1つの動作を練習するときに「同じ動きを繰り返している」ということです.その中に試行錯誤している様子が見えないのです.本人の中で少しは違うことをやっているつもりなのかもしれませんが,その違いが非常に微小です.「ジタバタ」できていないのです.
「運動神経の良い人」は,ある1つの動きを習得する練習の中で,明らかな試行錯誤が見えます.そういう人はそもそも他人の動きを模倣するのが上手だったりもしますが,そこに「運動神経の良し悪し」のようなものが隠れているのかもしれないと常々自分は考えています.本文中ではこれを「早熟」と「晩成」という言い方をしています.早熟な人は「感覚世界という暗闇」を,
目星をつけた方向にためらうことなく歩ける人
そして晩成な人は,
右に左に迷いながらときに立ち止まりつつ歩く.
と言っています.
自分は特に中学生を指導する中で,前者は伸び悩み,後者は伸び続ける傾向にあると考えます.試行錯誤できる力があれば,色々と迷いながらも進んでいく人の方が,多くの発見があるようにも思えます.
ここで自分がゴルフを通じて検証していきたいことの話になります.当然ですがゴルフにはプロやとても上手い人たちが日本や世界にたくさんいます.その人たちは間違いなく,ゴルフをほとんどやったことのない自分と比べて,感覚世界でジタバタした経験があります.そしてジタバタした結果,おそらくこっちだろうという方向に歩んだ歴史があります.
そこで当然ですが,その人たちが培った功績を使わない手はないわけです.ゴルフは非常に人口の多いスポーツですし,スクールなどの指導体制も非常に整っているスポーツだと言えます.お金を払って教えて貰えば,その人の経験からこの方向に進んでいくとジタバタする時間が省けると教えてもらえるわけです.
でも自分はスポーツを指導する中で,良い「ジタバタの仕方」をなんとなく捉えている気がするのです.なのでそれを確実なものにできないかというのが自分のチャレンジになります.
具体的に言えば,プロの方から「直接指導をウケる」のではなく,プロの方の映像を見て「真似る」,そして「どういう感覚で打っているのか想像する」ということをします.何もわからずジタバタするより,プロの方の「ジタバタした結果」を見ながらジタバタした方が,その感覚に近づけるはずだからです.
自分がこの手法が良いと考えるのは,あくまで「ジタバタすること」を前提として考えているからです.誰かに教わって,「こうしなさい」や「こうした方が良い」と言われてその通りにやって上手くいったとして,そこに試行錯誤がなければその体験はなんの価値も持たないと私は思うのです.
スポーツの価値,上手くなる面白さは「発見」にあると私は考えます.発見する過程,つまり「ジタバタすること」があることで,成長を実感できますし,どういうロジックでその「コツ」を会得したかが明確になります.自分はスポーツには「再現性」が重要であると考えます.なんとなく上手くなっただけでは「再現性」は得られません.「コツ」を忘れてしまうようなことがあれば,2度と戻ってこないかもしれません.
アマチュアの指導者では人に指導するときに,「感覚的」に指導する人が多いですが,それはその人が「ジタバタした結果」得られたものであって,最初からそうやろうとして得た結果はなかったはずです.ひとつの参考にはなるかと思いますが,それだけを考えていると時間の無駄になりますし,何より「再現性」がないです.
「再現性」があれば,忘れたコツを取り戻すこともできますし,指導者としても大成できるかもしれません.
私はこのような理由から,「ゴルフをはじめる」という機会を,「上手くジタバタする方法」の検証に当てようと思い立ったわけです.上手くはなりたいですが上手くなることを目標としなくていいので,ある意味気楽です.自分のアウトプットを増やしていくためにも継続していきたいです.ちなみに最初に投稿してから打ちっぱなしには一度も行っていません.
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