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春の長野から金柑とグロテスク

 長野からやってきた金柑。酸味が良い。

実と皮にわけて金柑バターにします。我が家では、春になるとレモン、湘南ゴールドなど柑橘類をつかってバターを作ります。あ、もちろん苺でも作ります。
柑橘のさわやかな香りに黄やオレンジの色。

春の気配を食卓が纏うようで心地よく感じます。

金柑も少し酸味があるくらいの方がバターには良いように思います。

今回の金柑は小ぶりだったので皮と実を分けるのにマドラーを使用。
なかなか出番に恵まれなかった金色のマドラーが、使いやすくてピッタリ。

台所に立っていると、時々思いもよらぬものが良い仕事をする時があって、なんだかちょっと得したような、良い気分にさせてくれます。

実を抜かれた金柑たち。果肉と皮がお尻のところでつながっているのでマドラーの先の尖ったところでプチっとできるのが、これまた勝手が良いのです。

ところで、タイトルにもある通り、調理中、食べ物にグロテスクを感じます。
金柑の断面もまた然り。
瑞々しく中が詰まった金柑と果汁がなくなって肥大した種が飛び出してくる金柑
さわやかだって思ってたはずなのに…
そのコントラストがグロテスク。

でも、命がつぎに何かを繋ごうとする姿にそう感じてしまうってなんだろうな…なんて思ったりはするのですが、
そもそもグロテスクな側面は何事にもあるもので、だからこそ、わたしは心惹かれたりするんだな。

「不思議の国のアリス」や「怪獣たちのいるところ」に夢中になったり、立派なお屋敷の門の上に変な生き物がいたり、私たちは意外とグロテスクと共存して共感していたりするんだなと金柑をひたすら剥きながら思った春の日でした。

きっとグロテスクはわたしと切り離せない。


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