見出し画像

【国際ニュース解説!】2024年のイギリス総選挙: ブレグジット後のイギリスと、議会政治の歴史


ニュースの内容

2024年イギリス総選挙の概要

  • 選挙の時期: イギリスの首相リシ・スナクは、次回の一般選挙が2024年に行われることを確認しました。選挙法により、最も遅い選挙日は2025年1月28日ですが、スナク首相は2024年内の選挙を明言しています​​。

  • 選挙の背景と推測: 現在、保守党は世論調査で労働党に大きく遅れをとっており、その差は改善する見込みが少ないことから、2024年秋に選挙が行われると予想されています。また、経済の状況やインフレ率の低下などが選挙のタイミングに影響を与える可能性があります​​​​。

  • 選挙区の変更と影響: 前回の選挙で650の議席が選ばれましたが、境界変更のため、今回の選挙では600議席に減少する予定です。この変更により、多くの現職議員が引退を表明しています​​。

  • 経済政策と選挙: 財務大臣は国民保険の削減を2023年1月に前倒しで実施すると発表し、これが早期選挙の可能性を示唆しているとの見方もあります。政府は通常、選挙前に国民の手元により多くの資金を残すための措置を取ります​​。

  • 政治的課題: スナク首相は、インフレ率の削減や国民保健サービス(NHS)の待ち時間短縮などの約束を達成することが選挙の重要な要素となります。これらの課題の進捗は、選挙のタイミングにも影響を与えるでしょう​​。

よく分かる解説①: ブレグジットのおさらいとその後の動向

ブレグジットの概要

ブレグジット(Brexit)は、「Britain」(イギリス)と「exit」(退出)を組み合わせた言葉で、イギリスが欧州連合(EU)を離脱することを指します。2016年にイギリス国民が行った国民投票で、EU離脱が決定しました。この離脱は、2020年1月31日に正式に成立しました。
EUは、ヨーロッパの国々が経済的、政治的に協力し合うための組織です。EU加盟国は、商品や労働力の自由な移動が可能で、多くの国が共通の通貨(ユーロ)を使用しています。しかし、イギリスはユーロを採用せず、自国の通貨であるポンドを保持していました。
ブレグジットの主な理由は、次のようなものです:

  1. 主権と自立性:多くのイギリス人は、EUの法律や規制が自国の主権を侵害していると感じていました。彼らは、国内の法律や政策を自国で決定することを望んでいました。

  2. 移民問題:EU加盟国からの移民が増加し、これが社会や経済に影響を与えているという認識がありました。特に、仕事や社会福祉へのアクセスに関する懸念がありました。

  3. 経済的な負担:イギリスはEUの予算に多額の貢献をしており、一部の人々はこの費用が高すぎると考えていました。

ブレグジットには、以下のような影響があります:

  • 経済:イギリスとEUとの間で新たな貿易協定が必要になり、貿易の障壁が生じる可能性があります。これにより、商品やサービスの流れに影響が出る可能性があります。

  • 政治:イギリスのEU離脱は、他のEU加盟国にも影響を与え、EUの統合に対する考え方を変えるかもしれません。

  • 移民:EU加盟国からの移民の流れが変わり、イギリスで働く人々に影響を与える可能性があります。

ブレグジットは、イギリスとEU、そして世界経済に多大な影響を与える重要な出来事です。この決定には賛否両論があり、今後の展開に注目が集まっています。

ブレグジット後のイギリス

ブレグジット後の現在の状況は、以下の点で注目されています:

  1. 北アイルランドとの貿易:ウィンザーフレームワークにより、イギリス本土と北アイルランド間の貿易が容易になりました。このフレームワークは、グリーンとレッドのレーンシステムを導入し、検査と書類作業を減らしています。また、イギリス国民の間でEUの裁判所(ECJ)の役割に対する懸念はあまり大きくないことが示されています​​。

  2. 経済への影響:イギリスの経済はブレグジットの影響を受けており、特に食品価格の上昇が顕著です。2021年1月から2023年3月までの間に25%の価格上昇が見られ、食品コストに約7億ポンドの追加費用が発生しました。貧困層は食品にかかる費用の比率が高いため、この影響を特に受けています。また、ビジネス投資はブレグジットの影響で2020/21年において23%低下したと見られています​​。

  3. 国民の意識:一部のイギリス国民はブレグジットを後悔しており、YouGovの調査によると62%の人々がブレグジットを失敗と考えています。しかし、再びEUに加盟することについては、複雑な交渉が必要であり、現在の政府や主要野党はEUへの再加盟を否定しています​​。

  4. 移民問題:EUからの移民は減少しましたが、EU外からの移民が増加しています。これは、ポスト・ブレグジットの移民政策の自由度の高さや難民の流入、国際学生の増加などによるものです。特に、高スキルの移民へのシフトが目指されていますが、この長期的な利益が実現するかどうかはまだ不明です​​。

  5. 貿易と規制:イギリスのEUからのシングルマーケットと関税同盟からの離脱により、新たな国境手続きと規制上のコントロールが生じました。これは、特に中小企業に影響を与え、多くの企業がチャネル間の貿易を停止しています。EUとイギリス間の貿易協定は、品物については関税なし・割当なしでアクセスが許されていますが、サービスについてはカバーされていません​​。

これらの点から、ブレグジットはイギリスの経済、政治、社会に多大な影響を与えており、その全体的な影響は複雑であり、まだ完全には評価されていないことがわかります。

よく分かる解説②: イギリスの議会政治の歴史

13〜17世紀: 議会の成立と進化、王権との関係、内戦とチャールズ1世の処刑

13世紀から17世紀にわたるイギリス議会政治は、王権と議会との関係が徐々に変化し、議会の権力が拡大する時期でした。13世紀に始まるこの時代は、ヘンリー3世とエドワード1世の治世において、議会が王権に対して重要な役割を果たし始めたことが特徴です。特に1295年のモデル議会は、後の議会の基礎を築いたとされ、庶民の代表が議会に出席することが一般化しました。

14世紀と15世紀には、議会は主に税金の徴収と法律の制定に関与しましたが、王権と議会の間の緊張関係は続いていました。この時期、議会はより定期的に開催されるようになり、政治的影響力を増していきました。

16世紀には、ヘンリー8世の統治下での宗教改革が議会に大きな役割を与えました。議会は、カトリック教会からイングランド教会への移行を承認し、宗教的・政治的な変革に重要な役割を果たしました。エリザベス1世の時代には、議会は王権を支える重要な機関として確立しました。

17世紀には、議会と王権との間の緊張が頂点に達し、内戦へと発展しました。チャールズ1世の統治は、議会による王権への抵抗を象徴し、1642年の内戦勃発と共に、イングランドは混乱の時代に突入しました。内戦の結果、チャールズ1世は処刑され、一時的に共和国が樹立されました。その後の王政復古は、議会と王権の新たな関係を築く契機となりました。

この時代を通じて、イギリス議会政治は徐々に発展し、現代の民主主義の基礎を築きました。議会と王権の間の力のバランスは、イギリス政治史における重要なテーマであり、後の時代に大きな影響を与えています。

18~19世紀: 議会の拡大と改革、選挙制度の進化

18世紀から19世紀にかけてのイギリス議会政治は、議会の権力が拡大し、民主主義が進展する重要な時期でした。この時代は、議会の構成と選挙制度の改革が特徴的で、イギリス議会の現代的な形が形成され始めました。

18世紀初頭、ジョージ1世の治世において、王権から議会への権力の移行が顕著になりました。ジョージ1世はドイツ出身で英語が堪能でなかったため、政治的権力は首相と閣僚に移行し、議会の役割が増大しました。この時代には、サー・ロバート・ウォルポールが首相として長期に渡り政治を牛耳り、イギリス最初の事実上の首相と見なされています。

19世紀に入ると、産業革命に伴う社会経済的変化が議会改革の必要性を高めました。1832年の改革法は選挙制度の大幅な改革を行い、「腐敗選挙区」の廃止や選挙権の拡大を実現しました。この改革により、中産階級の政治参加が促進され、議会の民主化が進展しました。

同世紀の後半には、議会制度のさらなる民主化が進み、1867年と1884年の改革法によって庶民の選挙権が拡大されました。これにより、議会はより広範な国民の声を反映する機関となりました。また、議会の機能や立法プロセスも改善され、現代的な形が確立されました。

この時期の議会政治の変遷は、イギリスが現代の民主主義国家へと進化する過程において決定的な役割を果たしました。選挙制度の改革と議会の権力拡大は、国民の参政権を強化し、政治システムの民主化を推進しました。

20世紀: 世界大戦中の議会、社会・政治的改革、EUとの関係

20世紀のイギリス議会政治は、大規模な社会的および政治的変革の時代でした。この時代は、二度の世界大戦、社会福祉の拡大、そして植民地の独立といった歴史的な出来事によって特徴づけられます。

第一次世界大戦と第二次世界大戦中、議会は国家の指導と統一を図り、戦時下の重要な政策を決定しました。特に第二次世界大戦後の1945年、労働党のクレメント・アトリー首相の下で、国民保険や国民保健サービス(NHS)の導入など、包括的な社会福祉制度が確立されました。これらの制度は、イギリス社会における平等と福祉の基礎を築きました。

冷戦時代、議会は外交政策や核兵器の問題にも直面しました。1950年代から1980年代にかけて、議会は多くの国際的な緊張に対応しなければならなかったのです。1982年のフォークランド紛争は、国際舞台でのイギリスの立場を再確認する出来事となりました。

20世紀後半には、ヨーロッパ経済共同体(EEC、後の欧州連合)との関係が主要な議題となりました。1973年のEEC加盟は、議会と国民の間で意見が分かれる問題であり、後のEU離脱(ブレグジット)のきっかけとなりました。

この時代の議会はまた、選挙制度の改革、女性や少数民族の代表権の拡大など、国内の民主化を推進しました。議会の権限と役割は、国内外の政治的な変動に適応しながら拡大し続けました。

20世紀の議会政治は、イギリスが直面した多くの挑戦に対する応答であり、現代のイギリス政治の基礎を形成する重要な役割を果たしました。

21世紀: 現代の議会の特徴と変遷

21世紀のイギリス議会政治は、国内外のさまざまな挑戦と変化に直面し、それに応じて進化してきました。この時代は、伝統的な議会制度と現代の政治的要求との間のバランスを模索する過程と言えます。

2000年代初頭、トニー・ブレア首相の「ニュー・レイバー」政権は、社会政策の近代化を推進し、特に公共サービスの改革や外交政策で顕著な成果を挙げました。しかし、2003年のイラク戦争への参加は、議会と国民の間で大きな論争を引き起こし、政治的信頼に影響を与えました。

2008年の世界金融危機は、イギリス経済に深刻な影響を与え、議会の経済政策に対するアプローチに大きな変化をもたらしました。これにより、財政緊縮と公共支出の削減が政策の中心となり、社会福祉や公共サービスに大きな影響を与えました。

2010年代は、保守党と自由民主党の連立政権が誕生し、その後、保守党単独政権が成立しました。この時期には、2014年のスコットランド独立住民投票や2016年のEU離脱住民投票など、国の未来に重大な影響を与える決定が行われました。特にEU離脱は、イギリスの政治、経済、社会に大きな影響を及ぼし、議会の機能と国民間の政治的分断に新たな課題をもたらしました。

21世紀のイギリス議会政治は、変化する国内外の環境に適応しながら、民主主義の原則と効率的な政府運営を維持することを目指しています。この時代の議会は、伝統的な枠組みを守りつつも、新たな政治的課題に対応するために進化し続けています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?