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川谷絵音のセンスが欲しい

 能舞台で演奏するバンド。拍子よく絡んでくる歌舞伎メイクの女性。ラストカットはバンドの全員が能面。
 これだけ書くと情報が伝わりにくいかもしれない。だが、歴然とした日本のバンドのミュージックビデオの内容である。
 初めてそのナンバーを聴いたのは、何処かのBGMとして流れていたときだった。ジャズなのかメロコアなのかわからない曲展開と、ファルセット混じりに投げ掛けられる「アイデンティティ」のあり方。そのバンドの名前と、ギター・ボーカルの名前を知ったのは数ヶ月経ってからだった。
 バンドの名は「ゲスの極み乙女。」、ギター・ボーカルは後にVOCALOID楽曲さえも手掛けた川谷絵音である。一時はメディアの喧騒で見限りさえつけた彼のセンスに、自分は時折再注目する。
 代表ナンバー「私以外わからないじゃないの」「ロマンスがありあまる」などをつぶさに聴くとわかるが、川谷の楽曲は様々な意味で「複雑奇怪」な構造である。
 サウンドからすれば、ギターとベース、ドラムとキーボード、それに打ち込みがある程度という感触でしかない。だが、それらが発する一音一音が「ジャンルに縛られず、特定さえ難しい」曖昧さを持って出てくる。
 川谷の音楽性は、たびたび「超絶テクニック」と評され世に問われる。一見シンプルな音像であっても、例えばコピーバンド辺りが完璧に再現することは困難かもしれない。だが、バンドが形成する楽曲ビジョンはそのテクニックが枝葉末節に感じるほどのセンスを有している。
「私以外私じゃないの」の出だしは些かキャッチー過ぎるようにさえ聞こえるピアノ、そして達観したようなボーカルである。ところが直後楽曲はメロコアのような曲調に変わり、川谷のボーカルも何処かまくしたてる感覚になる。そして予告なしに挿入されるファルセット混じりのサビ。と思いきやアウトロは一転して夜のシカゴ辺りで流れていそうなジャズ調である。
 ここまで「詰め込んだ」作曲スタイルもないように思える。B'zやMr.Childrenでさえ「振り切った」作曲スタイルで知名度を上げて来たというのに、川谷が手掛ける楽曲はいろいろと異形である。
 手塚治虫や藤子不二雄が未だに評価され続ける背景に「詰め込むことを恐れない作風」があるが、川谷の楽曲はーー見方次第でーーその域さえも射程に入れているようにさえ感じる。
 続作となる「ロマンスがありあまる」もそうである。デジタルサウンドが随所に挿入されているが、全体的な作風は「私以外〜」を踏襲している。
 そんな彼らは以前満を持してベスト盤「丸」を発表したが、これはコンセプトの時点で異形の作品だった。彼らの代表ナンバーが、なんと1トラックにメドレー形式で詰め込まれていたのである。もはや手塚治虫は疎か、スターシステムを確立した赤塚不二夫の域にさえ通じている。
 これだけのセンスを有していながら、メディアの的にされた川谷絵音という男はどこかしら不憫にさえ思う。彼の楽曲には再評価の余地が十分にある。彼が知ボカロ派という事実はさておいても、これだけの器が眠っているJ-pop界隈には奥の深さを覚える。
 自分は作詞こそできるが、作曲はまともにしたことがない。そんなとき、ゲスの極み乙女。の楽曲を耳にすると川谷絵音の才能に憧れさえ抱く。彼は紛れもない「異形の鬼才」である。自分如きが逆立ちして才能を分譲されるようなものではない。だからこそ、彼の才能に強い憧れがあるとも言えるのである。

 それでは、また機会があれば。


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