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わんちゃん

 僕はペットを飼ったことがない。七夕の屋台で、ねだって取ってもらった金魚とか、山にカブトムシ取りに行って捕まえたやつとか、それくらいしか飼ったことがない。ペットはすごく可愛くて、懐いてくれたり、触れ合ったりするのはすごく楽しい。

 ただ、もし僕がいつかペットを迎え入れるとして、わんちゃんとかねこちゃんと一緒に暮らすとしてそうなったら、もし僕がその犬や猫の立場だったら、もしそうだとしたら、ずっと僕の家で暮らすことに満足して、うまく飼い主の想いに応えて暮らしていけるだろうかとか考えてしまいそうで(動物の気持ちとして何を思ってるかは分からないけど)、それが気が気じゃなくなって、ペットを飼うということについて僕は逃げてしまっている。

 だけど、動物園に行って生き物を見ることは好きだし、街でわんちゃんとか見かけると可愛いなとか思うから、ただ僕は自分自身で彼らを背負うことについて逃げてるだけじゃないか、って思う。

 ペットを飼うこと自体を否定したいってワケじゃなくって、ともに生活を共有することでうまれるつながりや、癒し、ひとときはかけがえのないものだと思うし、そういう時間を共有できる人はとてもすごいことだと思う。ただ、僕はひょんな拍子で選ばれることになるであろう飼い主(ペット側が人を選ぶことはおそらくできないと思うので)とペットがウマが合うとも限らないし、それがよりによって僕みたいな人間だと困惑させちゃうんじゃないか、って引け目を感じてしまう気がする。きっとそういった類の負い目のような何かは僕の生活のいろいろなところでみられるものなのかもしれない。

 僕が将来子供を持つ、授かることについてもおんなじような不安感があるような気がする。子供はペットとは違っていつか成長すると会話をすることができるし、相手の思いについて相談することもできるだろうから、また違った話になるけど、生まれたばかりの赤子は泣くことしかできないわけで。そんな新しい生命が誕生することのすごさとか、期待とかはあるけど、そんな僕の思いで僕を父親として持つことになってしまった子供は十分に満足してもらえるだろうかって思ったりしてしまう。

 なんだか気負いすぎなような気もするし、別に最大限の幸せな親を持つ子供がなんなのかもわかんないし、そんな周到な準備なんて到底できっこないんだから、その時その時でお互いに話をして、どんな今後を考えていくかとか共有して生活できることがいいよなあとなんとなく考えてる。

あなたのスキがきっと世界を少しだけ平和にしてくれます、読んでくれてありがとう。