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ルックバック

『チェンソーマン』藤本タツキさんによる短編(と言っても130ページ以上)『ルックバック』が話題だ。というので、チェンソーマンもファイヤーパンチも好きだったし、読んでみて面白いなーと思ってスゴいなーと思い、主人公2人の物語に感動もしたし「ルックバック」のタイトルが読後、さらにこうぐっとくる意味になる。と、同時にさらっと(たぶん京アニ放火事件をモチーフとR.I.Pの敬意を込めての取り扱っているのだと思う)物語の重要な転機に使われたのが精神障害のある人によって起こされた事件だった。

物語が「理解の範疇を超える不条理によって次の展開を迎える」ために精神障害や統合失調症というものがフィクションではよく素材として使われる。今回もそうだ。古典的(という使い方が良いのかわからないけど)で、よくある、わかりやすい、ありがちとも言える。しかし今回は特定の人物や事件がモチーフになっていることもあり、その事件の文脈で考えると、これは「あえて」この設定が使われたのだとも思う。

この作品に限らず良くありがちだなーという印象だけど、しかし、ありがちなぐらいこの病気や障害は理解されていない、知られていない、身近じゃないんだなと寂しくもある。きっと知ればそれほど怖さや理解ができないものではない。確かに驚くようなこともあるけど、物語として怖さを期待してしまえば肩透かしを食らうかもしれない。その極めて重要な事実はまだ一般的ではない。まー確かに自分が兄弟の病気や障害を本当に理解できているかと省みるとぼく自身怪しい。けれど、それは人のことを理解するには沢山の時間や関係する機会が必要なのと同じで、自分自身のことだって正確に把握できていかと言われれば怪しい訳で。知ろうとしたり、関わり方を探る。それはだれもが他人と交わるときに試みることで、そこがズレていれば暴力の矛先になるし、ステレオタイプな「変わった」「理解の及ばない」素材にもなるんだろう。

最近、ニートトーキョーを見返していたり、10代からハスリングし非合法な商売をストリートでしてヒップホップもしているような20〜40代前半のラッパーのインタビューをYouTubeで良く観ている。2019年めちゃくちゃ流行ったらしい舐達麻(春頃メンバー2人が大麻所持で逮捕。不起訴でもどってきてた。)というラッパーの歌詞は、非合法な草とかお金とかそういうモチーフを歌っているのだけど、とても詩的で繊細かつ誠実に彼らの目の前にある日常や考え、つまりリアルが表現されている。


ビートつくっているアサシンダラーの音楽の影響もあるだろう。彼らの生き方はイリーガルそのもので、だからと言って「悪いものだ」と隠したりしない。バダサイとデルタ9キッドは強盗後にパトカーに追いかけられ事故り同乗したいた仲間1.0.4を亡くしている。そのことは繰り返し歌われていて、ネタにしているのではくむしろそのことを都度、韻の踏み方や歌われ方は違えど「歌わなければならない」切実さがあるのだと思う。聴くと身に迫ってくるものがある。それを聴いてアガり癒される若者がこの日本には確かに少なくない人数いる。手放しに違法薬物やイリーガルな商売は肯定できない。弱い人やお金のない人、孤立している人はカモられるだろう。

軽い気持ちで見始めたニートトウキョー。面白おかしく編集されていて、キッズやラッパー、ぼくからしたらジャンキーな人の話も沢山ある。その話題の中には少なからず精神疾患のようなケアの必要な背景があるのだろう話題もあったりする。親や姉妹兄弟がそういう人もいるし、韻踏組合のERONEが統合失調症で入院・治療していたのだと知り、驚いたりもした。ファンやオタクにとって有名な話なんだろうか?動画に出てくるのは別々のラッパーやアーティストだが、過酷な生育歴やハードなコミュニティにいつの間に属し、近くにいる仲間の何人も身体や精神を病みドラッグが深刻に影響を与えて(どちらが先かわからない)、死んだりしている。彼ら・彼女らが大麻を吸うとき、イリーガルな商売や嗜好品としてではなく、もっと危険なドラッグや希死念慮のような感情から逃れるため、生き延びるためなのではと感じることさえある。実際、ドラッグを買うために売春している未成年に大麻を無料であげて「そういうことはやめよ」って「福祉」としてやったと言っているラッパーさえいる。いやいや、と思いながら彼らのリアルでは「冗談じゃねえ」のだ。

ある現実が傍にある、その中で言葉を書く。ビートを聴きラップしフローする。バダサイは常に自分に時間で詩を大麻を吸いながら書いているという。その曲を聴き自分の生活からするとリアルではない現実に対して言葉にできない熱いものと同時に心臓を鷲掴みにされるようなやるせなさを感じる。彼は歌う「縛られる苦痛 やりたいようやるじゃなきゃ頭狂うのが普通」と。大麻が違法の日本に対して歌っているのだと思うけど、それだけじゃ「頭狂う」何て歌わないだろう。真実よりも現実であることが大事に歌われるヒップホップが今まさに生まれているこの国で「狂う」ということ、それは病気だからとか、アウトローの生活をしているからだけではない。どっちが狂っているか、時間をかけて証明されることもある。自分はどうだろうか。どうだったかだろうか。怒らないでほしいと言えるだろうか。ルックバック。中指立てる。誰に。立てることを知らない人はどうする。這いつくばった背中に馬乗りになって落とした視線や撒いたガソリンとライター。燃えている、燃えてしまった。どうする。どうしたらいいんだろう。知るしかない。それしかできない。それすらしないのか?


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