難病児ツイオフありがとうの気持ち

はじめに

難病児ツイオフに出会ったのは、たしか子どもがやっと自宅に帰れたころだったか、もう少しで帰れそうだというころだったか、初退院のあと熱を出しては入院を繰り返していたころだったか、とにかくそのへんの時期だった。
今回で最後になるらしいツイオフは、本当にありがたいものだった。たまたま付き添いベッド上で過ごしている今、はじめてのnote記事を書いてみているのは、この感謝を残しておくためだ。

産後メンタルを支えた先達の情報

受容は、多分それなりにしていて、命はどうもいますぐどうこうなるわけではなく現代医療とプロフェッショナルの手によって守られているらしいが育ちが難しそうだ、という状況。産後メンタルにとっていちばんつらかった「私の体の一部にいたのに、人に許可をもらわないとさわることさえできない、見ていることさえ時間がきたら許されない」という、手を洗っても涙、搾乳しながら涙、窓の外を見ても涙、という時期に、スマホと朝ドラとinstrumentalのBGMはなくてはならないものだった。医療的ケアについて検索したらそのころはだいたいアメブロにたどりついていて、ちょっと古いものも多かったけど、そこから「この人Twitterもやってるのか」と探しに行って見つけたのが、難病や医ケアのある子どもをもつみなさんのつぶやきだった。特別支援教育には仕事柄関心があり産前からときどき見かけていた人も、同じ時期に親になった人も、当時鑑別に上がっていた疾患名を公表している人もいた。NICU/GCUのロッカールームで知り合ったお母さんもいたけど、たくさん仲間がいるんだ、工夫して生活していけるんだ、こんな困りごとが今後出てきそうなのか、うちの子の病気だけでなくいろんな疾患や事故があるんだな……。月並みだけど、世界が広がった。

インターネットとじょうずに付き合おう

人の情報は享受しておきながら、基本的に我が子のことを載せるのには抵抗がある。学校でパソコンの授業が始まった子ども時代からインターネット上で人とやりとりする楽しさと怖さを感じていたし、若いころmixiやFacebookに載せていた写真が教員になって検索されて「あ、これはやめよう」となったので。自分のしたことなので自分に返ってくるのはいいけど、子どもには子どもの人格と人生があるし親のせいで将来不利益があってはならないと考えているタイプです。それと田舎に住んでいるので特定は容易、世界は狭いので、自由に愚痴れる場所をもっていたいというのが大きい。
で、もともと見る専用だったのを、ふわっとした自己紹介やちょっとフェイクや時期をずらすなどして、アカウントをなんとなく運用しているわけです。

ツイオフで出会う人があたたかい

そういう思いだったので、疾患名でたどりついたり、生活上の具体的な悩みを共有したりするツイオフはちょっとどきどきするし、身バレはいやだったんだけれども、読んで回っていると、みなさん、優しい。これから始まる生活をどうにかやっていくためには、情報が欲しい。そう思って、緊張しながら参加してみたら、いただくコメントがこれまたあたたかい。これまた月並みだけれど、画面の向こうに人がいて生活しているんだというのが、本当に実感としてつかめた感じがした。楽しくなってきて、おずおずと自分でもお返事を送ってみたら、やりとりが生まれて、これも楽しい。いいねがつくのも、うれしい。知識が増えることも、おもしろかった。ツイオフが終わってもやりとりが続いたり、タグで過去の有益情報にたどりつけたりして、生活に取り入れたこともたくさんある。訪問や通所の支援者さんたちに、「おかあさんこういうのどこで知ったの?」と聞かれることもしばしばだった。

私たちはたしかにここにいる

そうして、どこに住んでいるのかどんなお顔かも知らない「知り合い」ができてくると、そこのお子さんの成長がうれしくなる。まるで、遠くのいとこの子どもとか、学生の頃の友達の子とかぐらいの感じで、知らない子のがんばりが、励みにさえなっている。ご本人のアカウントだと、うちの子の将来を勝手に投影して憧れたり、学ばせてもらったり。
一方で、どうしても悲しいお知らせが聞こえることもある。お子さんの闘病のつらさや、親御さんがどれだけお子さんを大切にされてきたかを垣間見てきただけに、悲しみは深く響く。病気と生きる子どもたちと家族たちの世界は、本当に、今この瞬間の、今年の機会をつかむことの価値を感じる場面が多い。そして、当たり前の毎日の尊さ。底の見えない深い深い海の水面が凪いでいるような、そういう荘厳さがあるのが、このツイオフで出会った人たちと過ごしている時間の一面だと思っている。
でもそんなシビアな(とか打ってるときに子は静かに呼吸が乱れてあわてて用手換気してスクイージングして排痰させて落ち着いたので座りなおしました)瞬間のある生活だけど、日々は続いていくので、私たちには甘いもんが要るし推しもいるし家族や友達や支援者の愚痴やリアルで言えない不満をこぼす必要があるし、所得制限と弱者を切り捨てて戦争しようとする政治にはNOを言い、福祉と医療と教育保育がつながる行政を求め、Twitterのほうがよかったと嘆きつつインプレゾンビをブロックしている。そういう仲間がいるんだっていうことが、この病室のカーテンの内側でも分かるようになった。

おわりに

ツイオフを立ち上げ運営してくださった方々と、気持ちのいい場を作ってくださった皆さんのおかげで、今がある。出会えなくても多分私は頑張ったけど、出会えたから頑張れたことは、本当にいっぱいある。
本当にありがとうございました。そして、潔く最終回を設定されたことも本当にすてきなことだと思っています。ご本人の目に触れることはないかもしれないけど、この気持ちを残しておきたくて書きました。
ご縁あったみなさん、どうかこれからもよろしくお願いします。

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