見出し画像

カワノくんとわたしの七月

いつのまにか梅雨が明け、暴力的な気温がわたしたちを襲いかかるようになっていた。故郷にいた頃は年に二度しか着なかったノースリーブを今は平気で着ている。実家にはクーラーが付き、居間だけは快適空間になった。

人生においてそれぞれの月で印象に残っていることは何かなと考えたとき、七月はカワノくんのことだなと思った。

カワノくんは高校の同級生だ。と言ってもわたしは相当大人しく印象に残らない生徒であったはずでカワノくんは覚えていないだろう。
カワノくんとはコースもクラスも違う、話すこともなかった。それでもわたしの七月にはカワノくんがいる。

わたしの通っていた高校は、平凡な公立高校であった。学力も普通、部活も普通、取り立てて特徴がない学校である。
そんな学校が、わたしが高校三年生の夏熱戦を繰り広げた。野球で。
何度も言うとおり、極めて普通の高校であり野球の特待を取る某私立とは違う。なんなら前年は一回戦負けであった。

三年生になったわたしは友達がいるからという理由で応援団に入った。袴を着てエールを送る応援団で、団員はわたしを入れてたった5人だった。放課後になると勉強もそこそこに生徒会室でおしゃべりしたり、リプトンの紙パックティーを飲みながら中庭で遊んだり、そんな応援団だった。

カワノくんは野球部だった。部員は強豪校に比べたら全然少ない、各学年で15人ずつくらいはいたのだろうか?そんな普通の野球部だった。カワノくんはお調子者だった。だからクラスが違うわたしも知っている。廊下でうるさい、典型的な野球部員だった。
カワノくんが他の部員と違うのは、三年生の中で唯一、ベンチ入りできなかったのだ。

県予選がはじまり、わたしたち応援団は生徒会担当の先生の車に乗ってあちこちの球場を巡った。一回戦なんて全校応援にもならないし、アクセスの悪い球場だから、野球部の一二年生中心の応援団と、わたしたち学校の応援団と、車のある教員くらいのささやかなものであった。その野球部の応援団の中にカワノくんはいた。友達は「ベンチ入りできなかったんだって、かわいそうだよね、最後なのに」なんて言ってた。わたしはそこでカワノくんが、最後の大会のベンチに入れなかったことを知った。おそらく下級生がベンチ入りしているにもかかわらず。

カワノくんはメガホンを持って誰よりも大きな声を出していた。そして誰よりも明るかった。
わたしは不思議だった。もしかしたら立てていたかもしれない場所を遠くに眺めて、なぜ応援ができるのかと。

その年の野球部は勝ち進んでいった。公立強豪校を倒しベスト8に入った。あと3回勝てば甲子園だ。
ベスト8の試合から全校応援になった。あんなにガラガラだった球場は、本校生で満員になった。野球部とわたしたちだけだったエールは大きなうねりとなって球場を席巻した。
今までの地域の球場ではなく、プロ野球の試合も行われるような球場だったから選手との距離は格段に広くなった。だからこそ声を届かせなきゃと一層メガホンを強く握った。
カワノくんの喉は潰れていた。かすれた声は今までの球場で、どれだけチームを応援していたのかを伝わらせるものだった。ガラガラの声で全校生徒に向かって何度も呼びかけていた。エールの指示を、そしてチームの勝利を。
接戦を制したのはうちの高校だった。観客席が湧く中にカワノくんはいた。わたしたち三年生の夏はまだ続くことを、わたしは素直に喜んだ。

ベスト4の試合は甲子園に何十回と出てる私立高校であった。なんなら今年も出場するようなそんな高校だ。この日も全校応援になり生徒も教員もその試合を見守った。暑い日だった。汗を何度もぬぐい、必死に応援した。
確か最初は厳しい試合だった。それでも最後には接戦に持ち込んだ。
スコアは3-2。
あと一歩だった。
わたしたちは夢を見た。夏が続くこと、彼らの野球を見られること、カワノくんがチームメイトを鼓舞すること。
ずっと残り続ける永遠の夢だった。
相手校の校歌が流れる中カワノくんは人目をはばからず大粒の涙を次から次へと流していた。そんなカワノくんに向けて選手たちが同じように涙で顔をくしゃくしゃにしながらお礼を言っていた。

カワノくんは野球がうまくなかった。だからベンチに入れなかった。でもカワノくんはそれでも仲間を応援していた。カワノくんの夏は、わたしの永遠の夏になった。

あれから10年以上過ぎ、カワノくんと会うこともなくなった。
それでも彼らと共に過ごした夏はわたしの大切な夏になった。
甲子園に行けるかもしれないなんて夢は、カワノくんが見せてくれたのだろう。
それくらい、誰かが一生懸命な姿は誰かの心に焼き付いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?