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聴くことの果てとしての2015年のハイボール

幼いころから大人しい子どもだった、わけではない。よく外で遊んだりする、人見知りで活発な子どもだった。
しかし成長過程に応じて変化していった時にふと感じたのは自分の役割だった。
わたしはクラスのりさちゃんのように中心になれなくて、さおりちゃんみたいにモテるわけでもなくて、まいちゃんみたいにみんなから引く手数多でもなくて、どうやったら必要としてもらえるのだろう、と思った結果一つの役割が浮かんだ。
それが聴くことだった。
人は頭を持ち口を持っている。結果自己を表現するために話すことは欠かすことのできないものだ。
しかし聴き手のいない話ほどつらく虚しいものはない。だからこそ、聴き役というのは需要があるのだ。

聴くことのとは選択的な行為である。

とは鷲田清一の言葉。
決して受け身の行為ではない。何かを切り取り何かに反応する、それが聴くということだ。
だからこそ意識して耳を傾け、相槌をうち、適切に言葉を選んで質問をする必要がある。
そしてわたしはそれを一生懸命おこなった。

聴くことは苦ではなかった。むしろわたしにとって心地いいものだった。
相手の断片を垣間見、弱いところに触れ、誇れるところをより磨く過程、それが聴くことの醍醐味だと確信している。自分にはないものを感じられたとき、相手の心の揺らぎがわかったとき、わたしは聴くことの喜びを感じた。

わたしはまるで『1973年のピンボール』の主人公のようであった。
聴くことを好みたくさんの人の話を聞いた「僕」。
しかし「僕」はぱったりと聴くことを辞めてしまう。
そしてあらゆる感覚を閉ざし、同じ日の繰り返しに閉じ込められている。
そこから脱出するきっかけを作った双子と壊れた配電盤のお葬式。配電盤は電話を司り、聴くことが病的に好きだった「僕」のメタファーである。
配電盤は壊れてしまった。なぜならいろいろなものを吸い込み過ぎてしまったから。

人の話を聴くことはできる。でもわたしの話を誰が聴いてくれるのだろう。
たくさんの飲み会の度に、たくさんの場を共有する度に、ぼんやりとでも確かに浮かび上がって来る疑問。
配電盤は取り替えればいいけれど、壊れた配電盤はお葬式をすればいいけれど、わたしは聴くことの果てに救われるのかしら。

わたしは聴くことを続けながら聴かれることを望んでいる。
義務ではなく喜びとして。
その人に出会える日を心待ちにしながらわたしはわたしに話しかけている。
良い聴き手は良い話し手であることを信じて。
ハイボールの氷が溶け切るまで、何度も 何度も、わたしはわたしと対話するのだ。

水滴のついたグラスが真実である夜あなたの面影を探す

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