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物語と『ダンケルク』

先日ある作家の方と話し込んでいて、「マンガも小説も音楽も好きな自分は、ひっくるめて物語が好きなのだ」と言われたのが心の中にずっと引っかかっていた。物語が好き。映画もマンガも小説も、全部好きなことがちゃんと伝わる上手い表現だ。さすがは作家の言葉選びと感嘆したのだが、その瞬間にふと「物語」ってそもそもどういうものだっけ、と疑問が浮かんだ。

物語る、という動詞の名詞形だと思い込んでいたが、どうやらそうではないらしい。語源由来辞典によると、「かたる」の名詞形「かたり」に「もの」を付けて、特定の形式を指す言葉とされているようだ。古事記に「ことのかたりごと」という表現があり、この時代から「ものがたり」とはちゃんと区別して使われている。ほぉ。「もの」とは誰かの視点を通過した主観性を含む言葉であり、「こと」とは出来事や事実を指す言葉なのか。

映画『ダンケルク』は、フランス・ダンケルクを舞台にした「こと」が語られる物語である。今までの戦争映画は人物を物語の中心に置き、彼(もしくは彼女)の目線を通じて戦争が描かれていた。その目線で描かれる多くの筋書きは、大きな「こと」の中に翻弄される主人公の「もの」である。一方、映画『ダンケルク』に登場する「もの」は、なぜかとても淡々と描かれる。

陸で砂浜から脱出を試みようとする英国兵、空で浜辺の制空権を争う英国パイロット、船が徴用されることを嫌って自らダンケルクへ向かう初老の英国人。彼ら本人が何者か、解説や背景描写はほとんどない。時間が進むごとに彼らは目の前の問題と対峙し、それに各々対処していく。互いの物語が交じり合うこともなければ、登場人物同士が刺激しあうこともない。立場の異なる人物たちの状況に限定された「こと」だけで物語が終始するのだ。

3人の「もの」を分解し、メロドラマ要素を排除して、直面する「こと」のみに目を向ける姿だけを拾い上げて再構築する。舞台の異なる3人をつなぎ合わせることで、個人にとって盲目的に見える戦争という「こと」を、より鮮明に描き出している。その意味では、異質な戦争映画と言えよう。ドラマを期待した人ほど、消化不良感は高くなるかもしれない。スクリーンに映る人たちへ会いに行くのではない。彼らをただ、目撃するだけなのだ。この感覚、ぜひ劇場で体験していただきたい。

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