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不定期駐妻の仕事の悩み

最初に駐妻になることが決まったとき、行き先が香港だったので大喜びだった。
当時の私は中国茶と向き合う生活をしていたけれども、プーアール茶についての知識がなかなか深められずにいたから。

香港には行ったことがなかったし、学生時代に広東語の授業を受講したものの、台湾語の授業との両立が難し過ぎてフェイドアウトしてしまった私には「広東語」ができないことはかなりの壁のはずだった。
けれども、中国に返還されてからすでに10年が経過しようとしていた香港では中国語(いわゆる北京語)がかなり通じるようになっていると聞いて、家族と同時に渡港するためさまざまな手続きに奔走した。

仕事を辞めるのもバタバタだったけれど、入籍間もなくだったために、名義変更手続きも大変だった。
証券口座を閉じる手続きに、銀行口座を維持するために必要な書類の提出に、不用品の処分に始まり倉庫へ預ける荷物の選別、海外引越しの準備など、生活をたたむ大変さを経験した。

香港についてからの日中はとにかく自由だった。
まだ子供もいなかったし、仕事をせずに好きなことができる時間がたくさんできて楽しい日々に感じていた。
行きつけのお茶屋さんができてからは、お茶屋さんに入り浸ったりしていた。

そんな身軽な日々がとにかく楽しかった香港時代。
でも、駐在員という立場は決して安定しているわけではなく、会社の状況によって多いに振り回されるもの。

香港で出産しようと準備していた矢先の本帰国となり、またバタバタと生活をたたんだ。

子供が小さいうちは、狭い世界でじゅうぶんだった。
でも、子供の成長とともに周りのママ達は仕事を始める率が高くなっていき、どんどん取り残されていく気がしてた。

そんな時に2回目の駐妻になることが決まった。
今度は自分の生活をたたむだけでなく、子供のさまざまな手続きが出てきた。それを人数分。

2回目の駐妻時代は、子供中心の生活の比重が高くなったけれども、それはそれで好きだった。
駐妻時間が長くなるなら学校でのボランティア活動をしようとも思っていたけれど、また会社に振り回される形になり、予定よりも早めの本帰国となった。

日本に帰国してみるとママ友達は仕事を始めている人が多く、子供も自分の世界をどんどん広げていて、自分がますます取り残されてしまったことを強く感じた。

専業主婦になってすでに10年以上。
不定期駐妻になる可能性はまだあるし、何より今からフルタイムで働くのは私がキツすぎる。
でも、社会復帰はしたい。社会とのつながりが欲しい。
そんな思いでパートに出てみた。

パートの職務内容は、私が歩んできた人生とは全く無関係なもの。10年以上社会へのブランクもあり、働ける時間も限られているのだから、選べる仕事は少なくて当たり前だけど、心が少し痛かった。

香港でお茶三昧の日々を過ごせたこと、子供が小さいうちに専業主婦でいられたことは本当にありがたいと思っているし、自分で選んだ道だったはず。
でも、子供が巣立った後にも同じようにパートで仕事をしている自分を想像したら、大学に通ったことが「コスパが悪い」と感じてしまい、凹んでしまった。
育児をしながら働き続けてきたママ友が眩しく見えた。

彼女達は彼女達で大変な思いをして仕事を続けてきたはずだし、私にそれができたかは疑問だけど、それでもキャリアを持っている彼女達はとても輝いて見える。

香港駐妻時代に、旦那さんの駐在について来ながら奥様は現地採用に切り替えてもらって働き続けている方に会ったことがあるけれど、それはとてもレアケース。

2回目の駐在時代には、奥様は1年間休職して着いてきた方や、リモートワークにしてもらってネットで仕事している方、泣く泣く仕事を辞めてきた方などさまざまだった。
だけど、香港駐妻時代と2回目の駐妻時代では世の中が激変していたから、数年間の駐妻時代のためだけにキャリアを中断しなくても良い選択肢が増えたのだと思う。

それでも大多数が専業主婦だ。

私は今後も駐妻になる可能性があり、しかもその期間が不定期な可能性もあるなら「環境に左右されない仕事をしよう」とパートを辞め、クラウドソーシングに登録して、お仕事をいただき始めたのが5ヶ月前。

複数の収入源を持っておくべきだと思っていながら、いただいた案件で手一杯になり動けずにいたけれど、仕事が途切れた今をチャンスとして、動き出しています。


サポートいただきありがとうございます。 いただいたサポートでお茶を買いに行き、記事にさせていただきます😆