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画壇の明星(14−1)・平和国家への道

古本屋さんで見つけた1951-1954年の月刊誌『国際文化画報』。
特集記事【画壇の明星】で毎月一人ずつピックアップされる世界の巨匠たちは、70年前の日本でどのように紹介されていたのでしょうか。

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今回は[テレビジョン家庭に入る]の【表紙】で始まる1953年4月号に、どんな記事が掲載されるのかパラパラ眺めてみました。
戦後8年を迎えようとしている1953年の日本は、物事や人々ともに ものすごい勢いで成長を遂げる只中にいたのですね。

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4月号ということで、弘前城の桜と、山形天童温泉で浴槽に花をかざしてくつろぐ女性の写真で始まります。

記事によれば、中国の文化に憧憬した古代の日本人は、なんでもその真似をして「花」といえば「梅」と思っていたのだそうですが、新古今集のできた時代にはいつの間にか「花」は「桜」の意味になったそうです。

パッと咲いてパッと散る潔さが、我国民性に適っていたのだろう

桜の花に人生の浮き沈みや盛衰を感じるいかにも自然愛好の心意気が見られる。花の好きな国民に好戦的なものがあるわけはない。

「パッと散る潔さ」を賛美するあたりまだ戦時中の考えを引きずり、「好戦的」というワードに、平和を強く意識する記者の心情が含まれているように感じます。

そして面白いのは、アメリカ式民主主義を導入し、アメリカの文化に憧れる1953年の日本人が、なんでもその真似をしていることが、いろいろな記事から窺えることです。

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例えば【特集記事】[テレビ時代来る〜希望に幕開けたテレビ放送]。

アメリカではテレビ受信機は1900万台余、ちょうど日本のラヂオ並みに日用品の一つになった上、白黒の時代は過ぎて天然色の時代へ入っている

大変、アメリカに置いていかれないようにしなきゃ!(^^)。
カラーテレビは「天然色」だったのですね。当時の日本国内の状況は…。

待望のテレビ時代がわが国にも訪れることになった。
十数万もするセットを家庭で持てる人は極く僅かの限られた人たちだ。
放送関係者は来年中に2万6千台余の受信機が普及すると見ているが、デパート、駅、学校、商店、会社、飲食店などがその対象になっている。

ラジオからテレビ時代へ!。「聴かせる」から「見せる」情報の発信源として、急ピッチで対応しようとする人々の苦労ながらも活気づく様子が掲載されています。

ドーランを塗る出演者、美術さんが造る模型・・・ふむふむ。
時事解説もホワイトボードを使って漫画化するなど工夫が見られます。
そういえば腹話術も、ラジオでは面白味がありませんものね。
みんなイキイキと輝いています✨。

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お次は[老人と平和国家]の記事。

戦前の日本では、養老院といえば行き倒れの収容所といった感じを与えたものだ。ところが、今ではこういう立派な施設ができた。これも敗戦のもたらした素晴らしい副産物の一つである

「敗戦の副産物」というのは、家制度(家の問題は家庭内で)の崩壊、社会福祉制度の充実などを指しているのでしょうか。それともアメリカの真似っこをすること…なのかも知れません。

施設の恩恵を受けているのは、戦前、戦中の厳しい環境で過ごしてこられたであろう方々。どことなく遠慮気味に見えます。
人様ひとさまの「お風呂に隔日で入れる」だけでもありがたい!と感じていたのかもしれませんね。
記事は「こういった素晴らしい施設が日本中至る所につくられねば、本当の “平和国家” とはいえない」と結んでいます。

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そして我らが『国際文化画報』は海外の話題が豊富なのが売りの一つ。
毎月 異国の情報を届けてくれているのです。

[自転車の国デンマーク]の記事はこう始まります。

自転車なんて君、ありゃ交通機関じゃない娯楽品だよ___なんておっしゃる方の目には、デンマークなど随分変わった国としてうつるでしょうね

自転車に乗る年配女性の写真には、
「年寄りが自転車にのって…と日本ならすぐ悪口をいわれるところですね。買い出しにいくお婆さんです」と。
前カゴに小さい子供を乗せた写真には、
「お父さんのお伴をする坊や。日本なら早速とがめられるところですが」とあります。
記者のコメントからも、当時の日本人の考え方を知ることができますね。

と笑っていたのですが、
公道をスイスイ走るキックボードを見て
「若い人は楽しいんだろうけど…。危なっかしい!」と感じてしまう2023年の私・・・。70年前の大人たちと全く同じなのです (^_^;)。

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そして今回取り上げるのはこちら。
[盛儀を控えた英京ロンドンの近況]。4ページにわたって掲載されています。

エリザベス女王の戴冠式を3ヶ月足らずあとに控えて、ロンドンは何年かぶりで明るい表情を取り戻している。

昨年 9月に96歳で亡くなったエリザベス女王の戴冠式は、ちょうど70年前の1953年6月に実施されたのですね。
一国いっこくの女王という地位で70年間、英国を見守り続けたエリザベス女王✨。
かたや古本屋で気まぐれに購入した雑誌で70年前の日本を振り返って呑気のんきに楽しむ私。。。

そんな私でもピンっとくるのが、来月(2023年5月)実施される英国王チャールズ3世の戴冠式。ちょうど「盛儀を控えた英京ロンドンの近況」がニュースで取り上げられています。なんともタイムリー!
(ちなみにヘッダーは、今回の戴冠式の招待状と、1953年パレードの様子)

まずは70年前の記事から。

ホテルは6月の第1週は1日5千数百円とそばへも寄れぬ強気であり、それも3ヶ月ブッ通しの予約でないと受け付けぬという

この盛儀に乗っかって一儲けだ!と考える人は多いようです。

戴冠式記念品として紹介されているのがすでに900種。
英国中の各商店から売り出される各種の記念品は必ず戴冠式記念委員会の目を通すことになっているが、すでにパスしたものは900種を越えた。写真はこれらの一部

下の写真・左ページの真ん中が記念品

今も昔も記念品は大人気なのですね。

おっ!記事の右下の写真。。。戴冠式に使用する馬車です。
国王の戴冠式は伝統的な儀式、繰り返し使われる同じ物が多くあるとか。
70年前の解説にはこうあります。

およそ200年ほど昔に英国の下院議長が使用したという第時代の馬車が今度の英女王戴冠式に再びお目見えする

この馬車、2023年5月の戴冠式でも使用されます。
1762年に作られた金の馬車は、木に金箔を覆って作った芸術作品で、長さ8.8メートル、高さ3.7メートル、重さ4トン!。あまりにも重たいので、8頭の馬が歩行と同じくらいの速度で引くのだそうですよ。
サスペンションが革でできているこの馬車の乗り心地は「ひどい」(2018年エリザベス女王のお言葉より)らしく、75歳のチャールズ国王は30分ほどこの馬車に乗った後は、冷暖房装置までついた乗り心地の良い馬車に乗り換えるのだとか。

70代で即位することになったチャールズ国王と、20代で女王になり70年もの間在位したエリザベス女王。。。
比較などできませんが、スコットランド、バルモラルの静かな住居の石段にご家族で並ばれた写真(記事の右上)を拝見して、くつろいだ素敵な笑顔のお二人にほっこりさせられるのです(写真左からアン王女、エリザベス女王、エジンバラ公、チャールズ王子)。

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ちょっと驚いたのは、英国に対するなんとも辛辣なコメント。

世界戦争で勝利者となった喜びはただ気持ちの上だけのこと、その日その日の生活では、8年経った今も戦時中と変わらぬ配給生活の味気なさである(中略)。
手足が萎えて目ばかりギョロつかせる頭でっかちのように痛々しい(中略)。
さすがに老いても大国のことだけあって、数十年に一度のこの儀礼を嫌が上にも盛大に、と国民こぞっての張り切りよう

なんとも、まあ。。。
1953年日本のメディアもまだまだ発展途上なのですね。
自国第一主義・真似っこ外交の日本が、広い視野を持ってグローバル社会の中で “平和国家である!” と胸を張るには、もっともっと時間が必要なのかもしれません。
果たして2023年の現在はどうなのでしょうか。。。

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少し長くなったので、本題の【画壇の明星】は次回、投稿します。

<終わり>

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