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カンディンスキーの「円」から音楽をきく

3月も残り2日となりました。
この30日間 毎日トイレに座って見上げていたカレンダーは、カンディンスキー『いくつかの円(最初の習作)』。

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コンパスやテンプレートを渡されて、
「さあ、円だけで何かを表現してごらん」
と言われても、私にはこんなセンス溢れる表現はできません。当然ですね。

この(最初の習作)がどんな作品に完成したかというと、
右)『いくつかの円』(1926年・グッゲンハイム美術館)。

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完成に至る過程はよくわからないのですが、画家が最初にデッサンやスケッチで表現した「習作」と「完成作品」を見比べるのって、面白いですね!

カレンダーに記載されていた作品解説をギュッとまとめると、

ワイマールの[バウ・ハウス]が1925年に閉鎖され、カンディンスキーはデッサウ市の教授用住宅(パウル・クレーのお隣!)に引越します。移転してから最初の作品がこの『いくつかの円』。

ワイマール時代の均一な明るい地にかわって変化のある黒地は円の色彩の内的緊張を高めると同時に宇宙的な静寂を生んでいる。画家にとって「円」は遠心力と求心力の平衡からなる、最大限の対立の総合であった。

作品の解説(後半)部分は、よくわかりません(涙)。

絵画鑑賞に目覚めてからこの4年半。西洋美術史の全体を大まかに捉えようと試みて、素人なりにいろいろな資料を読んでいます。古い時代から順を追っているため、今は【ルネサンス】や【バロック】あたりをウロウロ。
【近・現代アート】にたどり着くには、まだまだ時間がかかりそうです。

そんな未熟者が「画家に必要なもの」を美術史の流れに沿って考えてみると、
▷ 形や色を捉え、再現するための感覚と技量
▷ 注文主・鑑賞者の求めに応じる理解力や知識と 想像力や創造力
▷ 画家本人が持つ ‘まなざし’ と表現力
▷ 時間や光の移ろいを捉える感知力と ひらめき・工夫
▷ 探究心と不屈の精神
などなど…私に欠落している項目がドンドン出てきます。

[近・現代画家]に必要なものを私なりに想像すると[抽象化]と[再構築]するための “センス” と “インパクト” ある表現力かしら…?と。

そういえば私、何事においても[抽象化]するのが苦手かも知れません💦。

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[近・現代社会]は、科学や技術の進歩によって劇的に発達してきました。

「速っ」としか表現できなかったボールの速度が瞬時にスコアボードに表示され、
“月までの距離” と検索するとすぐに “384,400km” とGoogleが回答してくれ、
「ウイルスの大きさは直径100ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)」と自分の目には全く見えない世界のことを言われたり…。
いつの間にか すごい世界になっていますね。複雑で多岐にわたる情報が生活の中で溢れるようになってから、私はいつの間にか理解するために「深く思考する」ことを諦める癖がついてしまいました。

そういえば…。
「教科書が変わる!」というニュースを見ました。高校2年生の教科書は、世界史“探究”、日本史“探究”、地理“探究” に変更されるそうです。
探究”とは、“思考によって論証したり問題解決を図ったりすること、あるいは、論証や問題解決のために深く思考すること”。
ふむふむ。深く思考することをしなくなった現代日本人が退化してしまう!と皆が危機感を持っている証拠ですね。

話を絵画に戻しましょう。
人は「正確さ」「緻密さ」「スピード」ではマシーンに勝てなくなりました。
そして誰でも 何にでもチャレンジできる世の中で、人間にしか、そして自分にしかできない “何か” を求めて試行錯誤していきます。
「感じろ!」「思いを込めろ!」「読み取れ!」。
例えば、円だけで表現される作品。。。
こんな風に絵画は[抽象化]されてきたのかもしれません。

しかし不安定で確証のない “何か” では少々不安になります。「感覚だけに頼っている訳ではないぞ」「思いつきの落書きではなくアートなんだ」…。
確実な “何か” であることを証明するため、また更なる高みを目指すために、“何か” に法則や理論を見つけ出して体系化していくのかもしれません。

ここまで素人のザックリした理解と勝手な推測をお許しください。

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さてさて。
かろうじてお名前を知っているだけのカンディンスキーについて、少しだけ調べてみました。

ワリシー・カンディンスキー(1866-1944年)。
モスクワで生まれ、ロシア・ドイツで活躍し フランスで亡くなった純粋抽象芸術の創始者のひとり。絵画は「具体的な対象や主題がなくても色彩と形だけで自立できる」(抽象主義)としつつ、「重要なのは精神性や芸術家の内面である」と絵画の中に現実とは違う別世界を生み出しました(非対象絵画)。
表現主義の集団[青騎士]のメンバーだった、抽象主義を理論化した、[バウ・ハウス]で教鞭をとった…など後進の育成に貢献した画家だそうです。

うーーん。
経歴をまとめるだけなのに理解がついていかず、思考が停止しました(笑)。

今回は、カンディンスキーが最初にスケッチで表現した「習作」と「完成作品」を見比べながら、素人目線の新しい楽しみ方をしてみよう!と思います。

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ここからが本題です(笑)。

たまたま自宅の本棚にあった図録に、②『いくつかの円 のためのスケッチ 油彩』(=①「最初の習作」と ③「完成作品」の間の作品)が掲載されているのを発見しました!。

スケッチから完成品への変化を見てみましょう。
左)②『いくつかの円 のためのスケッチ』油彩 紙
右)③『いくつかの円』 完成作品

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私にはその違いを深く理解することはできません。
物理的に位置が変わったことはわかるのですが、それはクイズで出される“間違い探し”と同じ。
「作品の下部・中央にあるオレンジ色の円が、完成作品では少し小さくなって上に移動しています」
そのせいなのでしょうか、全体の統一感が増した気がします。

「どちらが好き?」と聞かれてもよくわかりません。
まだまだ【近・現代アート】を “自分ごと” として鑑賞する「意識」も「感覚」も未熟なのですね。

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少しでも理解を深めようと調べていると、カンディンスキーのこんな発言を見つけました。

私が、円のとりこになっている理由
1.きわめて控えめな形体、しかし遠慮なく自己主張する
2.明確、しかし無限に変化する
3.安定、と同時に不安定
4.高音、しかも静か
5.内部に無限のエネルギーをはらむ単純な緊張

高音、しかも静か⁈

純粋芸術(純粋な音の連鎖だけで人を感動させる)としての音楽を、絵画においても色彩を通じて再現できる

うわーっ、面白い!音楽ですか…。

絵画を鑑賞していると、私の頭の中に音楽が流れることがあります。
ただ、それは鑑賞する側の勝手な楽しみ方の一つだと思っていました。

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私に絶対音感はないのですが、楽譜に記された音符「♩」を見て、その呼び名とその長短を理解することはできます。一定の法則が直接目に見えるからです。
しかし絵画はそうは行きません。

以前、新印象主義の画家・ジュルジュ・スーラの点描作品について資料を読んでいる時、初めて色彩に一定の法則があることを知りました。「色相環」、「補色対比」、「視覚混合」。まだ私の理解は及んでおりませんが…。
同じようにカンディンスキーは形体や色彩を理論化して一定の法則を見出したのですね。

音楽を、絵画においても色彩を通じて再現」する。素敵です✨。
カンディンスキーは自身のメッセージを絵画に表現する方法として、形体や色彩に加えて “音” も用いていたのです。
オレンジ色の「円」を少し移動することで、奏でる “音” や全体の曲調まで変化させていたのですね。

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『いくつかの円』をもっと楽しく鑑賞したい!。
今度は、カンディンスキーの制作した作品=「曲」を感じるために聴覚や全身の感覚を研ぎすませてみましょう。

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左)最初の習作で「円」の形体を感じてみます。
小さな「円」から 短いスタッカートの効いた高音が、
大きな「円」からは 広がりのある音が聞こえてきます。
静寂のなかで軽快なリズムが心地よく耳に響き、描かれたいくつかの「円」は まるで水面を指先で軽くタッチした水紋のように見えてきました。

右)完成された作品に目を移すと、突然 宇宙の中に放り込まれたような気持ちになります。無限のエネルギーと無限の可能性を秘めた球体が漂い 寄り添い 広がっていく空間で、私自身も漂っています。
オーケストラの雄大な交響曲が流れてきました。ちっぽけな私は温かく力強い何かに包み込まれています。そして黒い「円」から、生命の誕生を思わせるような鼓動が聞こえてくるようになりました!

カンディンスキーのメッセージを自分なりに感じてみた今回の体験。
それは絵画に描かれている形体や色彩から直接メロディーを感じることができた不思議で最高にワクワクするものでした。
【近・現代アート】を “自分ごと” として鑑賞する「意識」と「感覚」が、少しだけ成長できたかもしれません。

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まとまりのない投稿になりました💦。いつもですが。

最後に、スケッチと完成品の比較について言及した市川政憲先生の文章を引用します。ご興味ある方はそちらをご覧くださいませ。

<終わり>

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下部中央にあるオレンジ色の小さな円がもう少し上にあるだけで、他の配置と色彩はほとんど変わらない。それだけに、その小さな円が、対角線に沿った配置によって動性をはらんだ画面全体の微妙な均衡を支える点になっていることをうかがわせる。ワイマール時代のいわゆる「冷たい構成」の均一な明るい地にかわって、変化のある黒い地は、それぞれの縁の色彩の内的緊張を高めると同時に宇宙的な静寂を生んでいる。円の大小が遠近感を生む一方で、透明なかさなりあいが三次元性を排除する。画家にとって、円は遠心力と求心力の平衡からなる、最大限の対立の総合であった。「点、線から面へ」で追究された形体的、構成的な問題と色彩のエネルギー、すなわち、個々に内的生命をはらむものの全体的均衡が、いわゆる円の時代の主たるテーマだった。そこに漂う瞑想性は、形のあるものの、有限性ではなく、無限性から生ずるものである。

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