画壇の明星・講和会議とゴーガン
古本屋さんで見つけた1951年〜1954年の月刊誌『国際文化画報』の特集記事【内外 画壇の明星】について投稿しています。
前回投稿したのは1951年 9月号。
実は、サンフランシスコ講和会議(1951年9月開催)の特集号と銘打った 1951年10月号が、古本屋さんで見つからなかったのです(涙)。
サンフランシスコ講和会議が 当時の日本でどのように報じられ、どのように評価されていたのか…ぜひ知りたかったので残念でなりません。
国立西洋美術館コレクションの基礎となっている「松方コレクション」の寄贈返還についての記述も見たかったなぁ。
というわけで、今回は1951年(昭和26年)11月号です。
表紙はサンフランシスコ講和会議に出席していた吉田茂首相(当時)の誇らしげな笑顔。このときの内閣支持率は58%!と驚異的な数字になったそうです。
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さて特集記事【内外 画壇の明星】はポール・ゴーガン(1848-1903年)。
趣味で絵を描いていた35歳の株式仲買人が、20世紀の芸術に計り知れない影響を与える画家になった!という異色の経歴の持ち主。
わたくし、先日まで「ゴッホ」の魅力を理解しよう!と奮闘していたのですが、実はゴーガンの “良さ” もまだよく理解できておりません。
そして、「ゴッホ」に寄り添うことで体力を消耗してしまった現在、ゴーガンについて熟考するのは次の機会に先送りします(涙)。
今回は 雑誌に掲載されている作品だけを鑑賞します。
描かれた時代順に作品を見たいと思います。
⑤『ポン=タヴァン付近の光景』(1888年)アーティゾン美術館
ポン=タヴェン(南フランス)に滞在した1888年3−4月、ゴーガン40歳の時に描かれたこの作品は、統一のとれた筆遣いや首尾一貫した絵の組み立てにセザンヌの影響が見られるそうです。
④『海藻を採る海女』(1889年)個人蔵
厚紙に鉛筆とグワッシュで描かれた本作は、“綜合主義的な、きわめて装飾性の高い様式” だそうです。
北斎を思わせる大きな波のうねりと、中央で体を反らして海藻を採る女性たちのバランスが面白いですね。ぐるぐると回転を続ける “ドラム式洗濯機” をイメージした私は、少し不謹慎でしょうか。
⑦『扇のある静物』(1889年頃)オルセー美術館
この作品、<松方コレクション展>(2019年)で観ました!。松方幸次郎氏が1920年頃に購入してフランスに保管していたのですが、サンフランシスコ講和会議でフランス政府から返してもらえなかった作品のひとつ。そんなことを知ってか知らずか、1951年11月号の記事に掲載されているのが面白いです。
扇に描かれた花の朱色を作品全体の基調色としている、明るく統一感のある作品でした。
①『タヒチの女たち』(1891年)オルセー美術館
「南の楽園」への憧憬を抑えきれず、1891年タヒチでの生活を始めたゴーガンの一作は、私のイメージする “ゴーガンらしいゴーガン作品” です。この作品はオルセー美術館で観ました!
背景となっているのはタヒチの海と砂浜でしょうか、画面を水平に分割した平面的な色彩の配置は、まるでデザイン画のようです。
同じモデル(当時同棲していた少女?)にさまざまなポーズを取らせてそれを組み合わせているそうです。彼女の大きくてドッシリ感のある手足や鋭い眼差しには、装飾的な背景に負けない力強い存在感があります。
↑ と、いま画像で見ていると冷静に鑑賞できるのですが、オルセー美術館では 額縁から飛び出してきそうな迫力ある少女たちに少したじろいだのを覚えています。
③『小屋の前の犬、タヒチ』(1892年)ポーラ美術館
「芸術は抽象であり、自然をただ写してはいけない」と説いていたゴーガンですが、一方で多くの時間を割いて周囲の風物を観察し続けていたといいます。西洋人である自分がタヒチを理解するためには、住人や建物、自然を注意深く描き止めることが必要だと考えていたのでしょう。
手前の黒い犬(⁈)は、まだ現地に馴染みきれていないゴーガン本人を表しているようです。
②『アレアレア(よろこび)』(1892年)オルセー美術館
タヒチでのゴーガンは、住民たちの言葉や風俗、宗教、そして哲学などにも関心を深めたといいます。左奥には、ポリネシアに伝わる月の女神ヒナを拝む人たちがいますね。
こちらの作品もオルセー美術館で観ました!
もっともっと色鮮やかな緑、赤、黄色をベッタリ塗り広げて 画面全体がうねっているような印象でした。神秘的でちょっと危険な雰囲気を漂わせています。
あら、また画面手前に犬(⁈)が。これもゴーガン本人かもしれませんね。
オルセー美術館による(Google Arts & Culture)と、この作品は1893年パリで開催された絵画展に出品されたのですが、ゴーガンが期待した熱狂的な反応は得られなかったそうです。
しかし、ゴーガンは本作を自分の最高傑作のひとつだと考え、1895年再びヨーロッパを離れる際に自分のために買い戻すほどだったそうですよ。
⑥『白い馬』(1898年)オルセー美術館
これは ゴーガンの自殺が未遂に終わった後に描いた作品、この時50歳。
ポリネシアの伝説で “聖なるもの” の象徴とされる白い馬が水を飲んでいます。
水辺には一輪の白い花が咲き、ほのかに差し込む日の光が水面でオレンジに輝き、馬に生命と生きる望みを与えているようですね。
だとするとやはりこの白い馬はゴーガン自身なのでしょうか。
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今回は 掲載作品を鑑賞しただけですが、ゴーガンを知るために重要な “キーワードの一片” を見つけることができたような気がします。
次の機会には、ゴーガンについてもっと深く勉強せねば!と誓った次第です。
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ふと、1951年日本人たちは 今回の記事をどう見たのかしら?と少し不安になりました。
近代・現代芸術の良さがまだ理解できていない私のような遅れた人間は、
「えっ⁈。これが西洋でもてはやされている芸術なの⁈ 」と驚いたのではないでしょうか。
しかし今月号に掲載されている【秋の美術展】を見て安心しました。
おーーーーっ。東郷青児氏に並んでピカソ風、ゴーガン風の作品もありますぞ。
私なんかより ずっとずっと芸術に寛容で理解があったのですね。
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今月号には、
講和会議でダレス米全権が「ハボマイは千島にふくまれない」と重大発言をした
として、漁場を失った根室の人々や、歯舞島に思いを寄せるで子供たちの写真が掲載されていました。
講和会議がもたらした解決と、現在も残る問題。
芸術の秋だ!とお祭り騒ぎで浮かれてばかりではいけないことも、肝に銘じておきたいものです。
<終わり>
ゴッホとゴーガンについて投稿しているので よろしければ。
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