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ムリーリョが描く 未来の世界

日めくりルーヴル 2012年1月22日(金)
『蚤をとる少年』(1645−1650年頃)
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1618−1682年)

<ロンドン・ナショナル・ギャラリー展>に行った人から、「ムリーリョの子どもの絵に癒された」「子どもが可愛かった」と感想を聞くことがあります。私の旦那さんもその一人で、「天使に会ってきた!」とご満悦。「天使」の栞を購入して大切に使っています。

展示会に出展されていたムリーリョ作品はコチラの二つ。
左)『幼い洗礼者聖ヨハネと子羊』1660年−1665年)
右)『窓枠に身を乗り出した農民の少年』(1675−1680年頃)

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17世紀スペインの黄金時代を飾る画家(エルグレコ、ベラスケス、スルバランら)たちと同じスペースに飾られた子どもたちは、異彩を放っていました。
絵画の歴史をたどって歩みを進めてきた展示会場で、ふと頬が緩んで和やかになる空間は、そこだけスポットライトが当たっているように皆が吸い込まれていました。

こうして並べて見ていると、全く別の画家が描いた作品のように思えてきます。

左)幼い洗礼者ヨハネ。純粋であどけない幼子の姿が私たちの目を引きつけます。愛らしい✨。
近づいて見ていくと、幼子は キリストの象徴である羊と抱擁し、左手で天をさしてキリストの降臨を伝えています。そして足元にはヨハネの約束事(アトリビュート)である葦の十字架に「見よ、神の子羊」と聖書の言葉が記されているのだそうです。そこまで気がつくと、ヨハネがまっすぐな瞳でこちらを見つめて、私たちに語りかけてくるのです。
[宗教画]として100点満点(笑)。

右)農民の少年は、約束事や背景といった要素は一切なし。
私は「ん?どうした?何か楽しいことがあったの?お腹すいてない?」と母親のように語りかけています(笑)。
こんなにも違う印象を受けるのですね。

ムリーリョは 多くの聖母子像など[宗教画]と、貧しい路上の子どもたちを描いた[風俗画]を残した画家。<ロンドン・ナショナル・ギャラリー展>では、両方の子どもを比較して見ることができたという訳です。どちらも魅力的✨

ムリーリョが描く子どもたちを もっと見たくなりました。

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◉[宗教画]に描かれた幼き聖人たち

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①『小鳥のいる聖家族』(1650年以前)プラド美術館
② 『善き羊飼い』(1655−1660年)プラド美術館
③ 『幼児洗礼者聖ヨハネ』プラド美術館
④『貝殻を持つ幼児たち』(1670−1675年)プラド美術館

可愛らしい!しかしそれだけではありません。幼子たちのまなざしには威厳が宿り、その仕草は美しく気品にあふれています。聖書を手にしたことがない私でも、聖書の言葉を想起するような…、幼子から教えをこうているような…。神聖な気持ちになるから不思議ですね。
「清らかな心でいなさい!」と聞こえてきました。

◉[風俗画]に描かれた路上の少年少女たち
まずは、本日のカレンダー『蚤をとる少年』から。

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こちらはムリーリョが 路上の子どもを描いた最初の[風俗画](1645−1650年頃)初期の作品です。当時のセビーリャ(スペイン🇪🇸)は、ペストの流行と深刻な経済不況で、食べる物にも困る貧しい孤児たちがあふれていたそうです。本作の題名も『乞食の子ども』とされています(ここでは『蚤をとる少年』で統一しています)。
ボロボロの布を着て汚れた手で蚤を潰している少年は、両親を亡くした孤児でしょうか。物乞いなどで手に入れた小エビや果物が床に散らばっています。厳しく辛い現実がそこにはあります。

ルーヴル美術館でこの絵を前にした時、作品の時代背景はもちろん、ムリーリョの名前すら知りませんでした💦。
「窓の位置、少年の姿勢や手足の角度、水差しやバスケット、そして散らばった小エビの配置など、なんとも調和が取れているなぁ…」などと感心したのを覚えています。
外の様子は描かれていませんが、少年がもたれかかる壁が真っ黒に閉ざされている分、スペインの太陽は強烈に眩しいのでしょうね。
あら、今でも専門的な感想は書けないですね💦💦。

厳しい現実を題材に描いた作品なのですが、うつむいて無心に蚤を潰している少年を見ていると 悲壮感ではなく なぜか人間のたくましさ・強さを感じます。
上から少年を見おろすのではなく、鑑賞者が座って少年の目線で見ているような気持ちにさせるムリーリョの描き方に原因があるのかもしれませんね。

ムリーリョ[風俗画]に描かれた子どもたちです。

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⑤ 『メロンと葡萄を食べる子どもたち』(1645−1646年)アルテ・ピナコテーク
⑥ 『犬と少年』(1655−1660年)エルミタージュ美術館
⑦『窓辺の少女たち』(1655−1660年)ワシントン・ナショナルギャラリー
⑧『三人の子どもたち』(1670年頃?)ダルウィッツ・ギャラリー
⑨『果実売りの子ども』(1670−1675年)アルテ・ピナコテーク
⑩『サイコロで遊ぶ少年たち』(1675年)アルテ・ピナコテーク

生き生きしてます!貧しい子どもたちがキラキラ✨輝いて見えます。
黄金期と言われる17世紀のスペイン絵画ですが、国外では(ベラスケスでさえ)ほとんど知られていなかったそうです。そんな中で一人だけ存命中から人気を博したのがムリーリョ[風俗画]。人気があったのも頷けます✨。

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617年−1682年)は、スペイン🇪🇸・セビーリャで14人兄弟の末っ子として生まれました。9才の頃に両親を亡くし、兄弟はバラバラ、彼は姉夫婦に引き取られて養育されたそうです。
また自身の子どもをペスト等で次々失ったムリーリョ。彼の描く子どもたちがこんなにも魅力的なのは、画家の共感、祈りや願いが込められているからなのでしょう。

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さて、ムリーリョの画風は大きく3期に分類されているようです。

◉1650年代前半までの初期作品は「冷たい様式」
スルバランら自然主義の影響を強く受けていた初期の作品は、幾らか堅固なデッサン、やや窮屈な筆遣い、質素な彩色、強い光と影のコントラスト。
おおーっ。まさに本日の作品『蚤をとる少年』ですね。そしてここでご紹介した作品、①、⑤⑥⑦が「冷たい様式」にあたります。うんうん。

◉名声が高まる1660年代の中期は「熱い様式」と呼ばれ、全体に色調の柔らかさと明るさが際立ってきた 穏やかな安定した作風。
作品『幼い洗礼者ヨハネと子羊』と③、⑧がこの時期ですね。

◉黄金色があらわれる1670年以降の後期は「薄もやの様式」。画面全体がもやに覆われているようで、温かい色調と自在なタッチの甘美なスタイル。18世紀のロココ趣味を先取りしたと言われているそうです。
作品『窓枠に身を乗り出した農民の少年』、④、⑨⑩。確かに。

画家の作風変化 … 素人にはわかりにくいので、いつもスルーしていました。しかしムリーリョは、はっきりと画風の変化を見ることができますね。わかりやすい!そして面白い❗️のです。

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実は<ロンドン・ナショナル・ギャラリー展>に行くまで、ムリーリョ作品よりスルバランの少し堅い、ちょっと いかめしくヒリヒリした感じに惹かれていました。
大きく変化したのは、鑑賞する私たちが置かれた状況変化に関係しているのかも知れません。

17世紀後半 ペストの流行と経済不況に喘ぐ中で、スルバランにとって代わり 人々が夢中になったムリーリョ。
コロナ感染症の流行で先が見えない不安と閉塞感が漂う現在、我々がムリーリョの描く子どもたちに癒されたいと思うのは自然なことなのですね。

無邪気で純粋な子どもたちの笑顔には、これからも未来の世界があり続けることを確信させてくれる喜びと、その望みがあるのです。

<終わり>

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