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画壇の明星(16)・小粋で身近な絵画

古本屋さんで見つけた1951-1954年の月刊誌『国際文化画報』。
特集記事【画壇の明星】で毎月一人ずつピックアップされる世界の巨匠たちは、70年前の日本でどのように紹介されているのでしょうか。

今回は1953年7月号について投稿します。

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まず、見開き折り込みページに心惹かれる絵を見つけました。
[中国の老画伯 斉白石]

国際文化画報 1953年7月号より

1953年当時、93歳にして中国画壇で活躍中だった齊白石さい はくせき(1864~1957)氏の作品。藤の花、朝顔に枇杷びわ、蟹にカエルもいますね。
身近な題材を描いた作品は、落ち着いた色づかいが美しい。
植物の枝や葉を墨で描き、花や実は水彩で色づけているこの画風は、その主な題材から「紅花墨葉」と呼ばれているそうです。

もしかして私にも描けるかも・・・と思わせる、サササッと筆を走らせたようなスピード感がいいですね。こんな絵はがきを受け取ったらどんなに嬉しいでしょうか。
他の作品も見てみたい!と思って調べていたら、2018年には東京と京都の国立博物館で<中国近代絵画の巨匠 斉白石 展>が開催されたようです。
全く知りませんでした。

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ページをめくっていくと、こんな作品も紹介されていました。
記事のタイトルは[うちわと扇]。

国際文化画報 1953年7月号より

面白い特集です!。全ての作品とコメントをじっくり読んで、それぞれのうちわや扇子を手に取りあおいだ気分で楽しみました。

まず「国芳のうちわ役者絵」(画像下の左)です。
「役者の似顔絵が涼み台の評判でした。この絵はこのままで ふつうの錦絵、切り抜いてうちわになるという趣向です」とあります。
歌川国芳の錦絵を切り抜いてうちわにする⁈ 今では考えられませんが、当時は国芳の錦絵がそれだけ民衆に馴染みある代物しろものだったのですね。

画像・中央にある扇絵の右下にポール・ゴーガンらしきサインがあります。
「十九世紀末、後期印象派のゴーガンが描いた扇面絵<ブルターニュ風景>」
とあります。
ゴーガンの版画を観たことはありますが、これは明らかに絵画作品の1色刷り。。。おいおいっ!。
こんな利用方法は良いのでしょうか? 著作権概念がまだまだ薄かった70年前とはいえ、少々乱暴に感じます。
色彩をのせた 完成品を探してみたのですが、見つかりませんでした。

画像・右は「初代広重のうちわ絵 東海道名所」。
「江戸末期には版画の色数を制限する出版取締りがたびたび出ましたが、藍一色の涼しい図柄はかえってうちわ絵に効果をあげました。」
とあります。なるほど。先ほどのゴーガンの1色刷り扇もこんな出版規制が影響しているのかもしれません。
そして、確かに藍一色の広重作品は涼しい印象も受けますが、雨の風景なので “爽やかな風” というより少々湿度の高い風を感じそうです。

“さてさてそこのお姉さん、まだまだ暑い日が続きます。どれかお好きな物を一つお持ちください!”
と言われたら・・・どれにしましょう?。

洋画家 鈴木信太郎の「現代のうちわ絵 <人形>」(画像下・左)も可愛いのですが、私は断然「明治時代によろこばれた是真の絵」(画像下・右)を選びます。

すし飯を扇いだり、長屋の裏でサンマを焼きながら七輪の煙を逃したり。。。“ザ・うちわ” という庶民的で身近な一品です。

私が手にしたうちわの作者、是真ぜしんとは、江戸時代末から明治中期に活躍した漆工家、絵師の柴田是真(1807-1891年)のこと。お名前すら知りませんでした。初めまして。
是真の他の作品を少し検索してみました。

左から 『果蔬蒔絵重箱』メトロポリタン美術館蔵
『雪中鷲図』東京国立博物館蔵
『鍾馗に鬼図』大英博物館蔵
『漆絵画帳 蟷螂』東京国立博物館蔵

・左)は、構図が秀逸の重箱。美しい。
・左から2番目)の作品には、鷲に睨まれて雪の中に飛び込む狐がいます。高い枝に留まって地上を覗き見る 鷲の姿が面白い!。
「そんなところから顔を出すの?」
・右から2番目)は、魔除けの神様・鍾馗に睨まれて、屏風の外へ逃げ出す鬼たち。
「こっちに来ないでー!」
・右端)は、蟷螂かまきりという題名ですが、描かれているのはバッタ?。もしかしたら、枝から伸びたつるがカマキリの釜に見えるさまを表しているのかしら???

ひとつ一つの作品 全てが面白くてカッコいい!。
そんな是真は「軽妙洒脱でエスプリに満ちた粋な作風は、ジャポニズムの熱狂を背景として欧米人に好まれ、かなりの作品が海外に渡り 愛好されている」のだそうです。
軽妙洒脱”、“粋な作風”、とても気になります!。
柴田是真さん、お名前を覚えておくことにしましょう。

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さて本題の【画壇の明星】。今月はラウル・デュフィ(1877-1953年)です。
デュフィは本誌の発売年と同じ1953年に亡くなっているのですね。

国際文化画報 1953年7月号より

記事にはこう書かれています。

デュフィの発想は、軽やか、華やかである。フランス風に気がきいている。といっても物の形は、じつにしっかりと描いている。だが自然についておよそ勝手の違う解釈をしている。単純にし、あかるい色彩の上に線描でむぞうさに形をとる

あまり上手くない翻訳のせいで 文章は少し分かりにくいのですが、
「軽やか、華やか」「色彩の上に線描でむぞうさに」輪郭線を引いて形を取っているという点は、ふむふむ、と。

私のデュフィに対する印象は、軽やかなメロディが聴こえて来そうなフランスの風景、少しフワフワして浮世離れしている作品。絵画というよりファッショナブルなデザイン画を見ているよう。
実は2019年10月から12月まで汐留パナソニック美術館で<ラウル・デュフィ展>があったとき、行こうかどうしようか迷ったのですが、結局行きませんでした。
今の私にはまだ良さが理解できないかな、と。

そんなデュフィについて調べていると見つけたのがこの記述。
「デュフィのいくぶん自然主義的な様式は、1905年にマティスの『豪奢、静寂、逸楽』を見たことで変貌する」

あらま。私が二度目の対面を果たしたこの作品のことですね。

東京都美術館で開催中の<マティス展>メイン・ビジュアル
『豪奢、静寂、逸楽』(1904年)

8月20日(日)まで東京都美術館で開催中の<マティス展>、実は5月に行ってきました。
その展示会場で、
マティスにとって【新印象主義】ポール・シニャックと共に過ごしたサントロペでの1年間が大きな転機となり、そこで生まれた作品が『豪奢、静寂、逸楽』であると学びました。
そして、この作品がデュフィに大きな転機を与えることになるのですね。

この作品を見た時、私は絵を描くことの新しい理由をいっきょにすべて理解した。このデッサンと色彩のなかに表現された想像学の奇蹟を眺めているうちに、印象派の写実主義は私にとっておよそ魅力のないものとなっていった・・・

デュフィの言葉(訳:高階秀爾先生)

この後、デュフィはそれまでよりも もっと明るい色彩を使うようになったそうです。
美術の世界でも歴史は繋がり、そして引き継がれていく・・・。あたり前のことに感動し、ドキドキします。

今回はWikipedia の記述から いくつかのキーワードをメモして、デュフィに対する私の “フワフワした印象” を正すに留めておくことにします。

デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描いた

Wikipedia より

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最後に。
一人の画家に注目した美術展を鑑賞した後の感想は、

A. 無性に好き!
B. よくわからないけど好き!
C. 気になる(もっと知りたい)
D. 凄い とは思う
E. よくわからないので今度また
F. 好きではない
G. 興味が湧かない

いろいろなレベルがあるのですが、<マティス展>を鑑賞(5月)した後の感想は、
D. 〜 E. (凄いと思うけど、詳しくは今度また)といったところでしょうか。
マティス作品、そしてマティスという人を語るには、私にはまだまだ修行が必要だ!と感じたので、敢えて投稿していませんでした。
いつの日にか必ずや。。。

そんなマティス展で購入したポスト・カードはマティスの描いたデッサン。

女性の顔(星柄のヴェール)L5(1942年)

ちょっと “こ生意気なまいき”そうな女性が
「んっ?」
とこちらを向いています。

【フォービスム】を代表する色彩の魔術師=マティスなのですが、私が持ち帰りたかったのは色のないスケッチ。とても惹かれました。玄関に飾っています。

色のない作品?。あらっ、一色刷りのゴーガンの扇と同じでは⁈ とちょっと焦りましたが、違いますよーーー(笑)。

そう言えば、最近の展示会で購入したポストカードは、ほとんどが素描やスケッチです。

上段)アンリ・マティス
左下)ピカソ、右下)エゴン・シーレ


スケッチされた「ちょっと小粋な」女性たち。
これが今の私の最も身近に感じる絵画なのかもしれません。
しばらくはこのライン・アップで楽しませていただきます!

<終わり>

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