エッセイ『幸せとは?』

幸せとは何か。どうしたら幸せになれるのか。これは私が死ぬまで考え続ける事だろう。
特に最近は色々な相談を受ける事が多く(ただただのんびり話を聞いて美味しいご飯をひたすら食べさせるだけの立ち位置だが)幸せの基準って何だろうとよく考える。

これはあくまで自論だが、幸せとは単なる心の持ちようだと思う。たとえば雨の日に「雨だ最悪」と思うか、「雨だから涼しいな」「大好きな柄の傘を使えるな」と思うか。それだけの差だ。育った環境や社会的立ち位置も多少関係するが、それを言い訳にして(幸せを熱望しながらも)何もせず愚痴や不満ばかりこぼしているようでは決して幸せにはなれない。

ちなみに幸せには二種類ある。"本物の幸せ"と"偽りの幸せ"だ。本物の幸せは自分一人で完結できる。分かりやすいところで言うと、自分自身を愛する事だ。一方で偽りの幸せは"他人からの評価"を必要とする。誰かに「愛されたい」「認められたい」「褒められたい」など。
自分を愛する事ができない人間が誰かを愛する事はできないと私は思う。だからまずは自分を愛する事だ。弱い自分を認めてあげる。欠点を受け入れる。そしてどうしたら自分を好きになれるか追求する事は決してやめてはいけない。そこを妥協して「私ってこうだからさ」と決めつけて諦めてしまう事は、自ら幸せになるのを拒否している事に他ならないし、「好きな人に好かれない」「好きでもない人に好かれる」という状況が生まれてしまう。
自分を愛する事ができれば、家族も友人も恋人も愛する事ができる。そりゃそうだ。愛し方を知っているのだから。

何度も言うが、幸せになるにはまず"自分一人で完結する幸せ"を見つけなければならない。そこには絶対に他人を干渉させてはならない。家族ですらも。常識と呼ばれる単なる固定観念や周りの目を気にしてはいけない。

自分自身をどう愛したらいいか分からない時は、自分の中に"もう一人の自分"を作ればいい。そうすれば自分を客観的に見る事ができるから、友人にアドバイスするように自分にアドバイスをし励まし全力で味方をするのだ。
その過程には必ず"孤独"がつきまとう。孤独は決してネガティブなものじゃない。皆が孤独を恐れるのは、孤独=つらい・寂しい、と思っているから。しかし本来は孤独=自由である。それを知り得たらもう何も恐くない。
自由を楽しむ(=一人で生きていける余裕を持つ)には、それなりの知識が要る。お金の稼ぎ方や社会情勢、多少の心理学や哲学、家事の時短テクなど。それらが幸せになるための切符だと思うと、きっと楽しく知識をつける事ができるだろう。

自分が自分をこの世で一番愛し、自分が常に自分の味方である事を実感するまでは、他人に何も期待してはならないし、まして「自分の味方であってくれ」「自分を愛してくれ」「寂しさを埋めてくれ」などと要求してはならない。それこそ傲慢であり不幸のもとなのだ。

本物の幸せを意識しながら生きると、どういう行動や感情が幸せを手放す事になってしまうのか分かってくるだろう。
幸か不幸かの判断を他人に委ねるのはやめよう。法律を破らなければ、幸か不幸かなんて自分で判断してしまえばいいのだ。たとえばセフレが五人いる事が、一般的に見れば悪い事だとか病んでる女だとか思われようが、自分自身がそれに満足し、それによって相手に求めすぎず距離を保つ事ができ、"女"としての幸福度も上がるならそれでいいのだ。決して誰か一人の人間を愛し続ける事が幸せとは限らない。多様化が進む現代では余計に。またそうした自分一人で完結する幸せを実現させる事で"成功体験"ができ、自尊心や自信も自然に上がっていく。だから決して自分を愛する努力を妥協してはいけない。自分にとって幸せとは何か?を追求し続ける事をやめてはいけない。髪を切る事もメイクをする事も部屋を掃除する事も仕事も生きがいも何もかも、本来は他人ではなく"自分のため"であるべきなのだ。毎日楽しい事はある。どんな事にもいつ何時でも小さな幸せを見つける事が習慣化するまで、その努力を怠ってはいけない。
そして"感謝する心"を持ち続ければ、それだけで人は幸せになれる。幸せは簡単に作れるのだ。幸せになる覚悟を持て。

そんな事を思いながらここに記した言葉は、最も全て私自身に向けたものではあるが、少しでも人生に悩む友人の助けになれたらこれ本望だ。

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