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『インターネット』呪詛とは人を呪い殺すということですが、電脳世界で感情を発露することは自分に向かって呪詛を唱えるようなものです。

呪詛じゅそとは人をのろい殺すということですが、電脳でんのう世界で感情を発露はつろすることは自分に向かって呪詛じゅそとなえるようなものです。
それによって事件がいろいろ起こっていることは周知の通り。インターネット空間というものは呪詛じゅその次元と同じだと思うのです。

インターネットと大脳の萎縮と馬鹿

インターネットをやることは悪いことではないですが、そこで感情を発露はつろすると本当にねんの世界に入ってしまうことになります。これをすると自分の運命にも関わりますし、良いことは何もありません。

じゅには良いじゅと悪いじゅがありますが、良い呪(たとえば般若心経はんにゃしんぎょう)はとても高次元なものなのです。
ネット空間でのそれは悪い呪の世界に入ります。
インターネットの空間は低次元の空間であり、人々はそこでサーフィンしているのだから、ろくなもんじゃないなと私などは思ってしまいます。
そうした念の中に入ってしまうインターネットユーザーが世界では何億人、日本でも何千万人もいて、人々がどんどん呪詛じゅその世界に取り込まれていき、大脳だいのう萎縮いしゅくして馬鹿ばかになっていく。
こうやって世界は終わりに向かっていくのだと、私はこの世をあんじてしまうのです。

大脳だいのう萎縮いしゅくが起き始めたのは、インフォメーションテクノロジー(IT)と呼ばれている情報技術が動き始めたころからでしょう。おそらくインターネットの空間と電磁波でんじはが脳に影響を与え、人間にダメージを与えているのです。

依存と家畜化から抜け出すために

社会は発達するにしたがって、他者への依存いぞんが強くなり、同時に人間が家畜化かちくかしていきます。みんなが馬鹿ばかになって、社会がひずんでいく。そうして世紀末せいきまつがやって来る。世紀末を迎えた後、人間の文化は5000年くらい戻さなくちゃいけないと私は思っています。当たり前だと思っていることをすべて疑って見ることが重要で、それが難しいのかといえばそんなことはなく、自己の存在に立ち返る、たったこれだけです。自己を取り戻すということは、もう一度人間本来の立ち位置に立ち戻るということに他ならないのです。

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