津久井やまゆり園事件について

事件の概要について 

 2016年7月26日、19人の方が殺され、26人の方が重軽傷を負わされた事件がありました。津久井やまゆり園という障害者施設で行われた殺人事件です。
 被害の実情については、NHKの特設ページの「19のいのち」をご覧ください。
 この事件、今年2020年3月16日にようやく第一審の判決が言い渡されています。判決は死刑。被告人の弁護人は控訴しましたが、被告人本人が控訴を取り下げ、この判決は確定しています
 現在、この被告人本人の控訴取り下げは無効だとして支援している弁護士らが裁判所に申し入れ等しているようですが、それについてはここでは触れません。
 事件の詳しい内容や経緯については、朝日新聞のまとめや、その他、事件名で調べてもらえばすぐに色々出てくると思います。

この事件について記事にした理由

 直接的な理由は、「きなこ」さんという方がnoteに書かれた以下の記事をご紹介したいと思ったからです。この記事は今年の2月に書かれたもので、当時も読んでいたのですが、たまたま読み返して、今紹介しておきたいと思い記事にしています。
 ちなみに、きなこさんという方と私は面識はなく、noteとtwitterで知るだけなのですが、特に法律家とか、専門家という方ではありません(と思います。)。

この事件との向き合い方について(記事のご紹介)

 この事件とどう向き合うべきなのかということについて、きなこさんの答えに非常に共感します。共感いただけるか分かりませんが、こういう考えが広まって欲しいと願っています。
 この事件については、個人的にずっとモヤモヤしたものを抱えていて、これですべてすっきりするというものでもありませんが、勇気づけられた気がしています。
 また、記事内に出てくる、亡くなった美帆さんのお母様が裁判で述べられた心情に関する意見陳述の全文は、今も公開されています。
 以下、全文を引用します。

 私は美帆の母親です。

 美帆は12月の冬晴れの日に誕生しました。1つ上に兄がいて待ちに待った女の子でした。幼いころはとても音に敏感でした。大きな音初めての場所、人がたくさんの場所が苦手でした。人に挨拶されただけで泣き叫ぶ子でした。3歳半で自閉症と診断されたあとは、とにかく勉強しました。本を読んだり、講演会に通い、少しでも美帆のことを理解しようとしました。他の親御さんたちと障害のある方や、その親の気持ちを伝えようと思い、学校や地域で語ったこともありました。睨(にら)まれたり、怒られたりするのが恐かったから理解してくれる人を増やそうと思いました。美帆が私の人生の全てでした。

 多くの良い先生や、友達、支援してくれた職員さん、ガイドヘルパーさん、ボランティアさんに恵まれました。皆、やさしく接してくれたので、とても人が好きで人懐っこい子に育ちました。とても音楽が好きでいきものがかり、ドラマの主題歌や童謡、クラシック、アニメ等ジャンルは問わず、いろいろな曲を聴いてノリノリで踊っていました。乗り物に乗っていると御機嫌でよくドライブしたり、電車やバスに乗りました。小さい時はブランコが大好きでした。プール、ジェットコースター、プラネタリウム、水族館、パレード、らーめん博物館、公園等、本当に大好きでいろんな場所に家族やガイドヘルパーさん、ボランティアさんと出かけていました。

 成長するにつれ美帆は落ち着いてきました。一方で、9歳から大きなてんかん発作があり、小学校5年生ぐらいから多い時は週1、少ない時も月1回ぐらい発作がありました。

 家庭の事情で中学2年生の時から児童寮で生活していました。毎月会いに行くのが楽しみでした。仕事も娘のためと思うとがんばれました。多い時には4つの仕事をかけもちでしていました。

 娘に障害のこと、自閉症のこと、てんかんのこと、いろいろ教えてもらいました。私の娘であり先生でもあります。優しい気持ちで人と接することができるようになりました。待つことの大切さや、人に対しての思いやりが持てるようになりました。人の良い所(長所)を見つけることが上手になりました。人を褒めることが上手になりました。

 美帆は人懐っこくて言葉はありませんが、すーっと人の横(そば)に来て挨拶をして前から知り合いのように接していました。笑顔がとても素敵で、まわりを癒やしてくれました。ひまわりのような笑顔でした。美帆は毎日を一生懸命生きていました。

 「お母さんのことを思うといたたまれません」と言われて、むかつきました。考えも変えず、1mmも謝罪された気がしません。痛みのない方法で殺せば良かったということなんでしょうか。冗談じゃないです。ふざけないで下さい。美帆にはもう、どんな方法でも会えないんです。

 当日は7時30分頃「美帆が被害にあっている」との連絡をもらい9時~10時の間頃やまゆり園に着きました。名簿の×を見た時から、もう何が何だかわからなくなり、頭も真っ白でした。何回も夢じゃないかと思い、ほっぺたをつねってみたのですが、夢か現実か、自分が誰なのか、どうしてここにいるのかもわからなくなっていました。

 だいぶ時間がたってから美帆に会えました。顔しか見せてもらえませんでした。ストレッチャーに乗せられていて「美帆ちゃん、美帆ちゃん」と何度呼んでも答えてくれなくて、自分で体温調節をするのが苦手で汗をあまりかかない子だったのでいつも暖かい子が、その時は、すごく冷たくて、冷たくて、そんなこと一度もなかったのにすごく冷たくて一生忘れることのできない冷たさでした。会ったのは数分だと思います。

 プリント等配っていましたが、何を手にしているのだろう、皆、何を言っているのだろうと不思議でした。私は頭痛がひどくて「診療所の先生が園に来ているから具合の悪い人は言って下さい」と園長先生に言われて診てもらったら「血圧がすごく高いので頭痛はなおらないけど点滴するので診療所に来られるようなら来て下さい」と言われ警察の車に乗せて頂き点滴を受けました。警察と園と遺族の話しで、名前を出すか出さないかでとても揉めていたのを覚えています。私は言葉がでなくて一言も発することが出来ませんでした。

 葬儀は、地元の斎場で音楽葬でしました。マスコミが多く来ていたようですが、弁護士会から来て頂いている弁護士や警察が協力して入れないようにしてもらえました。美帆の好きな童謡やいきものがかりなどの音楽を流し、参列者には娘の顔も見てもらいました。美帆のアルバムや額に入った写真を見てもらいました。着物を着せて見送りました。のべ200人位の人が見送ってくれました。

 事件後、家(うち)はめちゃくちゃになりました。社交的で老人会や自治会の活動に積極的に参加していた祖母が家に引きこもってしまい、一歩も外に出なくなりました。人と話をするのが好きだったのに誰とも話さなくなりました。料理や庭の手入れをするのが好きでしたが全くしなくなりました。笑顔が消え、表情がなくなりました。兄は具合が悪くなり、休み、休み、仕事をしていましたが入院することになり仕事を辞めました。私は食事をしても味がわからなくなり、9kgやせました。心療内科に通い薬を飲むようになりました。体が痛くて寝る時に骨が当たって痛くて眠れませんでした。1人で外出するのが怖くなり、外に出られなくなりました。がんばって外に出ると心臓の動悸がすごく、ドキドキしてブルブル全身が震えてしまうことがよくありました。今でもこの発作で震えてしまうことがあります。私の人生はこれで終わりだと思いました。自分の命より大切な人を失ったのだから。美帆がいなくなったショックで私達家族は、それまで当たり前にしていたことが何一つできなくなりました。

 私達家族、美帆を愛してくれた周りの人達は皆、あなたに殺されたのです。未来を全て奪われたのです。美帆を返して下さい。

 他人が勝手に奪っていい命など1つもないということを伝えます。

 あなたはそんなこともわからないで生きてきたのですか。

 御両親から教えてもらえなかったのですか。

 周りの誰からも教えてもらえなかったのですか。

 何て、かわいそうな人なんでしょう。

 何て、不幸な環境にいたのでしょう。

 本当にかわいそうな人。

 私は娘がいて、とても幸せでした。決して不幸ではなかったです。「不幸を作る」とか勝手に言わないでほしいです。私の娘はたまたま障害を持って生まれてきただけです。

 何も悪くありません。

 あなたの言葉をかりれば、あなたが不幸を作る人で、生産性のない生きている価値のない人間です。

 あなたこそが税金を無駄に使っています。あなたはいらない人間なのだから。

 あなたがいなくなれば、あなたに使っている税金を本当に困っている人にまわせます。

 あなたが今、なぜ生きているのかわかりません。

 私の娘はいないのに、こんなひどいことをした人がなぜ生きているのかわかりません。

 何であなたは一日三食ごはんを食べているのですか。

 具合が悪くなれば治療も受けられる。

 私の娘はもうこの世にいなくて何もできないのに。

 あなたが憎くて、憎くて、たまらない。八つ裂きにしてやりたい。

 極刑でも軽いと思う。

 どんな刑があなたに与えられても私は、あなたを絶対に許さない。許しません。

 私の一番大事で大切な娘、美帆を返して下さい。

 美帆はこの世にいなくて、好きなことは何もできません。私達家族とあうこともできません。失われた時間はもう二度と取りもどせません。

 でも、あなたは、こうして生きています。ずるいです。おかしいです。

 19人の命を奪ったのに。美帆は、一方的に未来を奪われて19年の短い生涯を終えました。

 だからあなたに未来はいらないです。

 私は、あなたに極刑を望みます。

 一生、外に出ることなく人生を終えて下さい。

 2020年2月17日 美帆の母

匿名報道

 この事件、19名もの障害者の方を元施設職員が一方的に加害し、判決後ですらそのことに反省の色をみせないという絶望的なものでしたが、事件当時の報道は、昨年の京都アニメーションへの放火事件等に比べると大人しいものでした。報道が過熱することもそこまでなく、収束したように思います。そこには、この事件が、被害者の氏名等について完全に匿名で報道がされたことも関係していると考えています。

 この事件では、被害者の匿名が完全に守られました。これは、報道機関が自主的に匿名にしたのではありません。警察と被害者支援をしている弁護士らが協力し、事件後すぐにすべての被害者に代理人となる弁護士を派遣し、マスコミと被害者との接触をシャットアウトしたためです。京都アニメーションのときのように、警察が後から実名を発表することもなく、現在に至ります。
 美帆さんは、例外的にご遺族であるお母様が、裁判にあたって、裁判では被害を受けた美帆さんのことを、記号ではなく名前で認識してほしいという思いで公表したものです。

 被害者のプライバシーを守る、意図しない氏名の公表を拒絶できた、という点で、この試みは(被害者支援に関わる人間にとっては)非常にセンセーショナルなものでした。
 完全にシャットアウトしたことがベストな方法だったのかについては検証が必要と思いますし、実名報道が当然という認識を持つ報道機関の方々との対話は必要と考えています。
 ただ、昨年、京都アニメーションの件で匿名から実名に変えた後の報道の状況を振り返ると、実名が必要だとの報道機関の主張はなんだったのかと思うところです。

 やまゆりの件は、被害者の氏名が匿名だからこそ、風化させてはならない、なんとか被害の実情に迫ろうと報道も工夫され、NHKではそれぞれの被害者の人となりを取材した特設ページが設置されて、今も更新されています(「19のいのち」)。
 非常に丁寧に取材がされていると思いますし、氏名や写真が無くても、失われた方々の姿が分かるように思います。

 他方、京都アニメーション事件の特設ページは、「19のいのち」に比べて、正直、被害者自身の実情を知らせようというものにはみえません。京都アニメーション事件は、非常に愛されるアニメーション作品を作り続けてきた方々が被害を受けたために、「作品を作った人」たちという側面がクローズアップされ、失われたものはアニメーション作品だったように報道されている気がしてなりません。
 京都アニメーションとその作品が大きく取り上げられ、個々の被害者について触れられることに乏しい報道を思うと、あれほど実名にこだわり、匿名から実名に切り替えさせた情熱は何のためだったのか、分からなくなります。

 被害者、ご遺族の方は、報道が多くなされた事件であればあるほど、今まで関わってこなかったような人達からの好奇の視線にさらされ、要らぬ詮索を受け、疲弊していきます。ただでさえ被害に直面し、精神的に耐えられない状態にある被害者、ご遺族に、そうした負担をさせることに見合う価値が、今の実名報道にあるのか、もう一度きちんと考えていただきたいと思います。

障害者施設での虐待とその検証について

 この事件、裁判で認定された事実によると、津久井やまゆり園での虐待があったのではないかという認定がなされており、2020年1月に検証委員会が設置され、その結果をまとめて2020年5月18日に公表された中間報告では、長期の虐待が疑われることが報告されています。

「津久井やまゆり園に勤務し始めたころは障害者を「かわいい」と言うことがあった。しかし、「職員が利用者に暴力を振るい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱っていないように感じたことなどから、重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」

 事件の背景として非常に気になる点であり、こうした実情を振り返り、より良い状況へつなげていくことこそ事件の再発防止となるように思います。
 ところが、今日の報道によると、神奈川県は、今後、県内施設全体の検証を行うはずだった調査を打ち切る意向を示しているようです
 これがどういう意図なのかはまだ分かりませんが、事件も、事件に至る背景も、このまま風化させてはいけないのではないかと思います(今も事件を追っている雑誌編集者もおられます)。

 今回は、あまりまとまりのない内容ですが、今日たまたま、きなこさんの記事を読み返し、今日気になる報道がなされたというのも縁と思い、このまま記事としたいと思います。

以上