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トリビュート・トゥ・ザ・パスト/バック・トゥ・ザ・フューチャー

ゴッホより~普通に~ ラッセンがっ好っきぃ~!!
と絶叫する、自称カルト芸人「永野」を貴方は知っているだろうか。

ってこのブログにアクセスした人ならば知ってると思うけど、しかしこのネタの「ラッセン」って意外と知らないんじゃないかな…
ゴッホは美術の授業で誰しもが耳にする印象派の画家だが、ラッセンとは主に1980年代から90年代を席巻した、イルカやハワイの海などの絵を得意とするエアブラシアーティストだ。
その時代を生きた人なら必ずと言っていいほどその作品を目にしているであろうが、のちにその人気を利用した絵画商法が90年代には横行していた。

僕も街頭で「絵画に興味ありますか?」と声をかけられたことがある。
当時の僕は髪を伸ばしてつま先の尖った革靴を履いて大学に通っていた、(今もあまり変わらんが)そんないでたちで、カリフォルニアコネクションよろしくジグザグ気取ってたもんだから、「絵画?もちろん芸術には興味ありますけど、何ならアーティストの端くれですけど」なんて答えようとも頭をよぎったけど、その声かけてきた女性の着ているナイロン生地のペラペラのジャンパーにあしらわれている画商の名前のロゴのフォントが、あまりにもダサくて、この業者ほんとに芸術を嗜むことを生業にしてんの?って直感が働いて「すみません、急いでますから」と、そそくさと逃げたものだった。

ラッセン自身には絵画の技術も芸術性もあるだろうが、商業画家として、その胡散臭い画商のオファーに甘んじている様相は「ロックじゃねえな」って思った。
歴史をさかのぼれば著名な画家だって音楽家だって、家が裕福だったりパトロンがいなきゃ続けていけないことは頭で分かっているし、それがあったからこそ歴史に葬られたりせず後世に語り継がれてきたのだと思う。
その道からあぶれた作品は古いところで言えば「カストリ雑誌」などがあり、戦後にもなると「ガロ」などのアンダーグランドも発展し、それがやがて「サブカルチャー」へと発展していった、という認識でいるが、だからと言って「商業的なレールからあぶれたもの=ハングリー精神=ロック」と定義づけるつもりも更々無い。

そういう背景があるからこそ
ゴッホより~普通に~ ラッセンがっ好っきぃ~!!
太宰より~普通に~ an-anがっ好っきぃ~!!
などと、”高尚さ”よりも”分かりやすさ”を「好き」だと言ってしまう己の小物感だったり俗物感を自嘲する姿がどこか滑稽に映るのである。
ゴッホも太宰も高尚ではないがw
もちろん”分かりやすさ=ポピュラー”であることを受容する思考も一方では持っているつもりだ。

僕がそんな大学生活を送っていた頃、ちょうど同世代の永野もまた、芸人になるべく宮崎県から上京して東京というアスファルトジャングルの胡散臭さを肌で感じていたことだろう。
ウェルカム・トゥー・ザ・ジャングル♪
しゃななななななな にぃ~っ、にぃ~っ、にぃ~っ、
なのである。

そんな永野は、上京してしばらく三軒茶屋に暮らしていて、なかなか芸人としての芽が出ずに三茶でくすぶっていたことをYouTubeの永野チャンネルで知ったのだが、

ちょうど同じ頃、僕はその近くの大学に通い、そこでの軽音楽部の活動に没頭し、そこで知り合った仲間とバンドを結成し、結局僕は卒業することできぬまま(苦笑)、三軒茶屋にある貸しスタジオに通ってバンド練習をして、渋谷などの小さなライブハウスで演奏をする、という日々を過ごしていた。

永野が歩きながら「ここも行ってたよ、なんか知らんけど。なんの思い出もない、美味しかったとも思ってないし」と指さしている喫茶店は「シャノアール」というお店で、まさに僕たちのバンドの練習後のミーティング場、というか”たまり場”に近い状態で、コーヒーと時々ケーキなんかを注文する程度だったが、実に長い間お世話になった場所でもあった。
変に小洒落てなくて、むしろ昔ながらの、かといってレトロなわけでもない、永野が言うようにこれといった特徴もない喫茶店だった。

シャノアール三軒茶屋店

当時の僕達を振り返ると、ロックンロールだぜ!ともハードロックだぜ!ともギラギラしていなかったし、ヴィジュアル系だぜ!女にモテたいぜ!ともギラギラしていない、かといって最先端の「渋谷系」をスカしたように気取ってもいない、だけど僕達が集まって僕達なりの「好きな音楽」を追い求めるにあたっては、奇をてらったお店の装飾だったり、情報量の多い音楽のBGMだったり、めんどくさいオーダーシステムも邪魔に思えていたのかもしれない。
ゆえにそこが居心地良かったのだろう。
もしかしたら、僕たちは当時の永野と同じ時間帯にシャノアールのどこか離れた席でアイスコーヒーなんかを飲んでいたかもしれない。

そのシャノアール三軒茶屋店なのだが、今調べてみたら2021年の9月末に閉店してたんですね…
永野がYouTubeでシャノアールの前で撮影してたのが、ちょうどコ□ナ禍であった2020年、僕が永野のそれを観た時は既に三茶のシャノアールは閉店されてたんですね…

とある日の、たしか”つれづれ”を観に遠征してた頃、確か2018年頃だったかな、僕は夜行バスで大阪に着いた。しかし時間が早すぎてどこかモーニング帯も開いている喫茶店を探して歩いた。
カフェ・ヴェローチェという比較的座席も多く充電コンセントもあるお店を見つけて僕はそこでコーヒーとサンドイッチを注文した。
コースターだったか、伝票だったか忘れたけれど、そこに書いてある文言を読んで、「へぇ!ヴェローチェってシャノアールの系列店だったの!?」って懐かしい気持ちになった。
あの頃もしも、大阪から戻ってきてさっそくあの三茶のシャノアールにでも再訪してみようかとも思ったけど、既にバンドは活動休止状態にあるし、元ドラマーは既に就職して家族を持ってるし、ギタリストは三重県に引っ越してそこで家族を持って暮らしている。
僕一人で再訪するのも寂しいものだな…

なんて考えていたが、気づいた頃には三茶のシャノアールはもう無いんだな…

https://www.youtube.com/watch?v=34a5_viQN6s

他の「出版区」という動画で下北沢のヴィレヴァンで本選びをしながらだったかな、永野は「僕はもう人生の折り返し地点も過ぎてるし、新しいものはもういいかな、残りの人生は振り返ることだけで死んでいこう」みたいな趣旨の話をしていた。
僕はそんな永野の悟り切ったような言い方を少し寂しいと思った。


僕は相も変わらず、自分が人生のどの地点にいるのかを自覚していない。
というか、もしも明日死んでしまったらその皮算用も意味を為さないし、遠い未来の約束事なんてしてしまったら無責任だと思うし、もし明日死んでしまっても悔いのないように生きていたい。

僕がこのブログで文字に起こすことは過去への追憶が多くなりがちだけど、今でも新しい音楽に触れて発見することは楽しいし、まだまだ知らない世界はたくさんあると思う。
しかしそれらの膨大な世界の中から、手当たり次第のべつ幕なしに食べてゆくには、消化するには時間が足りないのも事実だし、僕はかつて明日にでも死んでしまったらどれほど楽だろうって思っていた頃、自らに人生の宿題を課すべく、「このキットを完成させるまでは死ねない」と言い聞かせるようにプラモデルを買い集めていた時期もあったし、「この本を読了するまでは死ねない」的な本もたくさん積まれたままであるし、音楽だって映画だってまだ聴けてないのも観られてないのもたくさんある。
「老後にゆっくり時間でも…」などと悠長なことなど全く考えられないし、この国は僕ら世代を見殺しにしていくのは日を見るよりも明らかだし、そんな社会的迫害に抗って生きることこそが「ロック」だと、僕は思う。

だから、ロック音楽などの退廃的ムードに耽るように「死」に憧れる若者がいたとしたら、僕は言いたい。
死ぬことは、自死することはシリアルキラー権力への服従だ!
社会への復讐は生きることだ!とな。

大切な人が未来に向かって成長・進化してゆく姿を応援したくて、こうしていわゆるアイドルファン的な活動をしているわけで。
強引に一括りにしてしまうのならば、古きを訊ねて新しきを知る、温故知新の精神に基づいて、大切な人の何か少しでも役に立つのならば、そう考えているのだろう。

このまま死んでいくよりは、せめてタンポポの綿毛のように、いつか何処かで花咲かせられるものを残していけたならば、僕が生まれてきたせめてもの意味があったと、いつかあの世に逝ったときに思えるだろう。

狂い咲き命を燃やす
揺れながら あなたは夢見る
この世界は美しいと
この胸に きっと咲いている

幻想の花/BUCK-TICK

僕の心に内在する「花」を自身に投影する価値観は、この曲の影響が大きい。命とは、ろうそくのように限りのあるもので、それが徐々に小さくなってゆくのを知りながら燃やしながら生きている。
そうやって死を意識すること、すなわち”memento mori”の精神があるからこそ、美しく生きていきたいと思う。

とある日、僕の大切な人がこんな歌を歌っていた。

花のように 花のように
ただそこに咲くだけで 美しくあれ
人はみな 人はみな大地を強く踏みしめて
それぞれの花 心に宿す

花/中孝介

お互い似た価値観に共感しているんだな、と嬉しい気持ちになったと共に、僕が狂い咲きなのに対し、彼女が真っ直ぐに咲いている、という差異もまた、なんだか愛しい気持ちになった。
人間誰しも同じではない。
同じではない故、自分の持っていない相手の価値観を知れることもまた嬉しいし、相手に自分を知ってもらえることもまた嬉しいし、そしてまた共通したところもある、その絶妙なバランスが合わさるとそれが「好き」って気持ちになるのかもしれない。

永野の話に戻すと、永野の「振り返るだけで死んでいこう」という言葉を文字通りにそれを受け止めてしまうと、自分自身の過去の記憶と向き合うだけで世界は完結してしまうし、まだ知らない部分のある相手のことを好きになり求め合うこともないだろう。

とは言いつつも永野だって、ヴォーカルの櫻井敦司さんが夭逝して楽器隊の4人が残ったBUCK-TICKが今後どんな展開をしてゆくのかという未知なる世界を楽しみに待ってるわけだし、「振り返るだけ〜」発言も、永野の持つ多面性のうちの一面にしか過ぎないことも分かる。
だって永野って探究心や好奇心たくさん持ってるもの。
ただ、昨今の流行を追ったりするよりも自身の「好き」を深化させたいんだろうな〜って。それはものすごくよく分かる。

そんなわけで立て続けに永野の動画を観ているのだが、「ヒロシです…」でおなじみの芸人ヒロシもまた永野と同様にBUCK-TICKが好きでほぼ同じ時代を生きてきたし、ヒロシが最近始めたバンドでヒロシが弾いているベースがまた、LUNA SEAのJモデルの黒ってのもまた共感できる…っつーか、僕も全く同じ黒のJベース持ってるしw
一番好きなバンドがBUCK-TICKだとしても、だからといってベースがユータ(樋口豊)と同型ではないんだよな。ユータのベースも勿論BUCK-TICKのサウンドにおいて重要だしユータのことも好きだけど。

だけど当時の自分にとってのベースヒーローは誰?って話になるとLUNA SEAのJってなるのも共感できる。しかもJさんもBUCK-TICKではギタリストの今井寿さんのこと大好きなんだよな。
そういうところ、ヒロシも僕も共感してたんだろうなって。

そんなヒロシと永野が2人でBUCK-TICK愛を語り合ってる動画もめっちゃ共感できるし、彼らが直接会ったBUCK-TICKというものを聞いてると、ああ、BUCK-TICK好きになってよかったなぁと心から思う。

だからといって永野もヒロシも僕も彼らの作品を絶えず追い続けてきたわけではないし、いろんなジャンルの音楽を聴くのに忙しくて彼らの音楽から距離を置いた時期もあった。
それでもメンバーチェンジを一切せずに絶えず新しいことに挑戦し続けているBUCK-TICKを僕は尊敬している。
僕にとってのBUCK-TICKは、いつでも帰ってこられる親戚の家のお兄さんのような存在、そんな感じなんだよね。

今となっては結成から35年以上経つ超大御所とも言えるバンドだけど、でも彼らは決して偉ぶったり驕ったりしない。
それを身を以て証言してくれたヒロシと永野には感謝の気持ちで一杯だ。
ほんと僭越な話だけど、僕も死ぬまでに一度、今井寿さんと会ってお話をしてみたい。

BUCK-TICKについて語ると、それこそキリが無いので永野の話に戻るけど(笑)

そんな永野はBUCK-TICKから音楽にのめり込んでいって90年代にはニルヴァーナなどに代表されるオルタナティヴ・ロックに傾倒していった。

その辺の音楽経歴はその後も国内のヴィジュアル系やアイドルなども聴いてきた僕とは少々異なる部分があって、最近になって永野のYouTubeを観たり、永野の著書である「僕はロックなんか聴いてきた」を読んだり、そこで挙げられている”名前は知ってるけどちゃんと聴いたことない”作品に触れたりして、僕は今もなお新しい発見をしている。

そんな中「永野が好きな洋楽曲ベスト10」を観ていたら

その中にもやはり、”名前は知ってるけどちゃんと聴いたことない”作品がいくつかあって、永野が一位に挙げた曲を聴いてみて僕は驚いた。
それはThe Barbustersの「Light Of Day」という曲で、映画『愛と栄光への日々』(Light Of Day)の劇中に登場する(実在しない)バンドThe Barbustersの劇中歌でヴォーカルはジョーン・ジェットでギターがマイケル・J・フォックスだった。

マイケル・J・フォックスといえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が代表作であるが、(実は)僕はその作品をまだ観たことがない。
高島忠夫の土曜ロードショーだったか、淀川長治の日曜洋画劇場でも何度も放映されたはずだがw
僕はディ●ニーやジ●リをぜんぜん知らないだけでなく、こういった大ヒット映画も案外よく知らないんですよね…
「デロリアンかっこいい」だとか偏った知識はあるんだけどw
そんな僕にとってのマイケル・J・フォックスの印象といえばホンダ・インテグラのCMでのマイケルだった。

ギュウィィーーーン♪
とトレモロアームでVTECエンジンの咆哮を再現するような演出でHuey Lewis & The News の「The Power Of Love」が流れるCMがかっこよくて僕がエレキギターというものに憧れたきっかけのひとつだったとも言えるだろう。

そんなマイケルがCMでギターを披露しているのは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の劇中でチャック・ベリーの「ジョニーB. グッド」を演奏するシーンがあることを想起させる演出でもあったのだろうけど、その映画が大ヒットしたのが1985年、2年後の1987年に公開される「愛と栄光への日々」でマイケルがギタリスト役に抜擢されたのにはそんな背景もあったのかもしれない。
その「The Power Of Love」も「バック・トゥ~」の挿入歌なんですよね(映画見ろって話ですが)

そしてヴォーカルのジョーン・ジェットといえば骨太なギターリフが印象的な「I Love Rock 'N Roll 」が有名だし、

この「Light Of Day」でもそのハスキーでパワフルなヴォーカルは「ああ、ジョーン・ジェットだ」と分かるものだった。

ところが、

その「Light Of Day」を聴いてると、アウトロに差し掛かったところで「Oh Yeah!」とリフレインするのだが、この数秒間で僕の中学生時代が一気に甦ってきたのだ。


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中学生の頃、僕は同級生のマコトくん(マッコ)とオリジナルカセットテープを作成していた。
というのも、ダブルデッキのラジカセのダビング機能を使って(もはやダビングも死語か…音楽の入ったカセットテープから無音のカセットテープに「コピペ」するイメージです)、ありとあらゆるジャンルの音楽の(笑)、ほんの一行のフレーズだったり、ほんの数文字の歌詞をガチャコン、ガチャコン、と、切り貼りするように、いわば「音のコラージュ作品」と言ったらよいだろうか、────例えば桑田佳祐率いるKUWATA BANDの「SKIPPED BEAT」って曲の「Skipped Beat」って歌詞が「スケベ」と歌ってるとしか聴こえないのだが、それに続けて「ドラえもん」のテーマソングを切り貼りして「Skipped Beatなこといいな、できたらいいな♪」ってな具合に、─────今でいうところのマッシュアップだとかMAD動画にも似ているかもしれない、そんなナンセンスギャグみたいなのをノンストップで46分テープいっぱいに録音するという遊びをしていた。

そのカセットテープ、僕の手元からは”行方不明になりーました♪”けど(ザ・ブルーハーツ「僕の右手」)、マッコの家にはまだ残っているかな?
マッコの家にはお兄さんがいて、そのお兄さんが洋楽・邦楽問わずかなり多くの音楽を聴いていたので、その影響でマッコも音楽の引き出しが多く、僕は学校の帰りにマッコの家にたびたび寄り道をして、僕の引き出しとマッコの引き出しを持ち寄っておよそ一ヶ月くらいかけてそのカセットテープを完成させたんだっけな。
何しろ当時パソコンもスマホも無かったので、0.1秒だとかの単位の編集をきれいに仕上げることもできなかったので、ラジカセのボタンを瞬時に押す技術が必要だった(笑)
今でいうところのDJのターンテーブルさばきにも近い技術だったかもしれない(笑)

そのナンセンスストーリーの中でパンク音楽が流れるシチュエーションがあって、何かパンクっぽいかっこいい曲を…ってマッコが持ってきた音源が、まさにこの「Light Of Day」の「Oh Yeah!」って荒々しいリフレイン部分だったのである。
「この曲かっこいいね」と僕が言うとマッコは「タイトル知らないけどサントラに入ってた曲かな」って答えていたっけな。

当時カセットテープで音楽を聴いていると、CDのようにトラック番号も表示されないので歌詞を聴き取れない洋楽となると特に、「この曲かっこいいけど何曲目かは分からない」ということもたびたびあった。
やがて僕も”CDラジカセ”という文明の利器を手にして、”友&愛”というレンタルCDショップに通うようになり、セックスピストルズの「勝手にしやがれ」というパンクのバイブルとも呼べるアルバムに出会うのだが、それまでの僕にとっての漠然とした「パンク像」を象徴するかの曲が、この「Light Of Day」だったのだ。

永野の”思い出語り”は僕に対し、過去への憧憬を思い起こさせるだけでなく新たな発見もさせてくれる。
永野や僕と異なる世代のそこの貴方にも、新たな発見をしていただけたら嬉しいし、あの時代の肌感覚だとかが少しでも伝わってほしい。

そんな気持ちでブログを書いているが、こうしてその当時の音楽だったり動画などのリンクを貼って気軽にその時代にタイムスリップできる、ほんとうに便利な世の中になったものだと思う。

トリビュート・トゥ・ザ・パスト
バック・トゥ・ザ・フューチャー

2024.08.13
Лавочкин(らぼーちきん)

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