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#ゆくえしれずつれづれ 緊急ワンマン 20201129 @下北沢ERA

ゆくえしれずつれづれが解散する─その結論が出てしまった現在、そこから時間を遡ってみても頭の中がまとまらない。
どれだけ時を戻せば彼女たちとの楽しい日々を続けていけるだろうか、あの時ああしていれば─などと振り返ることは後悔にもつながりそうで怖いし、もうだいぶ前から彼女たちが悩んだ末の、このタイミングでの発表を僕は受け入れる。しかない。

"TheScream"渋谷クラブクアトロという久しぶりの大箱でのライブ。彼女たちはクラブチッタ川崎のリベンジと位置付けていつにもなく意気込んでいる。
それは率直に嬉しいお知らせだった。
しかし年の瀬なのにライブ予定がなかなか告知されない。クリスマスは?大晦日は?告知が直前になるのは今に始まった話じゃない。やれやれまたかとスケジュールを調整する。
やがて日が経ち、意気込んでいたはずの彼女たちからのツイートからは、このリベンジに対する切迫した感じがいまいち伝わってこないことに僕は苛立ちすらおぼえていた。
ならば僕が毎日チャレンジをしよう。
そうして僕はつれづれの曲のフレーズをギターで弾く動画を始めることにした。
セトリなどに比べたらいいねなど殆ど付かないし、いったい誰がこれを見てるんだろうと思いつつ。
Exodusの歌詞にある「少しは役に立つのならば」という気持ちをいつも胸に。

下北沢ワンマンの当日も朝からギター練習して動画をあげてから家を出た。

少し早く下北に着いてちょっと買い物して商店街をうろついてたら顔馴染みの群青が。ERAの場所が分かりづらくて迷ってたと言う。箱前でなくとも遭遇してしまうのがライブ当日の下北界隈の光景だ。

この日のERAでは箱のスタッフさんが会場内でも案内してくれていて、いつも見かける高木さんの姿が見当たらない。このERAはライブハウスとしてはまだ新しくて、下の階は練習スタジオになっていてどこか懐かしい雰囲気を感じる。そして階段やフロアーは「ポスターやバックステージパスがベタベタ貼られてバンドマンたちの落書きで埋まってる」という「いわゆるよくあるライブハウス」な雰囲気とは程遠い。しかし僕はこういう箱好きですよ。
ステージ後方の壁面はまるでスクリーンから光の映像が映し出されてるように青白く光っている。
どうやら真っ白い壁をブラックライトで照らしているようだ。
開演数分前になってスピーカーから高木さんのアナウンスが聴こえてきた。
そしてステージ・フロアが真っ暗になると、壁とモニタースピーカーのほんの1センチばかりの隙間からたからの衣装の襟やメイのリボンだと分かるものが覗いてて、上手側が楽屋だと推測される。
パシッ!パシッ!
本番前に高木さんがメンバーの背中を叩いて気合いを注入する儀式の音が漏れ聴こえてくる。

程無くして鐘のSEが鳴る。
「僕たちは流れ…」
今日の辞世の句はとても揃っている。現メンバーになって一番って言っていいくらいに、リズムはもちろん四人の声の特性を活かした譜面にならないピッチの差によるアンサンブルもとても綺麗だった。
僕は今までも幾度となくメンバーに、辞世の句の如何によってその日のライブの印象が変わることや、歌やダンスばかりでなく辞世の句の練習もっと頑張ってねと伝えてきた。

正直言うと冒頭にも書いた通り、僕はこの緊急ワンマンの意義について「TheScreamという本番までしばらくライブスケジュールの無い彼女たちの感覚が鈍らないように、公開ゲネプロと言ったら言い過ぎだろうか、」そんなふうに捉えていた。

しかし、ゆくえしれずつれづれはたとえどんなにお客さんの少ないインストアミニライブであっても全身全霊でぶつかってくる、それが彼女たちの持ち味だと思ってた。もちろんいくらプロであってもコンディションの波はあるだろう。
しかし中でも◎屋しだれはその点がどのメンバーよりも秀でていた。メイユイメイがリーダーを受け継いで、やがて常に安定して高水準のパフォーマンスをできるようになった今だから言えるけど。

そんな僕のテンション低めの心構えを早々に覆してきた今日のつれづれを、このパシッときまった辞世の句に期待せずには居られなくなっていた。

一曲目は行方不知ズ徒然
この曲はいつも特にたからの鬼気迫るパフォーマンスに惹き付けられる。今日僕は二列目から観ていたがほぼ中央だったため、早速たからたちの鋭い目線に殺されそうになる。
そして群青。前日にこてちゃんがバンダナ忘れないでねとツイートしてたから群青を演るだろうと予測はしていた。しだまれこつやの頃のつれづれライブでは「群青」は定番だったけど、持ち歌増えた今では少しレアだったかも。みんなでバンダナ振り回してると、たとえこのご時世であってもそのソーシャル規制を感じさせられない時間だった。
群青からつれづれ賛歌ニーチェとの戯曲と続く流れに、初期の真っ黒だった頃のつれづれを思い浮かべる。現メンバーの衣装もステージ後方の壁も白いというギャップを感じつつ。
白い壁のライブハウスって、バンドセット並べるとどこか貧相に見えてしまうんだよな。
ギター・ベースアンプも共々黒が多いしドラムセットの密度感が映えるのも、やっぱり黒壁だと僕は思う。
しかし今日は緊急ということもあり演奏はオケなのだが、その白い壁であることがむしろ彼女たちのシルエットを映えさせてくれてて、照明が青や緑で照せば壁面が忠実に染まってくれる様からは、まるで深海に居るかのようなサイケな雰囲気も感じたし、僕の立ち位置からのPAのバランスも最高だった。

ライブの善し悪しは演者のコンディションは勿論だが、観客のコンディションによっても変わってくる。それは演者にとっては迷惑かもしれないが、観客がまだ温まってないのにノリノリな曲を矢継ぎ早に演奏しても観客はついていけない、逆もまた然り。だからセトリを作るのって難しいし、そのあらかじめ用意されたセトリをいざステージが始まってどう演者が調理するかも難しいと思う。生バンドならお互いの呼吸を見ながらボルテージを調整できるけどオケだとそれも難しい。

今日の5曲めのMISS SINSの高速ビートが今日の僕の鼓動とシンクロするかのように、いつになく気持ちよく身体に共鳴し三連符までビシッと決まっていた。
君を からくり 翻弄のモザイク~の3人が小町を囲む場面もベストポジションから観られた。

そしてそのあとの「君が君で在るのなら」では、いつしか小町は遠くを見るように語るようになっていたが、この日の小町は違ってた。

──あれはVAJRAツアーの香川高松でのことだった。
それまでの僕は最前列付近でステージを(というか小町を)かじりつくように観るような参戦スタイルだった。しかしBTATツアーで知り合って仲良くなったカエルさんが「らぼさんも(リフト)あがってみない?」と悪い誘いに釣られてしまって「じゃあMISS SINSのあのパートがいいな」って提案したら「いやそこは俺が上がるとこ!」と血みどろの抗争が始まったw
しかし今日はMISS SINSくるかな?と初リフトにドキドキしながらライブが始まると前半で「新宿シネマコネクション」のイントロが流れ、後ろにいたナルさんが僕の肩を叩き、「らぼさん上がる?」「ええっ!?」聞いてないよー新宿で上がるなんて!
「お!れ!の!小町ぃぃぃ~!」
MISS SINSでリフトデビューするはずがまさかの新宿シネマコネクションでのデビューでした。その後MISS SINSでも上がったけど。
ナルさんは「初めてだったの?意外だなー」って驚いてた。そして小町も高いところにいた僕の姿を見つけて驚いてた。
ラボちゃんカルトクイズで出題される際は間違わないようにね。

時を更に戻そう。

──あれも忘れもしない2017年5月30日の、渋谷WWWだった。
その5月初頭のゴールデンウィークのこと、ゆくえしれずつれづれは大阪アメ村・名古屋栄(矢場)・渋谷・原宿・新宿の街頭で無料CDを配布して無料ワンマンPandemicツアーのPRに奔走していた。
そんな健気な彼女たちの姿に心を打たれた群青たちはやがて彼女たちの近くで共に声を上げて"非公式"のPRをはじめ、そういうのが苦手だった僕も気づいたら声を上げていた。
そしてその日僕は初めて小町にお手紙を渡した。
その内容は秘密だけど、これからカナダでのライブに旅立つつれづれを、当時の僕はカナダなんかへは行けなかったけれど、少しでも励みになればという気持ちでお手紙を書いた。
そして彼女たちがカナダへ旅立つ前日のツイッターでも小町ちゃんにこうリプしていた。

───
その言葉で僕は救われた。そしてそのまま貴女にも贈るよ。
カナダで待ってる人達にも”まれ・A・小町”を存分に魅せちゃってね。
「君が君で在るのなら…」←MISS SINSで一番好き。
https://t.co/8ppYlzO4dA
僕の遊び方。

元気でね。いってらっしゃい。

───

彼女たちはカナダから無事帰国し、Pandemicツアーが始まった。
その最終日、渋谷WWWで僕は最前列で観ていた。
MISS SINSが始まった。
「君が君で在るのなら…」
あのWWWの高いステージから、確実に彼女は首を下に傾けて語りかけた。彼女と目が合った。
僕は放心状態になりつつもその瞬間はしっかりと残像を焼き付けていた。
特典会で僕は訊ねた。
「あの時、目が合ったよね?」
「だって君、そこ好きって書いてたじゃん」
だってじゃないよ!

今にして思えば彼女にそれを訊ねたのは無粋だったかもしれない。しかしそれでも答えてくれたあの時の彼女は無邪気そのものだった。
しかしあの日気持ちを確かめ合えたことが、のちの僕の群青人生を変えたと言っても過言ではない。
もちろんこのフレーズはMISS SINSの最大の魅せ場だと思うし、ここを好きな人もたくさんいるしライブごとの立ち位置によってもその光景は毎回違うものになる。それでも僕はあの日の光景をまた観たくてMISS SINSが始まるたびに胸が昂るのだった。

そしてVAJRAツアー高松以降は上からも愛を伝え求めることに夢中になっていた。
そんな僕をいつしか彼女は「邪魔だよ!」と言ってきたりわざと無視してたりと散々な日も続いたが、じゃあ今日は大人しく観ていようと感情を圧し殺すことは彼女に対して偽っているのではないかと葛藤もしながら。
やがて彼女に対する愛の伝え方の"レパートリー"も増えていき、他の曲で静粛に伝えたりもした。
それでもMISS SINSのそのフレーズに差し掛かると後方からかねこさんだとかが僕を煽り立てるように上がってくる。売られたバトルは買うしかない。
そんな日々がいつまでも続くと思っていた。

武漢発の新型ウイルスによって世界は一変し、中でもライブハウスという密集空間は槍玉に挙げられるほどに環境の変化を求められるようになり、場ミリからはみ出ぬように足枷を填められ口も覆われながら、どうにかして愛を伝えるしかできなくなった。
しかし皮肉なことに、その観客からじっくり観られる環境へ変化を求められたことが、結果として彼女たちの表現力をより繊細なものに高めることになったのは良かったと思ってる。

ロックのライブなんてものは一般的に、お互い力尽き果てるまで燃やし続ければそれで成立してしまう、ある意味粗暴な要素も含んでいる。しかしその粗暴性を削いで、乱射ではなく一発一発をしっかり命中させていく「魅せるつれづれ」「聴かせるつれづれ」に成長したと思う。

時を戻そう。
下北沢ERAでのMISS SINSに。

こんなにビートが僕の鼓動とシンクロしてたMISS SINSは久しぶりだった。
「君が君で在るのなら」
二列目から観ていた僕は最前列の人の頭と頭の間からちょうど小町のお顔が見えた。
小町は最近のMISS SINSのように遠くを見るでもなく、隣の个喆とお顔を突き合わせるでもなく、まっすぐにこっちを見ていた。わざわざ僕を見つけてくれたのではない。今日のMISS SINSに合わせて踊っていたらたまたま真正面に僕が居ただけに過ぎないのだろう。
心斎橋火影のmementoの時のように、小町の丸い瞳の中央から光が僕の眼球にまっすぐ反射してきた。

およそ三年半前のWWWのMISS SINSがフラッシュバックしてきた。
小町、僕はこの日を待っていたよ。
きっと君はあの日のこと覚えててくれてたんだよね。
「だって君、しつこいくらい手紙に書いてたじゃん」
そんな声が聴こえてきそうだった。
幻聴だ。解っている。しかしその真正面から背けようとせずにいてくれたことが嬉しかった。
それにしても一体どういった風の吹き回しなのだろう。嬉しさと共に茫然としてしまった。

そしてMISS SINSから続くREDERAもリズムがばっちりシンクロした。その流れでillCocytusくるかな?と思うのはさすがに欲張りというもので、个喆がMCを務めたあとは凶葬詩壱鳴りがはじまった。

なんだかここ最近で観られなかったMISS SINSの光景といい、「群青」など昔からの曲が多かったり、壱鳴りでの始まりといい、今日のライブが緊急であったにもかかわらず何か象徴的な日になりそうな胸騒ぎがした。

そう思ってるとhowling hollowが流れ、最新型のつれづれの世界に移り変わる。今日のこれまでの昔の曲と歌ってるのは紛れもなく今のつれづれなんだというのをより実感させられた。
そしてこの日のhowling hollowはスローなテンポに合わせて四人が歌詞を噛み締めるように情感たっぷりに歌っていた。中でも「亡骸を焼いて葬送」を歌う个喆が素晴らしかった。「そうそう」という歌詞は「涙そうそう」という歌にある「涙がぽろぽろこぼれる様子」を表現した擬音表現でもあり、歌詞の文字通り命絶えた僕の身が眠る棺をゆっくりした足取りで運んでいく場面でもある、いわゆる「掛詞」なのだと僕は解釈している。

そしてDear sorrowと続き、今回はアルバムparadox soarの世界をそのまま再現していて、个喆の情感あふれる歌声はここでも印象的だった。ところで2コーラスめAメロの振り付け変わった??
生死を彷徨うこの身を案ずるかの如く逝キ死ニ概論がまたぴったりはまる。真っ白い後壁を照らす緑色の照明が珍しく、四人が彷徨い歩いているここは深い樹海なのだろうかという錯覚を起こした。

次の曲のイントロが流れると前方にフォーメーションを置いていたたからが隣のメイの手のひらをトントンと叩いて何か合図している。
karmaloopが流れてメイパートから歌が始まった。
ゆくえしれずつれづれはこの四人でUnethicalツアーからゼロからの再出発をし、そりゃ最初はお世辞にも素晴らしいとは呼べるものではなかった。しかし彼女たちは歌もダンスも磨いてきてこうして今がある。
しかしライブは完璧な歌と完璧なダンスが全てではない。こういったメンバー同士の絆だったり遊び心などが感じられる場面があると、歌もダンスもより一層引き立つのだと思う。

逝キ死ニ概論・karmaloopで閻魔帳に記された生前の業に審判が下されようとしていると、mementoで、楽しかった幸せだった生の懐かしい記憶に僕の身躯が揺り起こされる。
火影で観たあのmementoの光景、もう二度と観られないんじゃないかと思いながら目に焼き付けたあの日─
それは「今なお消えないよ」だった。
この日僕がステージを観ていたポジションが良かったせいもあるだろう。にしても奇跡は何度でも起きるのだろうかと僕は目を疑ったが、この日も君の瞳から光が反射されて僕は目が眩んだ。
君の瞳にもこの光景は焼き付いてくれているのだろうか。
この瞬間の残像がリフレインし、数々の楽しかった思い出たちをまるで走馬灯のように巡らせながら曲はブリッジへ突入する。

優しく囁くような小町から、艶やかに語りかけるメイへと続く流れに聴き惚れていると、
「気づかないふりして、この世界を壊して」
と、たからが声高らかに力強く歌い上げる。
2年前のチッタの時は右も左も分からずに目線も泳いでいたたからだったが、人はこんなにも成長するものなのかと今改めて思う。まるで歌劇でも観ているかのようなこの威風堂々としたたからの姿は紛れもなく「四足獣雌」だった。

チッタでのワンマンライブと、延期されてたeclipseツアー福岡公演を終えてしだれが抜けるとき、たからはMCで「四足獣雌を受け継ぎたい」と話してた。当時その発言を「(しだれが歩んできた道を)軽々しく言うな」と言ってたしだれ推し群青もいた。確かに彼の気持ちも分かる。当時のたからは僕から見てもどこか生意気にも映ったが、それは恐れを知らない若さゆえで、その右も左も分からぬゆえこその大胆だった発言を、いつか実力が追い付いてくる日がくるだろうと信じ僕は見守っておこうと思った。ああ見えてきっと相当の覚悟と葛藤を乗り越えて勇気を振り絞っての発言だったのだろうと。

今にして思えばあの時のたからの発言は「有言実行」だったのだろう。
つれづれってみんな「不言実行」を美徳とするところがあって、そこがまたいじらしいのだが、一方でそれがなかなかできずに過ごしてきたこともたくさんあった。けれども彼女たちはそれらの壁に正面から向き合って、一歩一歩確実に前に進んできたと思っている。

そんなたからパートがニトロ燃料となって推進力となり、切なげに高音を響かせ続ける个喆のラスサビが最高速度で駆け抜けていく。
なんて気持ちのいいmementoだろう。小町のlie is factの慈悲にあふれた歌声からのアウトロの残響に酔いしれてるとアルバム通りにGrotesque promise and I really hate meのライブ向けにSEを長くしたイントロが流れた。

まさにこの曲は君のためにあると僕は思っている。
しかしGrotesque~って意外と小町が歌うパートは多くないんだよね。ラスサビなんてほとんど个喆とたからとで回している。そのうしろで小町とメイが脇目も振らずに踊ってる姿がまた美しい。
そんな姿に、寛子と絵理子が歌い多香子と仁絵が踊るSPEEDの姿も重ねて観たりして(極私的連想)、いつかつれづれもドームツアー行けたらいいな、だけどこの距離感も大切にしたいな、などと妄想と妄想で葛藤してる時間もまた楽しい。
いつかきっとメイ・小町・个喆・たからで。

Grotesqueに出てくる「僕」という一人称はその心情から相手にとっての「僕」に入れ替わったりする。歌詞の解釈は人それぞれだが、僕はそう解釈している。そして「僕」と「僕」という似た者同士がまるで磁石の同極のようにぶつかり合って交差して、結局いつものぐだぐだになる。
いいじゃないかぐだぐだだって。それも皆含めて「君」と「僕」なんだし。そんな腐れ縁とも呼べる「君と僕」は苦しみも痛みも楽しさも喜びも、分け合ったり分かち合ったり支え合ったりしながら、その先へと続いていけたらと思う。

思えば君とはぶつかり合ったりもした。
それは君が君自身を嫌っていることと、僕がバカみたいに、それこそバカそのものに君を好きでいることが齟齬を生み出していたのだろう。
痛みも憎しみも全て僕にぶつけてきてほしい。
僕はそれをすべて受け止めるから。
君が苦しまぬように。

ssixthにも「僕と君は似てる」とあるのだから。
最近のssixthではたからが「お望みの死合い」で、いわゆる"こぶし"を効かせているのも気持ちがいい。ロックも演歌もオルタナティブも境界線は無い。まだまだゆくえしれずつれづれには可能性が数えきれない程あるはずだ。

数えきれない可能性と、数えきれない君の憎しみ。君はその憎しみを僕にぶつけるのはそろそろ気が済んだかい?まだまだ気が済んでいないはずだろう?
たとえまだまだ気が済まなくとも、何かスカッとするような歌を歌って楽しもうぜ。

そんな気分にLoud Asymmetryがちょうどいいタイミングで始まった。
無邪気だったあの頃のようにいつまでも吠え叫び続けていようぜ。
君と僕以外この世は無価値。
そう決めつけちゃっても構わない。
通念上それは許されざることかもしれないが、少なくともゆくえしれずつれづれのライブで向き合ってるこの時間だけは許されてもいいだろう。そこに免罪符があるからこそ、君も僕もこうしてライブを通じて気持ちをぶつけ合って通わせ合ってきたのだから。僕が初めてつれづれを好きになったポストカタストロフが、そう語りかけてくれている気がする。
僕にとってのゆくえしれずつれづれの原点はこの曲だったんだなと感慨に耽っていると、「せーの、ありがとうございました!」と本編は幕を閉じた。

今までだったらこの静寂ののち、誰かが口上を叫びアンコールが始まるのだが、この禍中で声を上げることもできない。どこからか手拍子がちらほらと鳴り出し次第にリズムが揃ってゆく。

四人が再び現れてイントロが流れた。
先述した通りこの日は特に小町の表現に目を離せないので、この小町とのストーリーを(勝手に)描いてるPhantom Kissもやはりドラマチックだった。
「彼の笑顔をいつまでも」の後はいつもシンガロングしながら拳を掲げているはずなのだが、小町に見とれていて覚えていない。そこから「最後に…」という小町パートまでほとんど見とれていたと思う。

そこからのWish/でメイ个喆たからが小町を包むように囲むシーンも、小町が後方からメイ个喆たからを見守るシーンも、いつにも増して尊いと思った。
そして印象的だったのが、
「君は今震えてるね?独りで耐えなくてもいいよ」
という小町パートの「独りで」の部分で小町がそっと人差し指を立てて語りかけるように歌っていたこと。「独りで耐えなくてもいいよ」とは、僕から小町への気持ちなのに、小町、君って人は…。
TheScreamに対する並ならぬ意気込みが君をそうさせているのだろうか?小町のみならず彼女たちのこの覚醒に僕は、喜びと共に得も知れぬ不安を感じた。
そして九落叫のイントロで小町が「ゆくえしれずつれづれ」と呟く。
今まで何度かメンバーが変遷を辿っていったが、ここのパートは変わらず小町が担当している。僕が小町推しだからという理由ではないが、小町自身がゆくえしれずつれづれの象徴だと初めてつれづれを観た頃から僕はそう思っている。

壱鳴りも九落叫も披露した今日のセトリは、緊急と告げられ正直最初は侮っていたが、セトリもつれづれ四人のポテンシャルも、どこかのツアーのファイナルじゃないかってくらいに中身が濃かったし、小町の心の表現の変化も感じられた。

そしてメンバーからMCが。
ゆくえしれずつれづれからお知らせがあります。
とメイは声を詰まらせてもう一度言い直す。

その沈黙に、僕は小町のことが頭をよぎった。
およそ一年前、小町が体調不良で休養をとり、メイ个喆たからの3人でつれづれを守ってきてくれた日々のこと、年が明けて光闇光行脚でゆくえしれずつれづれは衣装も一新し小町が帰ってきてくれた。せっかく新しい衣装をあつらえてもらったのだし、この先もまだまだゆくえしれずつれづれは続いていく。そう信じていたし、信じるしかできなかった。

いつかやがてこんな日が来るかもしれない、そう頭をよぎるたび、僕は自身を鼓舞しながらそれを否定しようとしていた。小町にとってつらいこと苦しいことたくさんあっただろう。それでも歌って踊っているときの小町の活きてるお顔を観ながら、メイ个喆たからと囲みチェキ撮りながら他愛もなくバカみたいに笑い合っているうちに、小町の苦しみもやがてどこかへ飛んでいってしまえばいいのに。いや「どこか」と言うのは簡単だ。その痛み苦しみは全部僕に預けてほしい。そう思ってた。
そしてコロナ禍が僕たちの環境を変化させた。いつかまたあの日のように笑い合える日が戻るように。こちらが待つのは簡単だ。しかし演者側はこの禍中で経営を続けていかなければならない。少しでも役に立つのならば、そう思いながら通販やCDやチェキを買ってきた。しかし今度の冬もどうやらそれは厳しいみたい。でも僕は何年も待ち続けるよ。解散が告げられて既成事実となるのも承知の上で。
夢を見たまま朽ちて死んでいってもいい。天国あるいは地獄の果てへ旅立とうとも、僕はその場所からいつまでもゆくえしれずつれづれを夢見ている。

歌には一曲一曲終わりがあり
ライブもツアーもやがて終わる。
そして命にも終わりがある。
しかし好きという感情は
好きである限り永遠に続く。

たとえ朽ちて果てて灰になっても
この星のどこかで僕はいつまでも
その好きという光を君へ灯し続けている。
君の瞳に反射して照らし返してくれる天文学的確率を信じながら。
君が僕を照らしてくれたように、僕もいつまでも君を灯し続けている。
たとえその光が遠くて小さなものであっても、必ずここにいるから。

#ゆくえしれずつれづれ 緊急東名阪ワンマン 20201129 @下北沢ERA

小た个メ
1.行方不知ズ徒然
2.群青
3.つれづれ賛歌
4.ニーチェとの戯曲
5.MISS SINS
6.REDERA
(MC;个喆)
7.凶葬詩壱鳴り
8.howling hollow
9.Dear Sorrow
10.逝キ死ニ概論
11.karmaloop
12.memento
13.Grotesque promise and I really hate me
14.ssixth
15.Loud Asymmetry
16.ポストカタストロフ
en
た个メ小
17.Phantom Kiss
18.Wish/
19.六落叫

ライブを終え、各地でも遠征を共にした群青たちと顔を見合わせる。
お互い言葉はない。
そこに言葉は無くとも、一緒に闘ってきた者同士、言葉にできない共通の抽象的な感情を共有し合えていることは、目の動きで伝わってきた気がする。

いつかその抽象的なそれが、言葉を帯びて形となる頃、それは思い出に変わってゆくのだろう。
今はまだ、思い出なんかではない。

きっとみんな忘れていってしまうだろう。
人は忘れることで楽になれるのだから。
けれども僕は、もしも誰かが思い出したくなったとき、その手がかりになる何かを一つだけでも見つけてもらえたらいいなと思いながら書いている。
この主観ばかりの乱筆しかり、腕のセトリしかり。
チラシの裏と思ってくれて構わない。

あくまでも主観だけど、こんなに心を揺さぶるこんなに素晴らしい四人組がいたということを僕は忘れたくない。

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