わたしがセラピストになったわけ〜イスラエル・アダムの瞳

マミコと私は、成田からパキスタンのカラチを経由してイスラエルのテルアビブに飛ぶパキスタンエアの飛行機に乗っていた。機内は鼻を突くスパイスの香りが充満していたが、乗って30分も経つとその匂いも気にならなくなった。

イスラエルに行く目的は、キブツという生活共同体でボランティアとして働くこと。

1900年代の初めにロシアから逃れてきたユダヤ人が集団生活を始めたのがキブツの始まりと言われている。その頃には国内各地に200以上のキブツがあり、農業や工業はもちろん、教育や娯楽などもキブツ内で賄われている共同体だ。

ボランティアの外国人はそこで労働力を提供する代わりに衣食住を供給されていた。わずかだが給料ももらったと思う。

どうやらその頃はバックパッカーの間でキブツで働くのが流行っていたらしい。衣食住の心配もなく、仕事もあり、世界中から来る他のボランティアやキブツの住人達と交流ができるのだから、魅力的でない訳がない。

私たちはテルアビブに到着すると、その足でキブツオフィスに行きボランティアをしたいと申し出た。砂漠の多いイスラエルだが、私たちが緑の多い地域に行きたいと希望を伝えると、係の男性はガリラヤ湖の近くのキブツを私たちの行先に決めてくれた。

ガリラヤ湖の近くには、イエスキリストが育ったというナザレの町もあり、カトリックの学校に通っていた私は聖書や聖歌に出てくる町の近くに来ていると言うことが少し嬉しかった。

マミコに出会ったのは、その2年前の夏にホームステイプログラムに参加するために向かったサンフランシスコ行きの飛行機の中だった。彼女の自由奔放さに魅せられて、次の夏は彼女に誘われるままにバックパックを背負って北海道を旅をした。

旅の面白さにすっかりハマった私は、イスラエルのキブツに行こうというマミコの誘いに、バイト代を叩いてすぐに乗ったのだった。マミコとの出会いが私の人生を変えてくれた、そう思いながらキブツに向かう私はバスの中でワクワクしていた。


キブツには、ヨーロッパやアメリカ、オセアニアなどの13の国々から20人くらいの外国人ボランティアが来ていた。アジア人は私とマミコだけだった。私のルームメイトはアフリカのナミビアからきた18歳の女の子と、その頃まだ西ドイツだった国から来た26歳の女性だった。

マミコはグレープフルーツ畑で肉体労働、幼稚園教諭を目指していた私はキブツ内の幼稚園で働くことになった。簡単なあいさつや子どもの手遊びなどをヘブライ語で覚えて、朝から昼過ぎまで子どもたちと遊ぶのはなかなか楽しかった。夜は同じボランティア仲間やキブツに住むイスラエル人と語り合ったりして過ごした。

イスラエル人の中にアダムという年上の男性がいて、私を妹みたいに可愛がってくれた。

アダムはとても温厚で誰にでも優しい人だったのに、パレスチナ人のことを話すときはとても冷たく攻撃的になるのが私には不思議だった。歴史的にもずっと紛争まみれの地域だ。彼の家族が殺されたわけではないのに、彼はパレスチナ人を目の敵にしているようで、そういう話をするときに彼の目はちょっと怖かった。

日本で平和ボケしていた私は詳しい歴史はよくわからなかったのだが、神様から見たらみんな同じ人間なのに仲良くできないのは悲しいじゃないかと感じていた。優しいアダムが怖い顔をするのを見たくなかった。

どうして人間ってみんなで仲良くできないんだろう。国境なんて誰かが決めた見えない線でしかないのに。聖書でも隣人を愛しなさい、あなたの敵を愛しなさいって言っているのに。すごくモヤモヤした。

肌の色や国、民族の違いで歪みあったり優劣をつけたりするのはおかしいよ、私は拙い英語で拙い思いをアダムにぶつけた。おこがましいことだが、私は彼の考えを変えよう、私が説得すれば彼の思いも変わるかもしれないと思っていた。

アダムが「君には僕たちの苦しみや怒りはきっとわからないよ」と言ったとき、彼の瞳の奥に悲しみを見たような気がした。

きっとこの時だったと思う。私が世界平和を意識したのは。

仲良くなったアダムが怒りにまみれて誰かを攻撃しているのを見ていたくなかった。どうやったら世界が平和になるんだろう、と。世界が平和になるために私に何ができるだろう、と。

イスラエルから帰国した後も、アダムとはしばらく文通していたが、その後、彼が兵役で軍隊に入ると知らせをくれてから文通も途絶えてしまった。

どうしたら世界が平和になるんだろう。その答えは全くわからないままその後20年以上経つことになった。


話は飛ぶが、私が心理セラピーの世界に入ったのは、イスラエルの旅から20年以上が経って私自身が生きづらさでどうしようもなくなりカウンセリングと心理セラピーを受けたことがきっかけだった。

何度かセッションを受けて自分の心の奥底からの変化がもたらされると、私の気持ちが楽になり世界がやさしく見えることに気づいた。周囲は全く変わらないのに、だ。

私を責めていると感じていた夫の言葉が、ただの彼の意見にしか聞こえない。宿題をしない娘にイライラしていた私が、怒る気持ちが起きない。

私の心が平和になると、私の周りの世界は平和になるのだ。

「私、心理セラピストになりたい・・」そう思ったときに初めに浮かんだ思いは、「これで私も世界平和に貢献できる」だった。

自分でもそんな言葉が飛び出してきてちょっとびっくりしたが、私の中ではとてもしっくりきた。主婦で子育てをしてちょっと仕事をしていた程度の私が世界平和に貢献だなんて大それたことはできないだろうと思っていたが、イスラエルで感じた世界平和への想いが心のどこかでずっと出口がわからずにくすぶっていたのかもしれない。

私の心が平和になることで家庭が平和になって、そこから社会が平和になる・・これをみんながしたら、世界の平和に繋がるではないか。私、天才か。「やっとだよ、やっと!」と心が震えたのを覚えている。

そして、今はわかってきた。あの時のアダムの怒りは私の中にもあったことを。アダムの怒りの正体はただ彼の悲しみや無力感や絶望感の裏返しでしかなかったことを。そして、その悲しみや無力感は私のものでもあったのだ、と。彼の考えを変えよう、正そうとしていた私が自分の正義にしがみついていたことも。

私は平和な世界を選ぶことはできるが、誰かに平和を強要することはできないし、平和を与えることもできない。誰もが自分の選んだ世界を生きていて、誰もが自分が見たい世界を選んでいるのだから。

そして、どんなに怒り狂っていても、どんなに戦っていても、その下には自分と大切な誰かを守ろうと一生懸命サバイブしている健気な自分がいるんだ。誰の心の中にも。それだけで、十分世界は美しいよ。どこもかしこも愛だらけなんだから。

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