わたしがセラピーに出会うまで〜私を打ちのめした娘の言葉

実行委員会を自ら立ち上げて大成功に終わったドキュメンタリー映画の自主上映会は、自分のことを「ただの主婦」だと思っていた私に社会との繋がりを与えてくれて、自信を取り戻させてくれた。

が、そのすこぶるパワフルな力が内側からみなぎった体験の後に、いつも通り夢も目標もない生活に戻った私は、毎日家族のためにご飯を作って食べて寝て、そしてまた次の朝に起きるという生活に耐えられなくなっていた。

「私、生きてる!」って感じられる何かが欲しい、でもやっぱり私には大したものは何もない・・高かったテンションから一気に落ち込んだ私のどん底感はひどかった。

そんな時に娘に何気なく聞かれた質問で、私はさらに打ちのめされた。

「ママの夢って何?」

きっと学校で「将来の夢」という作文でも書いたのかもしれない。娘からしたら素朴な疑問だっただろうが、私は焦った。夢なんてない。

とっさに「ママの夢はね〜、家族みんなが健康なことかな。」と答えた。

今思えば、家族の健康が夢でも全く問題がないとは思うのだが、その時の私は自分の人生を生きていないことで自分を責めていた。「私の夢」がない自分のことを救いようもないくらいにダメなやつだと思ってさらに落ち込んだ。

独身だった20代の頃、私はバックパックを背負って海外を旅したり、ラテンのダンスにハマって毎週末狂ったように踊りに行ったり、自分のやりたいことに忠実に生きていて人生を謳歌していたのに。

私はいつから人生に何の希望もない人間になってしまったんだろう?生涯の伴侶にも出会って一人娘にも恵まれて、そこそこ幸せなはずなのに。私の何がいけなかったのだろう?今までの頑張りや積み重ねが足りなかったから?人並みの幸せを素直に幸せと喜べない私が悪いの?みんなきっとそうやって自分を押し殺して大人になるの?思い浮かぶ言葉は自分を責める言葉や諦めの言葉ばかり。いやはや、ほんとネガティブ。

実は私がそうやって落ち込んでいたことを、周りで知る人は誰一人としていなかった。なぜなら、私が誰にも言わなかったから。自己肯定感は低いくせに、プライドだけは高くて誰かに相談することができなかった。

「ほんと優しいね」「なんでもできる人だよね」友人や周囲の人にそう言われるたびに、そういう「期待されてる自分」のイメージを大切にしようとして、ダメダメな自分なんて晒せなかった。

ダメな自分がバレないように取り繕わなくてはと無意識に思っていた。バレたらきっとみんなはがっかりして私から離れていってしまうだろう。そうなったら孤独だよな。孤独にならないように取り繕っていたはずなのに、本当の私のことを知ってる人はいないんだと思ってとっくに孤独を感じていたのだから、おかしな話だ。

とにかく、自分自身に嘘をついているような状態はもう限界で耐えられなくなっていた。こんな状態であと何十年も生きるなんてしんどすぎる。楽になりたい。そう思って心理セラピーを受けることにした。

といっても、初めから心理セラピーを探していたわけではない。何気なく見ていたSNSに流れてきた投稿が目に止まり、そのセラピストのブログやホームページを貪るように読み始め、気づいたら夜中になっていた。

それまでも、自分を変えるために、もっと良い自分になるために、と本を読んだり講演会に行ったりしていた。だが、どんな本もどんな講座も、その時は感動して「私、これで変われるかも」と思っても、3日も経てば今まで通りの私に逆戻りしていくのだ。

そうやって、誰でも簡単に変われます的なキャッチコピーに釣られては、全然変われない私を結局は責める毎日。そこから脱したかった。

その時見つけた「潜在意識を癒して人生を激変させる」と謳うこのセラピーなら、今度こそ私も変われるかもしれない。直感だった。あの時の私、えらかった。

最初に心理セラピーを受けた時、私はとにかく誰にも言えなかった辛い思いをぶちまけた。90分のセッションの、最初から最後まで泣いていた。セラピールームのティッシュを一箱使いきる勢いで。

そうやって感情が溢れ出ただけでもかなりスッキリしたのだが、セラピストの誘導で過去の自分を癒すというセラピーをしたことが、その後の私の人生を変えることになった。

セラピーを終えて目を開けた時、目の前の視界が明るさを増していた。帰り道に買い物に寄った店でも驚いた。いつも人の目を気にしていた私が、すごく楽に店内を歩いて買い物を楽しめていた。

何これ、魔法?希望が見えた。そう、希望の光が私の心に射したのだった。

あの頃は、なぜ自分があそこまで苦しかったのかわからなかったが、その後も継続してセラピーを受けて自分の心の奥を知ると、苦しかった理由が見えてきた。

結婚して母になってから少しずつ「妻」や「母」の役割を自分に課していたことで、「私」でいることをやめていたから、というのも数ある理由の一つだった。いつも私以外の誰かを優先するようになり、そうやって家族を支えるのが私のすることだと信じていた。もちろん、それを心から喜んでしたい人はそうすればいい。でも私は違った。

「私ばっかり」「こんなに頑張ってるのに」「全然感謝されない」「どうしてわかってくれないの」といつも心がくすぶって恨み節オンパレードだった。その矛先は夫や娘に向かうことになり、家の中ではしょっちゅう私の不機嫌な声が響いていた。

結局、この「愛されたい」「わかってもらいたい」「認めてもらいたい」という心の叫びが、幼少期の体験から来ていたことがどんどんと明らかになり、私はセラピーを受けるたびにその小さなあやちゃんを癒すことに夢中になった。

気づくと周りの世界がどんどんと変わっていくようだった。夫や娘との関係もよくなり、私が機嫌の悪い日はどんどんと減っていった。周りからどう思われるかも少しずつ気にならなくなっていった。

それの何が良いって、私が私でいてラクなのだ。

玉ねぎの皮が一枚ずつ剥がれていくように、私はそれまで抱えていた心の重荷を一つずつ降ろしていった。そのプロセスでわかったことがあった。

あんなに変わりたいと思っていた私だったが、実は何一つ変わる必要はなかったということだ。変わりたい一心で足りないものを補わなくてはと頑張っていたが、足りないものは何もなかったのだ。何一つも。

癒しは何かを足して補うどころか、逆に手放すことだった。今まで思い込んできた固定観念や信念、私の心と体を凍りつかせていた感情の層を少しずつ手放すことで、私はもともとあった私の中心に一歩一歩戻っていく感覚を味わっていた。皮を剥いで玉ねぎの中心に近づいていくように。

セラピーは、足し算ではなくて引き算だ。自分の外側に答えを求めるのではなく、自分の内側にある「すでに知っている答え」を見つけにいくのだ。そうやって、私の内側から湧き出る本来の私の生命力のようなエネルギーに触れるたびに、私は自分自身の真ん中にゆるぎない安心を見つけ、私に還っていくのだ。

今、つくづく思う。あの時の苦しい私がいたからセラピーにも出会えたのだ、と。苦しくなかったらセラピーには興味も持たなかっただろうし、表面的な楽しみよりももっと本質の自分を生きる喜びを知らずに人生を終わることになっていたかもしれない。自分の人生を生きることを諦めなかった私に、ありがとうと言いたい。


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