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中国赴任

夫が仕事で中国に赴任することになった。

遠からずそういう可能性があることは分かっていたけれど、決まった時はやはり動揺した。

まず行き先が中国である不安。
食べ物も環境も治安も心配だった。子どもがいるから特に気になってしまう。
それから生活を変えることへの不安。
住み慣れた家がある。親子ともに馴染んで来た地域とのつながりがある。息子は仲良しのお友達と同じ小学校に入学するつもりでいるし。

不安ばかり先に立って、どうしても「じゃあ家族で行こう」とすんなり言えなかった。

夫は新しい環境で働くことをプラスにとらえ、既に前向きで、そのポジティブだらけの視点に私はさらに追い詰められるような気がしていた。
夫はもともとポジティブの塊のような人で、起こってもないことを心配するなんて理解できないタイプだから、そもそもほとんど何も心配してない様子だった。
「日本人学校がある。日本食も買える。デパートもある。生活は便利!」

それはそうなんだろう。
でも私の不安はもっと別のところにあった。
息子の習い事は続けられるのか?毎日お弁当づくりの大変さは?息子が嫌だと言ったらどう話す?ネット環境の制限は?子ども一人で遊べない環境はどうなの?空気が悪くて喘息になったら?…

夫からポジティブな話ばかり聞かされるので、こちらはどうしてもネガティブなことを言いたくなってしまう。そして私がネガティブなことばかり話すと「結局行きたくないってことでしょ?」と怒り出す。

いいコミュニケーションがとれなくなり、一時は本当に険悪だった。

でも私は本当は最初から一緒に行くだろうと思っていたのだ。
だって家族だから。一緒に居た方がいい。まだ小さい息子にも、日々そこに父親が居る生活の方がいい。異国で仕事をする夫の帰りを、家族の居る家にしてあげたい。そう思っていた。
でもすんなりと言えなかったのは「そんなに軽く決められることじゃないよ」ということを夫に分かってほしかったからだと思う。
それなりに悩んで覚悟をしてついていくんだと、きちんと理解してほしかった。

でも「結局行きたくないってことでしょ?」と言われて、「そうじゃない。最初から行くつもりでいる。でも不安をなるべく解消してから行きたいだけ」と説明したことで最悪な関係は少し改善した。夫は私の不安に思っている所を調べようと動き出した。

そうか、夫も不安だったのだ。
笑顔ですぐに「ついていくよ!」と言ってくれない妻が、どう考えているのかわからずに。

「最初から行くつもりでいた」と夫に話した夜、一人でベランダでいつもの風景を眺めながら、自分もそう言えたことで少し前に進んだと感じた。
そして自分に対して「大丈夫、大丈夫」と言いながらなぜかぽろぽろ泣けてきた。そう、私は大丈夫なんだった。泣きながら思い出していた。


私は夫と出会ったころ、ちょうど実家を出なくてはならなくなり、ただ付き合い始めた人が関西に住んでいたという理由だけで関西で一人暮らしを始めたのだ。もちろん周りの友達にも止められたし、親も反対していたけれども。
夫はまだ学生で実家暮らし、就職も当分先、将来の何の保証もなく、もちろん結婚するかどうかも全くわからないまま、新しい街で部屋を借り、仕事を探し、夫と結婚するまでの何年か一人で自活していたのだった。

あの時の自分の身軽さは何だったのか。それはもちろん「何も持っていない」からだった。身一つで新しい街に行っても、友達に会おうと思えばすぐ会いに来れる、もともと実家には何の未練もない、積み重ねてきた仕事もない。

今は違う。住み慣れた家があり、築いてきた関係があり、息子にとっても色々なことを断ち切らせてしまう。失うものが多いと感じる。だから気が重い。ハードルが高い。不安ばかりよぎる。

なんだ、ただ今の生活に執着してるだけだったのか…と気付いた。
変えたくないものをいっぱい抱えた幸せな日々だから、それを失うのが怖かっただけ。

本当の私はたった一人で、何のあてもなく新しい街へ飛び込める私だった。
もちろん今は失うものを考えてしまうのは仕方ないけれど、でも今回は大事な家族と一緒じゃないか。夫もいる。息子もいる。きっと大変だけど、一人じゃないからきっと頑張れる。やっと、やっとそう思えた夜だった。

だから、家族で一緒に中国に行きます。
息子の幼稚園の卒園までは日本に居るので少しタイミングは遅れるけれど、4月からは家族3人で。

この気持ちを書いておきたくて。
自分の気持ちを文字にする作業は、自分の心を整理してくれる。
私の根幹をずっと支えてきたのはこの作業だから。


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