めぶき

出生前診断について思うこと

最近、受ける人が多くなってきたこの診断、検査が簡単になりハードルが下がったことで不安な人がたくさん検査を受けているという。
私は受けることについては夫婦の判断だし、そこの是非については何も言うことは無いのだけど、どうしてもこだわってしまうところがある。

検査を受ける人の中にはもちろん、「どんな結果が出ても産む。子供に障害があると分かれば準備が必要だから知っておきたい」という人もいるだろう。
でも、そうじゃない人が多いと思う。検査結果次第で「迷う」人たち、そして「子供に障害があるなら産まない(産めない)と最初から決めている」人たちだ。

その人たちが検査を受けて、そして結果に安心し、無事出産に至ったとして。

でも産まれたその子に出生前診断を受けたことを話す必要はないと思う。
その気持ちが私の中に強くある。
私はそれを親に聞かされた子供だからだ。

考えうる限り最悪のタイミングで私はこの事実を知った。

私の親は家の事情で私に自由な生き方を認めようとしなかった。
「家を継ぐ人間が必要で、それはお前しかいない」というゆるぎない信念を持っていて、子供の私がどんなに「私には私の人生を決める権利があるはずだ」と主張しても全く聞く耳を持たなかった。

中学生だった私にはそれなりに将来の夢があり、両親の希望通りの生き方は出来ないと思っていたので、何度言われても泣きながら抵抗していた。
そんな私に母は最後通牒を突きつけるかのように言い放ったのだ。

「跡継ぎにするため、産まれる前にちゃんとした子が生まれるって検査してもらって産んだんだからね!!

この瞬間、本当に世界から色は無くなり、時間は止まり、母の座っている椅子の周りの風景が凍りついたような気がした。

「この人は、検査結果が悪い子供は要らなかったのだ。結果が悪かったらこの人は私を殺していたのだ」と知った瞬間だった。それは本当に衝撃的で、私を酷く傷つけた。

私の周りには普通に「出生前診断した?~ちゃんのお母さんはしたらしいよ」など屈託なく聞いてくる人がいてびっくりする。相手に聞くだけならまだしも、他人が診断したことを誰かれ構わず話すのはやめたほうがいいと思う。本当にごくごくプライベートなことだからだ。

そして、聞かれたとしても診断したことを話す必要もないと思う。

私のような感じ方をする子供ばかりではないとは思う。別にどうってことなく聞き流す子もいるだろう。
けれど、それを知った時、自分は産まれる前にチェックされたのだという事実に動揺する子供は少なからずいると思う。

それぞれの事情や背景があり、検査することには何の是非もない。
でも結果産まれたその子たちは、それを知らずに生きて行ってほしい。
知ったとして何のメリットもない。知る必要はない。
そう思う。

・・・・・

大人になってみると、あの時の母は古い家制度において「長男の嫁」の立場であり、何がなんでも跡継ぎを残さなければいけない世界を生きていたのだと思う。その追い詰められた中で、私に正論で抵抗され、とにかくねじ伏せなければならないと思ったのだろう。
でも、それでも越えてはいけない線はあると思う。

私も親として間違えることもある。その時は必ずきちんと謝るようにしている。難しい時もあるけれど、そこは守りたいと思っている。

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