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縄文人から私たちへ、私たちから未来へ・・・「黒ボク土」の成り立ちに感じるロマン

こんばんは!Yukoです。

甲子園球場に使われている黒い土、黒ボク土。
日本を代表する土壌の1つですが、これは火山灰土ではなく、縄文時代の野焼きのあとだった?!そうなのです!

高校球児たちは、縄文人たちの生活の痕跡である土を持って帰るのです。


ロマンを感じますね〜〜〜。



「日本列島を覆う表土の約2割を占める真っ黒な土、クロボク土。火山灰土と考えられてきたこの土は、縄文人が1万年をかけて作り出した文化遺産だった。

(「日本の土」(山野井徹著)より)


縄文人が1万年かけて作り出したというこの黒ボク土、どのように出来上がってきたのでしょうか?

「縄文文化は一万年続いたが、一つの文化がかくも長く継続した例は世界にはない。しかもその文化の特徴は食料の調達が「狩猟・採集」段階のままであったことである。土器の使用が定住の始まりとすれば、縄文文化は世界に先駆けて定住を始め、狩猟・採集をやめずに続け、世界で最もあとまで農耕段階に移行しなかった特異性をもっている。一万年もの間、狩猟・採集を持続してきたことは、日本列島の温暖で湿潤な氣候のもと、植物の旺盛な生育により原生林化する森林を草原(疎林)にして再生し、そこから食料を確保することが最も容易で安定であったからと考える。むらで必要なだけの範囲を協力して定期的に焼けば、草原(疎林)から多様な植物食を得ることができた。面倒な農耕をする必要がなかったのではないか。草原から得られないものは森林などから採ればよいし、それでも足りずにほしい植物は栽培したに違いない。種を蒔けば芽が出て植物が育つことくらい縄文人は熟知していたはずである。トチやクリなど、食料として優良な木々を育てることは広く普通に行われていたことである。あるいはたとえば、ヤマノイモの一部もしくはそのムカゴを適宜に埋めておくような野生植物の野生管理も当然行えたはずである。」

(「日本の土」(山野井徹著)より)

そう、1万年に渡る野焼き・山焼きによって作られたというのです!


一万年。。。
氣の遠くなるような長い年月に渡って人々が暮らしてきた痕跡が、黒ボク土として残っているのです。

縄文人の生活の様子をちょっぴり垣間見られるようで、ワクワクします!
黒ボク土を通して縄文人と繋がってる感があって、ロマンを感じますよね?!笑笑



でも考えてみると、黒ボク土は人が自然界に手を加え、自然を改変してきた痕跡です。
自然破壊は近代以降の人間の専売特許かと思いきや、農耕を始める前の縄文人ですら、自然に多大なる影響を与えていたようです。

こんなに大々的な自然改変を行える、それが人の人たる所以であるのなら、自分の行いの影響を考えること、それができるのも人の人たる所以であると思っています。



縄文人は黒ボク土を遺しました。
今私たちは、その土で野菜を作り育てることができます。

私たちは未来へ何を残していくのでしょうか?

口承が途絶え、文字も廃れてしまったあと、私たちの生きた時代の地層から、未来の人たちは何を思うのでしょうか?


未来へ遺(のこ)したいものはなんでしょうか?
未来へ遺ってほしいものはなんでしょうか?




mOrganicsは自然由来100%です。
私たち自身にとっても、自然にとっても、未来にとっても、有害なものは一切含まれていません。

自然界からの優しい贈り物です。
どうぞ、一度手にとってみてください。





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