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日本精神!?その正体とは?ただ人である

日本精神と聞くと、どこから日本なのか?
と、疑い深い私は考えてしまう。

私の見る歴史は、いささか大木になってしまう。
というのも、
天皇が渡来人であり、「仏・神・法」を持ち込んできたのが2000年くらい前のことであり、シュメール・イスラエル(エジプト)へ行き来した族である。
倭国と名付けた。
それ以前は、日本という名前はないが、縄文人が住んでおり、いまは縄文人崇拝が強くなってきている。
どれが日本精神なのかと聞かれれば、結局自分の解釈の違いによって見え方が変わる。
さらに疑い深い私は、こうやって思ってしまう。
この企画を考えているということは、何かしらの目的があるはずだ。
やたらとアメリカ非難が始まり、日本人に自信をつけさせるようになった。
いままでは、我慢が美徳。
今度は、肯定が美徳。
時代が移りゆき、人の心も移りゆく。
はっきり言うが、どれも無駄である。
無駄であるが、幸福を目指すことはできる。
ただ、それだけであり、幸福は常にある。
もし、毎回行う呼吸からその幸福を見つけられるようになれば、誰かになにかを望むこともなくなる。

日本精神は、まさにここにある。
足るを知り、ただ幸福に生きるのだ。
と言ってみたが、別に日本の精神と限らず当たり前のことだ。
だが、それを試みるとわかるだろう。
自己嫌悪の嵐となる。
誠実に、正しく、清く、感謝して生きることがいかに難しく、ズレていく。
特に、この狂った世界を見れば見るほど、絶望が待っている。
だが、その絶望も喜びに変わる。
どの感情も味わい尽くしたとき、精神のことを考えることが無駄であると知るだろう。
もともと、無なのだから。

#日本精神

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