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テレビって、どうなってんの?

何が面白いのか。

これは永遠のテーマな気がしてならない。そもそも日本語の「面白い」は意味が広すぎると思う。英語なら、interesting, funny, unique, amusing, delightful,  pleasant, enjoyable, good, exciting…などなど、とても具体的にわかりやすく感情を伝えてくれる。なんて意思疎通のしやすい言語なんでしょう…!ということは置いておいて。

今回の言葉の企画は芦田太郎さんを招いた、テレビの企画というものだった。私にとってテレビは、とても身近な存在である。というのも、うちの家ではずっっっっとテレビ番組を垂れ流しているのが普通なのである。そんな家で育ったからか、何も映っていない黒いテレビに、(今は克服したが)恐怖感を感じるほどである。

ここからしっかりと#言葉の企画2020 第2回での学びをまとめていきたい。

これホントに面白いの?

ずーーーーっと考えていたことだった。ゴールデンタイムにファミリー向けの、レギュラーに耐えられる番組。自分が面白いと思うものが、みんなにも面白いのか、そこにあまり自信を持つことができなかった。そんな不安を持ちながら企画書を書いていた。

講義では、芦田さんの評価の定義が紹介された。既存の企画ではないこと、1回で終わらないこと、演者のストロングポイントが生きていること自分が面白いと感じたものは普遍的に面白いのかと言う問いに耐えうる企画。線を引いたのは大切だと思ったところである。出てもらう演者のストロングポイントを見抜き、そこを伸ばし、その演者でなければならないものにしていくことで、番組や企画に強みがましてくると思った。

後者の方は、いかに客観視できるかと言うことである。テレビという媒体は見たくなくてもつけたら見えてしまうものであり、面白くないなら見なければいいという理論は無責任なのだと、一定の人に対して面白いものを作るのは責任なのだという言葉がすごく響いた。テレビはもちろん作ったことはないが、少人数の前で話を回すことが多く、楽しさを感じていた。楽しさを感じる一方で、その場所で話を聞いている人に対して、一定の面白さを提供できていたのかは、日によってバラバラであった。

自分が面白いと感じるものが普遍的な面白いと同じなのかをすり合わせる必要性を強く感じた。私はよく変わっていると言われ、地味に嬉しいとさえ感じて、人と違うポイントを見つけるのは得意であった。これからは普遍的な面白いとすり合わせるために、共感ポイントを多く見つけていくことを、気をつけて行動していこうと思う。

トークは企画じゃない

トークは企画ではない。全てが演者の力に寄っている。舞台をしっかりと用意できているか。切り口を大切にしているか。企画のピークはどこか。

強みや面白さをどう引き出しているか。

企画書段階でも見るべき視点が非常に多い。企画を形づくりながら、この企画は面白いのか、企画になっているか、何回も続けられるか、手を動かしながら、脳味噌をフル回転させているのだろう。

結局自分と世間の面白いってなんだろうという問いを常に立てながら、言語化して作っていくことが大切なのだと思った。


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