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ウエクミ先生の作品は難しいけどクセになる

「ザッツ・京大」という京都大学広報課が運営するサイトに京大出身である宝塚の演出家・上田久美子先生のインタビュー(2020年)が載っていました。

上田久美子先生の作品は私には難解で、一回観ただけではいつも消化しきれない(この間配信で観た『fff』もそうだった)。しかし、その分、噛めば噛むほど味が出てくるというか、何回か観たあとで発見があったりして、考えさせられたり面白いなあと思うことも多い。今日読んだこのインタビューに、一筋縄ではいかない先生の哲学が見て取れて、これがまた興味深かった。
上田先生と言えば、年始の「歌劇」に載る新春の挨拶文がある年から短い定型文になったのだが、そのことが実は気になっている。そうなる前年にとてもアグレッシブなことを書いておられたので、次の年、何を書くのか楽しみにしていたから。新年の挨拶にしては切り口が斬新過ぎたのかな。でも、このインタビューを読むと先生のアグレッシブさは未だ健在のようで嬉しい。
私も常日頃、一人の人間の中に善も悪も両方内包していると思うし、一見醜い気持ちも否定しないで掘り下げることで乗り越えられたら、成長や飛躍につながる種が隠れていると思っている。思えば宝塚に出会い最初に東宝で観たショーである『BADDY』でも善と悪の共存が描かれていたなあ。グッディの怒りのロケットを初めて観たとき、心が震えまくった!
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「人は物語に癒されます。でもハッピーエンドだけに癒されるわけではないんです。人は自分が本当に大変なときは、もっと大変なことを書いたものに癒されます。

ちなみに私が最近癒されたのは、田宮二郎さんが演じた1979年TVドラマ版『白い巨塔』でした(笑)。あのドラマって、人間の醜いところとかがちゃんと描かれてるじゃないですか。それを見ると、心の中でゴチャゴチャになってる積み木がテトリスのように整理されるというか、白黒つけなくても良い状態でスーッと収納される。それは世の中の不条理とか割り切れない感情をちゃんと描いてあるからであって、物語を通じて、自分の中にたまっていた現実への鬱屈が不思議と整理される。そういうものこそ本当は必要なのに、なかなか生み出せないなぁって思います」(「ザッツ・京大」インタビューより)
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上田作品に多い胸を掻きむしられるような辛い結末。しかし、意外にも後味はそこまで悪くない。そこに同時に存在する深い愛情、優しさ、希望が救いになったし、上田先生が言うように不条理や割り切れない気持ちがきちんと描かれていることで腑に落ち、逆にスッキリしたのかもしれない。
次作の『桜嵐記』はどうだろうか。とても楽しみである。(号泣はすると思うけど…)

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