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時間が動きはじめるまでのはなし

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抑うつ状態から休職することになってからの話。 学んだ用語や、疾患・症状について、治療経過についての備忘録。
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ただ今日を過ごす。

もうすぐ一年経つんだなぁ、と思う。 立ち止まってから、一年。 立ち止まってからの自分を、noteに記録しはじめてから、一年。 最初の三ヶ月は、「三ヶ月経ってもまだこんなに低空飛行なのか」と驚いた。 半年経った頃には、「だいぶ元気になったぞ」と思った。 でも、今から振り返ると全然だった。 そろそろ一年が経過するいま、「だいぶ元気になったぞ!」「なんやったら調子を崩す前よりも元気だぞ!」と思っている。 けれど後で振り返ったら、やっぱり「いやいやいや」とツッコんでるわたしがいるの

書くことと読むこと

最近また少し、読むことがしんどくなっている。 調子を崩した当初は、本を読むことは愚か、映像作品を見たり、ラジオを聴いたり、歌声や音の多い音楽を聴いたりすることも辛くて、 かといって生身のままでも、町中や日常の中に満ちる騒音の一々が心に刺さってきて、 だから、ノイズキャンセリング・イヤホンでずーっと同じミニマムミュージックやホワイトノイズを聞いていたりした。 あの頃、ほとんど何を受け取ることもしんどくて、 だけど心の中からこぼれてくるものの受け皿は必要で、 だからわたしは、書

復職することになったよ

正式に、春ごろから復職することが決まりました。 まずは週1回、午前中のみの外来派遣。 自分の専門領域の診療業務なので、気持ちはかなり楽です。 年度が改まってからは他のところにも追加でお手伝いに行くことになるかもしれないけれど、まぁたぶん、仕事は大きな負担にはならないかな。 わたしが精神を削られたのは、研究室とのミスマッチだったので。 それまでの期間は、忘れていることを確認するために教科書を読み返したり、 2021年に新しく出たガイドラインを確認したり、 2021年に新しく承

笑えなくてもいい

去年の今頃は、色々なことがあった。 研究のための調べ物と考察に追い詰められていた。 ひとりぼっちの時間の中、誰からも必要とされていないような寂しさを味わっていた。 そこから一転、自覚していた以上に大きな愛情を友人から注がれていることを知り、それを受け止めきれずにうろたえた。 心の中は、ずっと暗いままで、ずっと悲しくて、寂しかった。 きっと今も世界のどこかには、あの時のわたしと同じような気持ちで過ごしている人がいるのだろうと思う。 夜は時が訪れれば明けるけれど、自分の心に垂

期待という毒

「先生は人一倍期待に応えたい方の人だと思うから」 わたしが周囲から寄せられる期待に気づいたとき、主治医がそう口にした。 曰く、人間、期待というものにはどうしても応えたくなってしまうのが常であると。 曰く、無邪気で無自覚な期待は、時に非常に凶暴なものになり得ると。 これらについては正直、一から十まですべて同意だな、というのが本音だった。 わたしは確かに期待に弱い。 そして周囲の(特に両親の)無自覚な期待に、時に苦しめられながら、気づけばこんなところまで流されてきた。 け

「調子がいい」が不都合なこともあるらしい

少し前から、気分安定薬の内服を始めている。 双極性障害ⅱ型(いわゆる躁うつ病)の治療のためだ。 いま飲んでいるラミクタール®という薬の効能書きには、双極性障害の「躁症状」の再発を抑える効果がある旨が書かれている。 わたしは圧倒的にうつ症状の方が多いので、さて、躁症状を抑えることがどの程度効果の実感につながるのか、と、疑問を感じていた(批判的な意味ではなく)部分があった。 けれど、飲み始めて、少しずつ量を増やして、納得するところがあった。 躁状態は、たとえそれが軽いものであ

四季を渡る

気付けば十月が過ぎていた。 最近のわたしは、以前よりも少し怠惰になっていて、朝目覚めた後も、布団の中でしばらくそのぬくもりを名残惜しんでいたりする。 以前ほどの無気力はないけれど、何かをしなければな、と思いながら、億劫に感じて先延ばししてしまったりする。 秋だなぁ、と感じる。 秋から冬にかけて、そういえばわたしの体は毎年、まるで冬眠したがるみたいに、寝汚くものぐさになる。 そこに薄らと抑うつの気配を感じないでもないけれど、今のところ調子は、そう悪くない……と思う。 薬を飲

どうやら双極性障害らしい人

症状のベースに、双極性障害Ⅱ型の要素があるかも。 それは初診当時から主治医の念頭にあった可能性だけれど、一緒にわたしの過去を振り返っていく中で、その「確からしさ」はぐんぐん増していっているらしい。 というわけでどうやら、わたしは双極性障害Ⅱ型の可能性が高いらしい。 こういった診断を受けたとき、思うことは人それぞれだろうけれど、わたしの場合は、「ああ、バイポーラなら親に話しやすいや、助かった」というのがまず最初に考えたことだった。 何を隠そう、休職のことも病気のことも、両親

気持ちと気分

気分と気持ちは違うなぁ、と、ふと思った。 わたしは昔から感情の振れ幅が大きい方で、ちょっとした刺激でも必要以上に食らいやすいタチで、そのままだと生きづらいから、普段はなるべく感じないように感じないように……感じていても感じていないふりでポーカーフェイスで…… てな感じで、つらっとした顔で生きるようにしていた。 実際心の中は荒波でぐっちゃぐちゃでも、外にいる間はぐっと蓋をして、なんてことない顔ですべきことをこなして。 家に帰ってひとりになってから、食らいまくって消耗した心を、

完璧じゃなくていい

久しぶりに、色紙を眺めていた。 学生時代や、社会人になってから、いろんな機会にいろんな人たちからもらったたくさんの色紙。 その一部、一際思い入れの強いものは、束になって本棚の一角に刺さっている。 学生時代。 サークルを卒団するときにもらった色紙は、3枚の裏表にみんな、ごまつぶみたいな文字で個人的な手紙のような長文を認めていて、十年後には老眼で読めなくなっているんじゃないか、と、見るたびに明後日の心配をしてしまう。 医者になってから、二年ほど勤めていた病院の病棟スタッフ(+

バランス

薬が合っているのだろう。 少しずつ、元気になっている。 激しく波打っていた感情の振れ幅が緩やかになって、そのお陰で、感情の手綱を握りしめて消耗していた心と身体に、少しばかり余裕が生まれたような感じ。 身体がまだ慣れていないので、何ともいえない倦怠感の副作用はあるのだけれど、総じて、助けになっているなと思う。 以前の薬は、肝機能障害やら高血糖やらで中止せざるを得なくなってしまったのだけれど、はてさて、今回の薬はどうだろう。 そろそろ血液検査をする時期なので、悪くない結果であ

病む力

むかし、思ったことがある。 病むこともひとつの自己表現だな、と。 頭が痛い。 からだが重い。 気分が落ち込む。 そんな不調の奥底には、普段気付かずに、あるいは意識的に通り過ぎている体や心の訴えがある。 デスクワークし過ぎだよ。首や肩に負担がかかってるよ。 最近、睡眠時間足りてないんじゃない? そろそろしっかり休もうよ。 ずっと緊張しっぱなしで、ナーバスになってるよ。ちょっとほっとできる時間を作ろううよ。 そうやって伝えてくれる声があるから、渋々ながらでも、足を止められる

WAIS-Ⅲ の結果と発達障害のあるなしの話

そういえば、休職して間もない頃、知能検査を受けた。 私の主な症状は抑うつ状態だったわけだけれど、その原因は何なのか。 気分障害(うつ病、躁うつ病など)があるのか、PTSDなのか、統合失調症などの陰性症状を見ているのか。 気分障害だとしたら、発達障害の二次障害の可能性はないのか。 主治医は複数の可能性について検討してくれて(ちなみにまだ結論は出ていない)、その評価のために色々な検査をした。 ちなみに部分的な結論としては、発達障害はまぁないだろう。 というところに落ち着き、

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祝福されてあれ

死ねない理由がある、と以前書いた気がする。 実際わたしには、少なくとも「死ねない」と思う理由がひとつあって、その原因たる存在は、たぶん何事もなければ、これから先わたしが寿命を終えるまでなくなることがない。 それは端的に言えば他人の子どもで、けれどその親や親類の中で、わたしの存在と分かち難い縁深さで結びついてしまった。 なんの装飾や注釈もなく語れば、それが理由のすべてだ。 友人の子どもが生まれた。 その子の出産予定日はちょうどわたしの誕生日で、だから妊娠を知ったその日から友人