見出し画像

今までに夢中になったこと、これまでの仕事。

私は昔から、やるとなったらトコトン突き詰めるタイプです。
今日は、今までハマったことやこれまでの仕事を改めて振り返って、自分の興味や向き不向きについて考えてみたいと思います。

覚えている限りの子供の頃の記憶。
3〜4歳の頃は、近所のお姉ちゃんからお下がりでもらった戦隊ヒーローもののフィギュアとリカちゃん人形で、一人でごっこ遊びをしていました。

あとは、パズルやお絵かきも大好きでした。
近所の幼馴染たちと虫取り、鬼ごっこ、かくれんぼ、秘密基地ごっこなどもしていました。

小学生になると、ゴム跳びが流行っていたなぁ。
放課後、近所の子達と暗くなってゴムが見えなくなるまで遊んでいました。

まさに昭和の子どもって感じ^_^

小学生になると、読書とお絵かきが好きで、
休み時間や昼休みになると図書館に走って行って、
一人でシャーロックホームズシリーズ、赤川次郎、ノストラダムスの大予言などを読み耽っていました。
藤本ひとみさんの小説もハマって、ほとんど全て読んでいた気がします。

両親が本好きになってほしいから、と、名作絵本や児童書の定期便のようなものをとっていたので、毎月10冊くらいは本が届いていました。
それを楽しみにしていて、届くと一気に読んでしまっていました。

小4くらいから、親に勧められて絵画教室に通いはじめました。水彩だけでなく、学校では使ったことがない油絵も習って、夢中で描いていた記憶があります。

その頃、各地の写生コンテストや読書感想画コンクールでいくつも優秀賞や金賞をいただいていたので、自分は絵が上手なんだと自負していました。

でも、中学生になって、その絵画教室にとっても絵が上手な男の子が入会してきました。

その子の絵のレベルに衝撃を受け、それまでの自信は粉々に砕け散りました。

絵画教室に行くたびに、彼と自分の才能の違いを感じて辛くなり、とうとう中2の時に私は絵画教室をやめてしまいました。

その後は、大学で心理学を学ぼうと決めて塾に通い、受験勉強をしていました。
でも、高校2年の時、勉強に行き詰まり、
自分は本当にこの進路でいいんだろうか?
私は一体何が好きで、何がやりたいんだろう?
と、改めて見つめ直しました。

その時、昔から絵を描くのが好きだったことを思い出したんです。描くのをやめた理由も思い出しましたが、やっぱり好きなことを仕事にしたいという気持ちはゆらぎませんでした。

世の中には私より絵が上手い人がたくさんいる。
画家になるような才能は、わたしにはない。
でも、何かしら絵に関わる仕事なら、楽しんでできるのでは?

そう感じて、親とじっくり話し合い、
高2の夏から、急遽美大を目指すことにしました。

美大受験専門の塾に毎日夜まで通い、デッサンや平面構成に取り組む日々。
大好きなことに毎日集中できて、同じ興味を持つ人たちと過ごす時間はとても心地よくて、平日昼間学校に行っている時間よりも、塾で過ごす時間がわたしの生活のメインになっていました。

第一志望校には落ちたものの、なんとか美術系大学に現役合格し、地元を離れての大学生活がはじまりました。

大学では良い友達もでき、遊んで、学んで、バイトもして、充実した日々を送ることができました。

卒業後は一部上場企業の出版部門でデザインディレクターとしての職を得て、数多くの出版物のデザインディレクションに携わらせていただきました。

新卒なのにディレクターという立派すぎる肩書きをいただき、自分なんかがこんな大それた肩書きをいただいていいんだろうか?と大いに悩みもしましたが、
肩書きに見合う仕事ができるようにならなければ、と肩肘張って必死で働きました。

締め切り前になれば、深夜帰宅は当たり前。
まだ若かったので体力的にはなんとかなりましたが、
パワハラ気味のクライアントにあたったときの仕事がつらくて、自律神経失調症になったこともありました。

都会での生活に疲れを感じ、
入社6年、結婚1年ほどした頃に会社を退職しました。

安定した収入がなくなることを、両親はとても心配しましたし、夫も不安がっていましたが、私は心底疲れ果ててしまっていたのです。

半年ほど無職状態で専業主婦をしましたが、まだ子供もいなかったので昼間は暇すぎます。
「今日は一日どうだった?」と気遣ってくれる夫の一言にも、罪悪感が増すばかり。

そろそろ働こうかと重い腰を上げて求人情報誌を見ると、「旅行添乗員募集。資格取得からサポートします」という文字が目に入りました。
昔から海外旅行が大好きだったし、英語も活かせそうだったので、応募することに。

無事に採用され、職場から資格取得のためのセミナー費用なども出していただけ、パートタイムの添乗員として働きはじめました。
国内旅行のツアー添乗が多かったですが、海外にも何度か行かせていただき、良い経験ができたと思います。

その後、1年半ほどして妊娠を機に退職。
出産後、実家の花屋を継いでフラワーアレンジメントでもしようかと思い、通信で資格を取ったこともありました。
でも、結局自分のセンスに自信が持てず、仕事にすることができませんでした。

長女が1歳になった頃、夫がお世話になっていた英会話教室のオーナーから、「急遽日本人の先生が辞めてしまったから、お願い!」と頼まれて英会話講師のアルバイトを少し経験しました。

そこで、なんとなく教室経営のイメージが沸いたので、夫と共に自宅の一室で英会話教室を始めることに。

最初はたった6人の生徒からスタートしましたが、次第に口コミで生徒さんが増え、今は40名ほど通ってくれています。

夫は他にも仕事を持っているので、私が自宅英会話教室の個人事業主となっています。
教えるのは主に夫で、私は経理や宣伝、生徒さんたちとの連絡などその他の仕事を全て引き受けていますが、細々と続けて十数年、今に至ります。

その間、いくつかハマったものがあります。

まず、お裁縫。
元々はミシンに苦手意識があり、お裁縫なんて全然やったことがなかったんですが、上の子の幼稚園の関係で他のお母さんたちと縫い物仕事をする機会があり、その時にミシンで上手くいかない時はどこをチェックすればいいのか、を知ることができて、苦手意識が薄れていきました。

トラブル対処法がわかったら自信がつき、
ポーチ、バッグ、スリッパ、帽子、子供のハロウィンコスチューム、クッションカバー、水筒カバーなどなど色々つくりました。
自分でイメージしたものが、実際の物になるって嬉しいものです。バッグひとつとっても、単に色合いやデザインを好みにできるだけでなく、自分が入れたい物にぴったりサイズのポケットをつくることができて、満足度が高まります。

特に私は、観賞用の作品ではなくて、実用的なものを作るのが好きだなぁと感じました。

次にハマったのはカーヴィング(彫刻)。
たまたま立ち寄った公園で、バードカーヴィング教室の作品展示をしていて、その精巧な作品に魅了されて入会。
小学校以来持ったこともなかった、小刀や彫刻刀で木を彫って形をつくり、バーニングペンで羽根の一本一本を刻み、アクリル絵具で彩色する。
金属のワイヤーを曲げてハンダゴテでくっつけて鳥の足をつくり、土台に刺す。

私は昔から特別に野鳥が好きとか言うことはなかったのですが、バードカーヴィング教室に参加している方々にはバードウォッチングを趣味にしている方が多く、鳥の鳴き声だけのCDを聴いて、鳴き声で鳥を聞き分けられる訓練?をしていたり、鳥の分厚い辞典をもっている方が多く、今まで自分の知らなかった世界に足を踏み入れた気持ちでとても新鮮でした。

教室が森の中にあったので、そこに通う道すがらマイナスイオンいっぱいの新鮮な空気を吸えるのも嬉しかったです。

その後、映画をきっかけに肉食をやめるようになり、大豆ミートを使った料理や、乳、卵、小麦粉、白砂糖を使わないお菓子作りなども最近楽しくて色々試してみています。

こう考えると、私は何か作ることが好きみたいですね。
一人でコツコツとやるのが向いている気がします。

これからの人生後半戦をなるべく悔いなく過ごすためには、自分が情熱を傾けられるものに取り組んでいきたいと思っています。

今は大豆ミートやグルテンフリーの食べ物をもっと普及させたいという想いがありますが、この気持ちはずっと続くだろうか?

今すでに10年以上やっている英語教室をもっと広げていくと言う方法もあると思うのですが、それが本当に幸せにつながるのかな?と二の足を踏んでいます。

まだまだ、私の自分探しは続きそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?