見出し画像

篠塚建次郎さんとパジェロのこと

3月18日、ラリードライバーの篠塚建次郎さん(シノケンさん)が逝去されました。
もう随分前に亡くなってしまいましたが、ラトシア担当の叔父は三菱自動車に勤務していたクルマ好きでした。
そんな叔父から、幼少期にシノケンさんの活躍の話を聞かされていたこともあり、人生のヒーローのひとりを失ってしまった寂しさがあります。

最近は、トヨタが大活躍しているWRC(=World Rally Championship)ですが、日本人初のウィナーは、三菱ギャランVR-4を駆ったシノケンさんでした。シノケンさんは、1991年と1992年と2年連続で、WRCアイボリーコーストラリーに優勝しています。

また、現在40代以上くらいの世代の方は、

シノケンさん = パリ・ダカールラリー(パリダカ) = 三菱パジェロ

というイメージが強いのではないでしょうか。
1988年頃からは、毎年年明け早々にスタートし、連日砂漠でトップ争いを繰り広げる三菱パジェロを駆るシノケンさんの姿をテレビで見て応援するのが、年始の恒例行事のようになっていたので。

当時、日本人ドライバー「シノケン」による活躍は、世間を沸かせるブームになっていきました。

1985年 パリダカで総合優勝したパジェロ
アンドリュー・コーワンによる優勝だったが、国内ではあまり注目されなかった
しかし、その状況は1987年のシノケンさん総合3位で一変した

モータースポーツと自動車ビジネス

ビジネス的な視点で見ると、1980年代後半から1990年年代のパリダカでのシノケンさんの活躍は、三菱パジェロの国内販売にとてつもない貢献をしています。
それまで、クロスカントリー4WD車(クロカン四駆)は、公官庁などでの実用用途やごく一部の趣味人しか乗ることが無く、ランクルやサファリ、ジムニーなどをまとめて「ジープ」とひと括りにされていました。
それが、テレビでパリダカが連日放映され、シノケンさんが活躍するとクルマに全く興味の無い一般の人々に「パジェロ」が浸透し、憧れの対象にもなって突如売れに売れ出したのです。

2代目パジェロが登場した1992年には、国内販売が8万台を超えました。これは、2023年(1~12月)実績では、トヨタ・アクアと同じくらいの実績です。
現在より新車販売台数が多く、まだバブルの残り香があった頃とはいえ、高価なクロカン四駆がこんなに売れたのは日本自動車市場の特異点だったと言えるのではないでしょうか。

2代目パジェロ 多くの人の憧れのクルマになった

パジェロの失速

販売されたパジェロの大半は、大半が舗装路のみの走行で、トランスファーのLowレンジを一度も使われることなく手放されたようです。本来想定されたような過酷な使われ方をされた車両は、「4×4マガジン」や「CCV」などの専門誌を読むような一部のマニア層に限られていました。また、そんなマニア層は、一般層にも大人気のパジェロは避けて、ランクル70系やサファリなど、より極悪路の走破性に特化した車種を選択する傾向がありました。

なお、国内販売されたパジェロの多くはディーゼル車だったので、NOx・PM法が施行されると首都圏で継続車検を受けることが出来なくなり、90年代に販売されたパジェロの多くは「ほとんどオフロードを走っていない程度極上車」として海外の中古車市場に向けて輸出されていき、日本の路上からは姿を消していきます。

ひょっとすると、パジェロが爆発的にヒットしたことにより、ランクルプラドやテラノ、ハイラックスサーフなどの競合車種を生み出し、ディーゼル車が首都圏に激増したこどが原因で大気汚染を引き起こし、NOx・PM法の施行に繋がっていった、というストーリーだったのかもしれません。

いずれにしても、旧世代ディーゼルエンジンのクロカン四駆はNOx・PM法の施行により首都圏からは淘汰されて行ったのです。

更に、パジェロは3代目のモデルチェンジで失速し販売台数もブームの1/10程度の水準まで落ち込んでいきました。
2代目後期のブリスターフェンダー化辺りから、多くの一般の人がイメージする「かっこいいパジェロ」から離れてしまったように思われ、3代目では凝ったデザインが仇となり、見慣れない変わったカタチが敬遠されてしまったのでしょう。

3代目パジェロ デビュー当時の姿 多種多様なSUVが登場した現在では意外とカッコ良いかも

同時期に、静かで快適で燃費も良いハリアーなどの横置きFF乗用車ベースのSUVが台頭してきましたが、2世代目までのパジェロと同様にラダーフレームシャーシでリジッドのリアサスペンションかつ副変速機を持つランクル・プラドが堅調に売れ続けていたことから、3代目パジェロは三菱のマーケティングの失敗、ということだと思います。

パジェロの復活

3代目で失速したパジェロは、2006年には4代目になります。しかし、三菱自動車の不祥事の影響もありリソースが限られていたことからか、3代目のビッグマイナーチェンジで、3代目をベースに2代目のイメージに寄せたようなデザインとカラーリングでの登場となりました。

4代目パジェロ 2代目のイメージを踏襲していた

しかし、発売当初は3代目より販売はやや回復したものの、かつての勢いを取り戻すことはできず、国内販売台数はランクルの1/5~1/10程度に低迷し続けてしまいます。海外では根強い需要はあったものの、年間生産台数はピークの16万台から3万台程度に落ち込みました。
その後、三菱自動車の不祥事や伸びない売上のためか、2019年の販売終了まで大きく変更されることも無く、結果的に4代目パジェロは歴代最長のモデルライフとなったのでした。

そして、シノケンさんの逝去が伝えられた数日後「パジェロ復活」が販売会社向けの会議で伝えられた、というニュースが報道メディアに掲載されます。
三菱自動車が自社開発したピックアップトラック新型トライトンをベースに、早ければ2026年には登場するとのことです。
元々、2代目までのパジェロは、トライトンの源流であるピックアップトラック、フォルテ4WDのラダーフレーム構造のシャーシにクロカン四駆のボディを載せた、という成り立ちでした。それが、パリダカの活躍で売れに売れ、潤沢な予算があったことからか専用開発のモノコックボディと独立懸架のリアサスペンションになったのが3代目以降です。
今回発表されたトライトンベースのパジェロは、原点回帰とも言える決定だと思いました。もっとも、三菱自動車では、ピックアップトラックをベースにワゴンボディを載せた車両を「パジェロ・スポーツ」として継続して販売しています。そのモデルチェンジ版を新生「パジェロ」として統合し、2代目前期までをイメージさせるようなパジェロらしいデザインで登場させる、という思惑なのかもしれません。

しかしながら、パジェロの復活は、パジェロの販売にとてつもなく大きな貢献をしたシノケンさんに対する三菱自動車からの最大のリスペクトではないでしょうか。

篠塚建次郎さんのご冥福をお祈りいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?