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虹をかける

思春期になって、友達に友情を超えた気持ちを抱いたとき、変だとか普通じゃないという考えと僕の中の感情や衝動が葛藤していた。

同性を好きになることは理屈ではなく、純粋な憧れや気持ちに基づいており、人と人を結び付けて、境界を超えて、相互作用を促進していくことだ。

自分の中に生まれた感情を、うそ偽りのないものだと信じることは、途方もないことに思えた。誰に、いつ、どのように、表現したらよいのか。誰の、どの意見が正しい見解なのだろうか。

確かなことはこの世の中にないように思えた。地に裂け目が広がり、底が抜けているようだった。僕はどこから来て、どこに向かう生き物なのか、わからなくなった。

同性を好きになることは、特別なことではなく、ひとのたましいを好きになること、失われた環であり、運命である片割れを求める行為だ。人柄などの人を構成する本質的な部分に惹かれ、その身や霊魂、瞳の奥にいるものを観るようなことだ。

同性を好きになることは、虹をかけることだ。多様性に橋をかける、その中で自分自身でいようとすることでもある。

虹の色を見つめると、グラデーションがあることに気づく。雨上がりの後など、条件が揃うと現れて、観るものを喜びや祝福の気持ちで満たす。それは人々の願いであり、そして虹自身の願いでもある。

同性を好きになることは、橋をかけることだ。それは人やものの往来を促し、人間の基本的な欲求に基づいて作られる悲願であり、時空を超えて歴史を伝え、未来を作っていくものだ。

同性を好きになることは、自分自身でいることでもある。人目を気にしないで正直になり、緩み、解れて、うそ偽りのない実存に目覚める。ここにいることはそれを志して勇気を出して決断することを必要とする。

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