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寒がりなエンタメ回路を持っている

写真は何も関係ない屯鶴峯。奈良と大阪の間にある二上山の噴火の影響でできた奇岩群、らしい。石灰岩の塊かなんかだと思ってた。祖父の家に車で向かうときによく近くを通っていたので少しだけ思い入れがあるが、奈良県民でも知らない人は多そう。

 寒がりというのは何かというと、文字通り寒さを感じやすいということだが、今回は皮膚温度感覚ではなくエンタメを楽しむ回路の話である。
 どこでなぜそうなったのかはわからないが、たとえば(メタな事情が絡むような)不自然な展開や言動、演出に対してものすごく忌避感があり、それに対峙すると文字通り鳥肌が立ってうわ~~~きつい~~~となってしまうことがかなりある。ひとりよがりな創作などに「寒さ」を感じる感覚は割りと共感してもらえるところではあると思うが、この感覚がおそらく他人より異常に敏感になっているんだと思う。

 自分は別に堅物ではなくて、むしろかなり創作、エンタメを楽しんでいる人種の人間だと思うが、たとえ好きな作品、コンテンツであっても上記の寒さを感じることがよくあって、そういうときは歯を食いしばって耐えている。
 無邪気にエンタメを楽しみたいと思っている自分と、軽々に感情を動かされるのは恥ずべきことだ、と考えている自分の二人がいる感覚がある。後者の自分を騙しきれないようなエンタメと向き合うと、「これは浅いエンタメだ」と叫びまくる自分を押さえつけないといけなくなり、体力を使う。

 もっと根本の自分の哲学というか一種の病理として、本音以外のコミュニケーションをなるべくしたくないというものがあり、すべてのものについて、それが真なるものから出てきたものかということにすごくこだわってしまう。それ故に、それより手前の「ある感情にさせようとして出てきたもの」に対しての忌避感が強いのだと思う。感情とは結果であり目的ではないはずだ、という主張がある。

 とはいいつつ別にちょろい人間なので、普通に楽しめているエンタメはたくさんある(でなければオタクをできていないはずである)。こういう面倒な人間をうまく騙して、楽しい気持ちにさせてくれるエンタメとは本当に偉大だな、と頭が下がる思いがいつもある。
 最初このタイトルを「寒がりなエンタメ回路を治したい」という文にしていたが、やめた。仮に治るものだとして、治ればよりいろんなものが楽しめるようになり幸せになるのだと思うが、さっきと似たようなロジックで幸福とは目的ではなく結果だ、という気持ちがあり、幸福RTAのチャートをなぞるようなムーブに抵抗感がある。
 そうはいいつつやっぱりしんどくなったらこれに限らず自分の色々を治療していくことにはなるんだろうなとは思っているが、「それぞれに不幸」のうちの一つである自分を、まず受容したいと思っている。

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