記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

【映画】夜明けのすべて【まだまだ本編4】

#ネタバレ

映画と、同名の原作小説についてのネタバレをがっつり含みます。
すでに映画や小説に触れた人や触れる予定のない人に感想をまくし立てて話すかのように、とりとめなく書き連ねていきます。

山添家で二人が思い思いに過ごすシーン。
予告編でも出てきた
「明らかなことが一つだけわかりました」
「お」
「助けられることは、ある」
このシーン、予告編で見たときは"うわぁエモい、めっちゃいい~!早く本編が見たい!"と胸を踊らせた。
しかし本編では、このセリフの後に続く会話により、エモすぎず軽く笑い飛ばすような感じにつながっている。原作と同じではあるのだけど、予告編の見せ方によってものすごく感動的なシーンなのだと思っていた。実際いいシーンなんだけど。

1つ前のnoteにも書いたが、予告編で感動したシーンが、本編ではごくごく日常的なシーンだったという、夜明けのすべてあるあるな現象。

そういえば音楽、BGMもその現象の例に漏れない。予告編ではエモい音楽や緩急があり盛り上がる音楽が使われていて、この音楽は本編のどのシーンで使われるのだろう?とワクワクしていたら、本編にBGMがほとんどないではないか。
それでも、あらゆるシーンが絵になっている夜明けのすべて。自然な日常にとことんこだわったのだろう。

そしてネットで話題の、萌音氏がポテチの残りを一気に流し込み、むせるシーン。映画オリジナル。
台本ではこの山添家のシーン、もっと会話があった。原作にもある、この二人は恋愛関係ではないということが強調される会話。映画では、まるまるカットされている。

映画制作の現場では「山添くんなら/藤沢さんなら、こんなときどうするか」「この演技は恋愛を匂わせることになってしまわないか」など、監督とキャストが何度も話し合いを重ねながら、時には台本にこだわらず撮影が進められたという。

映画は視覚や聴覚に訴えるものが大きい。原作の会話を再現するより、心からくつろいでいる様子がわかる行動を映し出す方が、二人の間に漂う雰囲気がより伝わると考えられたのだろう。
人前でポテチの残りを一気に流し込むことなど、大人になってからはとてもできない。一人でいるときの気楽さと、人と共に気楽な時間を過ごせる温かさがあるからこそできること。萌音氏の口にすごい勢いで入っていくポテチの音から、そんな気楽さと温かさが感じられた。

そしてそして、後半の山場の一つである、山添くんが自転車に乗るシーン。
私は原作への思い入れが強く、原作で特に好きなのが、ボヘミアンラプソディのシーンと、山添くんが頑張ってお見舞いに行くシーン。ボヘミアンは権利関係で映画化は無理だろうなと思っていたが、お見舞いのシーンこそ山添くんが色々乗り越えていく大事な場面だから、ここはぜひとも映像として見たかった。山添くんが発作を起こしながらも藤沢さんの病院にたどり着き、その後には自分で買った自転車で病院へ向かう。それこそ山添くんの山場でしょう、と。

そう思っていただけに、映画のシーンを見たときには正直、物足りないなと思った。
だけど、後から脚本を読み、多くのインタビュー記事や考察回に触れて、そうではないんだなと思った。原作よりいっそう静かで何も起こっていないように見えるこの映画にも、実はたくさんの出来事が起きていて、行動する人、見守る人の思いがそこかしこに表れているんだなと。

「忘れ物届けに行ってきます」と告げた後、栗田科学の作業服を羽織って出ていく山添くん。驚いた目線の社長。
かつては「いらないですから、マジで」と言っていた自転車に自ら乗り、自転車をくれた相手のもとへ漕ぎ出す。
作業服も自転車も、ずっと拒んでいたものを初めて身につける瞬間。

自転車でゆっくりと進む山添くん。
空の青さや、木漏れ日の光をしみじみと見上げながら。
新幹線の高架を越え、線路沿いを進む。映画の前半から時折映る新幹線が印象的だった。あっという間に遠くへ行ける新幹線。パニック障害を抱えた山添くんは乗れない新幹線。もう何年も旅行や帰省などはしていないのだろう。家と会社の往復だけだった山添くんが、新たな移動手段を手に入れて、自ら望む場所へ行こうとしている。
坂道で降りてもいい。子どもを乗せた二人乗りの自転車に抜かれてもいい。自分のペースで。

藤沢さんの家に着いた山添くん。インターホンを押し、忘れ物をドアノブにかけて帰る。
ドアを開けて忘れ物を手に取る藤沢さん。山添くんはどうやってここまで来たのだろう?と気になったのか、ベランダに出る。かつて自分があげて「いらないです」と言われた自転車を漕いで走り去る山添くんの姿が見えて、思わず頬が緩む。顔を上げると、陽光とそよ風が優しく体を包む。

予告編でも多用されていたベランダのシーンはとてもきれいで、どの場面なんだろうと気になっていた。
電車に乗れない山添くんへ、移動手段の足しになればとあげた自転車が、回り巡って藤沢さんを助けるために使われた。情けは人のためならず、ではありふれた表現だが、そんな自転車に乗る山添くんを見て藤沢さんも嬉しかっただろうな。
いらないって言ったのに使ってくれてるじゃん、などと。
直後に山添くんへ送ったメールも、そんなことが書かれていたのではと想像する。

後は細かい点だけど、

・藤沢さんの忘れ物が入っていたエコバッグは、前半で山添くんが発作を起こして早退したときに藤沢さんが買った差し入れが入っていたもの。「袋は今度返してくれればいいから」と藤沢さんは言っていたが、その"今度"がこんな形になるとは、その当時は想像つかなかっただろうな。

・ 忘れ物を届けた帰り道、公園に立ち寄る山添くん。階段を前にして自転車を降り、かついで登る。
何てことないシーンかもしれないけど、通れない道や行けない場所があっても工夫しだいで進むことはできる、ということの象徴に思えた。考えすぎかな。

・自転車を漕ぐシーンは北斗氏の、ベランダのシーンは萌音氏のクランクアップになったらしい。それもなんだか、よき。


クライマックスは近づいているが、またまだ書きたいことがたくさん。
今日はこのへんで。
お読みになってくださり、ありがとうございます。
では、また。