西行の足跡 その6

4「大井川舟に乗り得て渡るかな」 西行
 舟に乗ることができて、このお大井川を渡るよ。仏法を得て悲願に向かうように。
 
「流れにさおさす心地して」 西住 
 流れにさおさす心で、出家の志が後押しされる機運に乗じて。
 
 西住という人は諸説あるが、俗名を季正(政)といい。右(左)兵衛尉であった。また、醍寺理性院流祖賢覚より付法を受け、その法脈に連なる真言宗系の僧であったということができるようだ。また、西住も西行もどちらも徳大寺の家来でもあり、西行とは若い時から友だちだったと思われる。
 西行が出家する前に西住と共に、嵐山法輪寺の空仁のもとを訪れたことがある。当時は平安京から法輪寺に行くには、大井川(大堰川・桂川)を舟で渡った。話をして帰るとき、空仁が渡し船の所まで来て、名残を惜しんでくれたが、その時次の前句を詠んだ。
「はやく筏はここに来にけり」
 おや、もう筏はこがここに来ましたよ。出家の準備も整ったのではありませんか。
 そして、西行は次のように付けた。
「大井川川上に井堰やなかりつる」
 大堰川の川上に筏を堰き止める井堰はなかったのですね。出家するのにもう何も問題はなくなったようです。
 
 4の連歌はそれに続くものである。そして、詞書きにはこうある。
「かくさして離れて渡りけるに、ゆゑある声の嗄れたるやうなるにて、大智徳勇健、化度無量衆と読み出したりける、いと尊くあはれなり」
 
 後日、東山の「阿弥陀房」を訪問した。
「柴の庵と聞くはいやしき名なれども世に好もしき住居なりけり」 
 山家集中・雑・725
 庵室は「柴の庵」と言葉で聞くと、なんだか貧相な名前だったが、来てみて実に感じのいい住居であることが分かった。
 
 こうしてみると、西行の出家は突然のものではなく、丁寧に準備をしていたことが分かる。そして、自己表現の手段として、和歌を捨てない僧侶に徹していた事も分かる。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?